ジョジョ読者のブログ

ジョジョの奇妙な冒険の感想、批評、考察を書いています。

私の好きな作家たち

ジョジョとはあまり、直接的に繋がらない話題ですみません。
自分自身の趣味嗜好を整理するためのメモ書きです)


私の好きな作家たち ということで、
マンガ家ではジョジョの荒木先生、鳥山明先生、水島新司、望月ミネタロウ、手塚治虫

文章を書く作家さんでは、橋本治福沢諭吉夏目漱石芥川龍之介

映像作家では、円谷プロの(昭和時代の)特撮シリーズ、洋泉社の特撮ムックも楽しい。


最近に知ったところで、橋本治の生まれ育った東京山の手(杉並区、世田谷区)は、
東宝円谷プロの映画スタジオ(世田谷区)と、同じロケーションに在った。

ウルトラ怪獣のスチール写真で、トタン板を背景に撮影されたもの、近所の山畑を背景に撮影されたものがある。

田舎じみた景色を背に怪獣やウルトラマンが立っている写真は、なんだか無性に懐かしく、
それは、(1970~80年代に)私自身が生まれ育った田舎の景色と、なんだか似通っているからだと思う。

 

橋本治の近著「知性の転覆」で、アメリカの田舎を論じる箇所があり、荒木先生のホラー映画論ーー「田舎に行ったら襲われた」ホラー、密室の恐怖と論旨が重なるところがある。 私はアメリカに住んだことは無く、旅行で訪れたことがある限りだが、確かに頷かされる所がある。)



上記に挙げたところ 私自身の中で、何かしら一つに繋がるところがあり、
過去から未来へ、一本の道筋を紡ぎ出しているところがあるように思う。

私自身の「道程」というわけで、
過去を懐かしむノスタルジーではなく、未来を作るための温故知新として、これらの諸作品を活かしていきたい。

「もう中学生」のリアリティ

5月の休日 子供たちの遊びの付き添いで、公園に行くことがあった。
地域のお祭りをやったりしていて、多くの子供たちで賑わっていた。
ボルダリングよろしく5mくらいの石壁を登る子供がいて、滑落しないか、見ていてハラハラした。

小学生から幼稚園くらいの年の子供が公園で遊んでいるのを見るのは微笑ましいが、
子供たちの遊びは必ずしも「平和な楽園」ではなく、緊張関係を孕んでいる。

駆け引き、取り引き、多数決の政治、そしてイジメ。
子供たちは子供たちの社会をつくり、大人の監視が行き届かないところで、日々 さまざまな「戦い」を経験し、摩擦に耐えている。
公園で遊ぶ子供たちを見て、改めて、そんなことを思い返していた。


  ***


ウルトラジャンプの最新号(2017年5月)では、植物鑑定人が現れ、リフトでのアフタヌーンティーを準備し終えたところで終わっている。
植物鑑定人は、ジョジョには珍しいアジア人的な顔立ちで、プロフェッショナル然とした振る舞い、職住一体・自然と人為が調和した暮らし振りが面白い。

康穂にボコボコにされてしまったらしいドロミテも含めて、ユニークな住人が増えてきて、
8部の次元の杜王町に、新たな名所が生まれつつある感じが楽しい。

今月号の一つ前の話で、常敏と花都の過去話が描かれた。
常敏がローラースケートで滑っているくだりは、作者の気合の入った筆が感じられて、
憲助さんの視点からの、花都さんと子供たちを見つめるショットが、一枚の写真のように描かれていた。

中学生男子によるイジメ事件がきっかけで、常敏の運命が大きく転回することになった。
この中学生を、仮に「もう中学生」君と呼ぶことにする。

「もう中学生」君は中々秀逸なキャラクターで、中学生らしい発想や行動のリアリティがよく現れていた。
世界観が狭く、限られた社会の中で全てを充たそうとしたり、発想が短絡的で、すぐ衝動的な暴力に走ってしまう所など。

常敏が呪いの病のため記憶障害になり、皮膚にヒビが入り、見た目にも様々な異常が現れてきていた。
「もう中学生」君は、地元の町工場か市会議員あたりの息子であったが、大金持ちの東方家に嫉妬の気持ちを抱いており、
嫉妬含みの羨望の気持ちが、イジメの遠因にあったのではないかと想像している。

成長した常敏が、「毎日が夏休みだ」と浮かれた、子供っぽい趣味を開陳するようになったのも、
(病気を克服するまでは)マジメで大人しく、弾けていなかった過去からの反動があったのだろう。


荒木先生のホラー映画論 あとがきで、「地震ごっこ」で遊ぶ子供たちについて触れられていた。

子供は、遊びを通して社会に参加し、恐怖と不安を体験し、他人と自分の関わりについて学んでいく。

「もう中学生」のリアリティは、小学生から見た中学生の恐るべき実態、裏の顔の一つである。
自分の子供たちが、いつ、苛烈なイジメに逢うか、どんなひどい目にあう可能性があるかは誰にも分からない。

ただし、自宅に放火されたり、家族のパンティが盗まれたりするような目には中々逢わない筈で、
日々の様子におかしな所はないか? 事件の予兆に、つねに気を付けておこうと思う。

空想特撮シリーズと、クラフトワーク

ジョジョ5部に登場するカプリ島を、10年ほど前に訪れたことがある。
風光明媚で夢のような青空が広がっていたが、
(最近 カフェで立ち読みした本によると)カプリ島は同性愛の聖地でもあったらしく、
皇帝やお金持ちが愛人を囲みたくなるのも頷けるような、光と影の濃いリゾート地であった。

カプリ島に現れるスタンド使いはサーレー、クラフトワークというスタンドの持ち主である。

この記事は、サーレーの元ネタ、クラフトワーク円谷プロの特撮作品についての覚書です。


 ***


クラフトワークは、ドイツ人のラルフ・ヒュッターとフローリアン・シュナイダーの2人が作ったテクノユニット。
母国語のドイツ語では「クラフトヴェルク=発電所」と読む。

サーレーのスタンドは任意の物体を好きな場所に固定させる能力で、どこからクラフトワークのイメージが繋がったのか? ちょっと不思議な感じがある。
クラフトワークの造る音色はとても固く、岩を削りだしたような趣があるので、
そんな堅固なイメージから、スタンド名をクラフトワークと名付けたのかもしれない。

クラフトワークの傑作は1970~80年代に集中していて、
Autobahn, Trans-Europe Express, The Man Machine, Computer Worldの4枚がとりわけ素晴らしい。

上記アルバムの音色は、いわゆるレトロフューチャーというものに該当するのでしょうか、
過去と現在と未来が同時に存在しているような、そんな不思議さと懐かしさが詰まっている。

キラキラ輝くオモチャに触れているような喜び、
手作りの工夫と素朴さ、最先端の技術で古典からの原野を切り開く面白さ。

アルバムコンセプトとしてはTras-Europe Expressが最も優れていて、
このアルバムを聴きながら、いつかヨーロッパを鉄道で横断したいものだ と呑気な夢を描いている。


クラフトワークの過去と未来を繋ぐ感じ、手作りの遊びを芸術に昇華させたこの感じは、
円谷プロの特撮シリーズ、空想特撮シリーズの、あの感じによく似ている。

空想特撮シリーズとは、1960年代に放送されたテレビドラマ、
ウルトラQウルトラマンウルトラセブンのことです。

私(ブログ管理人)は1976年生まれであり、残念ながらこれらをリアルタイムで観たことはありませんが、
20世紀後半の時代を切り取ったドラマであることに疑い無く、
過去に在りながら未来を描き、かつ現代(人間と社会)の普遍相を描く、文芸面の魅力がこのシリーズの胆である。


クラフトワークも空想特撮シリーズも、
大人が子どもの気持ちに戻って作った、純粋な創作の喜びが作品に溢れていて、
だからこそ、40年経っても50年経っても、多くの人の心を打つのだと思う。

ジョジョの作者 荒木先生は1960年生まれであり、
幼稚園~小学校低学年くらいの年代で、ガメラゴジラウルトラマンなどを見てきたと思われる世代である。

ジョジョに登場するスタンド使いたち、スタンド能力の「異形のキャラクターが毎回登場し、手を替え品を替え現れる楽しみ」は、
ウルトラマンで、新たな怪獣が毎週現れ騒動を巻き起こす、あの感じを基底にしているのではないかとも思う。

空想特撮シリーズに始まるウルトラマンシリーズの一連の作品で、最も強い怪獣は誰か?
ジョジョスタンド使いで一番強いのは誰か?と同じく、キャラクターを戦わせて楽しむ遊びは、古今東西 変わらずあるものなのだろう。

ゼットンバードンはどちらが強いのか、エンペラ星人とテンペラ星人、レイブラッド星人の相関性はどのようなものがあるか。
DIOと吉良、ディアボロ、プッチ。ヴァレンタインも含めて、時空間を操作するスタンドの最強能力は何なのか……
他愛もない空想であるが、考えているうちに穏やかに眠れそうで、不眠のときの安眠剤にも、空想遊びは良いものかもしれない。

人生の裏通り

東スポ裏通り」のようなタイトルであるが、「街頭 淫タビュー」や「ボッ起ン画像」のようなエロい情報をまとめた記事ではありません。
個人的に思うところ、人生の裏通り的な事柄の箇条書きです。(最後のほうで、ジョジョにも触れています)


XTC Oranges and Lemons を聴き返す。
アメリカ西海岸レコーディング、Dear Godに続けと「売れ線」を狙ったアルバムであるが、     
Poor Skeleton Steps Out、Scarecrow People、そしてMayor Of Simpletonと「売れ無さそうな雰囲気」がそこはかとなく漂う。
しかし、その外し加減、くどさ加減が私にとっては心地よく、XTCの個性として受止めている。

人生に破れた者の嘆きがあり、裏ぶれてはいるが、しかし落ち込んではいない。
(アルバムの中で、Across This Antheapはストレートな嘆きを描いた曲であるが…)

Oranges and Lemonsは元気が出るアルバムで、
骨だけになっても、カカシ人間になっても、バカの市長と呼ばれても、めげずに逞しく生きるアンディ・パートリッジの有り姿が脳裏に浮かぶ。


・2017年シーズン 小谷野 栄一がオリックスの主力打者として好調で、このまま頑張って欲しい。

Number web掲載のインタビューで、
福良監督との10年来の付き合い、オリックス若手との関わり、
そして、パニック障害を発症して今に到るまで、どのような人生観・人間関係が移り変わっていったかが述べられている。

私自身も、小谷野氏と同じ頃にウツ病を患ったことがあり、今は緩解し、社会生活に復帰しているものの、
何かのはずみで調子が悪くなったり、クルマを空ぶかしし過ぎないよう、長距離ランナーのペース調整にいつも配慮している。

小谷野氏のインタビューはとても感動的で、客観的に見れば当たり前のことかもしれないが、自分には励みになるものだった。


水木しげるが、「人生をいじくり回してはいけない」にて、こんなことを述べていた。

人生 一生懸命努力して、成功する人は1割。
努力しても9割の人は報われないのだから、ノンビリ過ごしたほうが良い。

水木しげるならではの皮肉、諦観、本音 複雑な意味合いが込められており、味わい深い。
(正確なニュアンスをたどりたい方は、水木しげるの原著に触れてみてください)


あぶさん5巻 「酒ごころ」、「鰯雲

「酒ごころ」は、得体の知れないオッサンが、酒ごころーーお酒の飲み方、人生のありようを読者に伝える話。
ラストシーン 見開き2ページの迫力は異様である。

鰯雲」は、新潟の魚河岸で働く若者が、南海ホークスの入団テストを受けにくる話。
若者夫婦を前に呑みながら語る、あぶさんの言葉が忘れがたい。
「あと5年早くプロに入っていれば…それがぼくの悔いだ」
「その間 ぼくはただ飲んでいたに過ぎなかったのですよ」


ジョジョシリーズの主人公たちもまた、裏通りを歩く男たちである。

ジョナサン・ジョースターは歴史の陰に生きた英雄であり、彼らの子孫も同じくであった。

ジャイロとジョニィの闘う姿は典型的で、レースは失格、賞金も得られず、仲間の一人は戦いで命を落としてしまう。
友達の遺体を祖国に還す旅の中で、ジョニィは何を思ったのか。


・荒木先生の新書「ホラー映画論」と「映画の掟」。

死の「恐怖」、生にまつわる様々な「不安」をいかにして乗り越え、付き合っていくかの処方箋。

「男泣きサスペンス」とは、勝ち負けを超えた男の生き様であろう。


・裏通りとは、失敗ではない。屈辱でもなく、「負け組」でもない。

ハレとケ、表舞台・晴れ舞台に立つのは人生の一瞬。
料理の仕込み~調理にとてつもなく手間をかけて、一瞬で美味を味わうようなものである。


・広島カープの緒方が現役を引退したとき、アスリートマガジンのインタビューを受けていた。

現役生活を振り返って、思い返すのは苦しいこと、苦しかったときの思い出ばかり。
楽しかったことは一瞬で、辛かったときのことが頭に浮かびますーーそんなことを述べていた。

通算1500本安打を達成し、前田・緒方・金本の外野でトリプル3の究極を極めつつあった男が、
楽しかったことよりも辛かったことが多かったと言うのである。
男の人生 かくあるべしで、中條かなこが惚れたのも頷けるというものである。

東方定助は復活する

ジョジョリオンの連載 ダモカンの過去編が始まった辺りから、ウルトラジャンプをだいたい毎月買って読む習慣になっている。

月間でも週間でも、連載1回ごとに「引き」があって、次回の展開を想像する楽しみがあることは同じだ。
連載の合間を待つことはじれったくもあるが、コミックスの一気読みには無い、リアルタイムで体験する楽しみ、ヒマなときにあれこれ考える楽しみがある。
(テレビドラマの次回予告に焦らされたり、プロ野球ペナントレースの盛り上がりをジリジリ体験するのと、同じような感覚だろう)


 ***


ジョジョリオン 最新話(4月18日時点)は、ドロミテが康穂に追い詰められて、自白を開始した所で終わっている。

ドロミテの話までで、主人公の定助は、合計3回、水に沈んで生死の境をさまよってきた。
夏の海岸で、ジョセフミが溺れて死にかけたとき。
ジョセフミと吉良が、岩人間の襲来を受け、壁の目のそばに沈み込んだとき。
そして今回、ドロミテの策略で、六つ壁神社の池に沈みかけたときである。

3回 水に沈むたびに、いずれも、主人公は女性に助けられ命を救われている。
これは、面白いネタが思いつかないためのマンネリではなく、作者の意図による繰り返し、重ね合わせだと思われる。


たしか、ジョジョベラー 付属冊子のインタビューだったと思うのですが、荒木先生の発言で、
「定助のセーラー服は、漂流している人の象徴です」と述べられていたことがあった。

ここから先は、私自身の憶測、主観的な思い込みが入った見解なのですが、
ジョジョリオンの物語は、大きく2つの軸があり、
犬神家の一族」になぞらえた東方家の家督争いの物語と、3.11 東北大震災からの復興をテーマに定助を描く物語になっていると思う。

インタビュー等によれば、
ジョジョリオン 第1回めのネームを書き始めている頃に3.11 東北大震災が起こり、
「仙台の物語を描くにあたり、震災を無視することはできない」と、急きょ 壁の目の設定が付け加えられたそうである。

定助がセーラー服を着たまま記憶を失い、帰るところを探しさまよっている。
(震災の被災者では無い私が、あまり簡単に言うことはできないのですが)
東北の大震災、熊本の震災であったり、戦災、交通事故や犯罪被害、ガンや急病などさまざまな災厄。

記憶を失い、「定まるところ」を求めてさまよう定助の姿は、視点によってはとてもつらく、
そのつらさを中和するため、ボケたゆるいキャラクターが設定されているのかもしれない。


定助が地面の中に沈んでいくのは、(水木しげる風に言えば)「あの世」、死の世界へ沈んでいくことの象徴である。
そして、ホリーさんや康穂の手助けを借りて、そこから何度でも定助は復活する。

定助は死なない。

ジョジョリオンのラスト 私の予想ですが、
定助の記憶は最後まで戻らず、壁の目から蘇った後の記憶を基点に、康穂たちと新しい人生を歩み始める。

定助が4回目の水没をしたり、ロカカカの実を他人に分け与えて死んでしまったり、主人公が死んで終わるラストにはならないのではと思う。

記憶が無くなっても、住む家が思い出せなくなっても、仲間がいれば、きっと人生を歩んでいける。
震災からの復興に祈りを込めて、希望の持てるラストになるのではないか。そんな気がしている。

(常敏か憲助のどちらかは、因果応報の報いを受けて死んでしまうかもしれない。常秀やカレラは、大体あんな感じのキャラで終わるだろうと思う)

 

 

追伸:

上記の記事を書いた後、インターネットを検索してみたところ、

3.11と芸術というテーマにて、2014年 河北新報が、荒木先生のインタビューを行っていました。

宮城県NPOに勤務する方のブログで、3.11とジョジョリオンについて触れた記事です。よろしければご一読ください。

「オレは誰だ?」3.11に被災した杜王町をめぐるジョジョの奇妙な冒険。 - マンガHONZ

 

「人生をいじくり回してはいけない」 水木しげるの背後霊と、ジョジョのスタンド使いたち

水木しげる先生のエッセイ「人生をいじくり回してはいけない」を読んだ。

税務署や世間の冷たい仕打ちに心が折れて、クジけていたときに手にとったのだが、
南伸坊デザインのゆるい表紙につられて手にとった、水木さんのエッセイはとても面白く興味深いものだった。

南伸坊さんには、昔 京都のトイレで隣になったことがあり、南さんに「スミマセン」と会釈されたことがあった。
そのときの私は若くて余裕が無く、他人を寄せ付けないような怖い顔をしていたのだろう。申し訳ないことだったと思う)


本書は、水木しげるのオールタイムエッセイ・インタビュー・放談から、人生にまつわるモノを集めた選集である。
太平洋戦争に従軍した話、ラバウル土人との交流、紙芝居描きからマンガ家を目指した戦後の話、境港の水木家のルーツの話などが出てくる。
水木しげるのお父さんとお母さんの話、紙芝居を描いていたときの話は初めて読み、面白かった。

「蝶になった少女」の章、中国人女性と土人の少女の話が切なく美しい。
死んで生まれ変り蝶になった少女というと、ジョリーンのラストを連想するところもある。


もちろん、同書のメインテーマの一つは「妖怪」で、
妖怪を見るのではなく、いかにして「感じる」のかなど、面白いエッセイが並んでいる。

不勉強のため初めて知ったが、江戸時代に鳥山石燕という妖怪を描いた画家があり、
「鬼太郎」に登場する妖怪たちは、石燕の「百鬼夜行」、柳田國男の「妖怪談義」をベースに発想、デザインされていったとのことである。

私自身の主観的な、何となくの連想であるが、
水木しげるの妖怪たちは、妖怪ウォッチの現代の妖怪たちの基となっていることはもちろん、ウルトラ怪獣鳥山明のモンスターたちにも繋がり、
そして、(後述しますが)水木しげるの背後霊は、ジョジョのスタンドにも繋がっているような気がする。

水木さんの言う「あの世」、資本主義的現実世界から離れたもう一つの世界が、
夢や空想の幻ではなく、どこかで繋がり、大きな実在となって存在している気がする。
ーーこれは、水木さんのエッセイを読んだばかりで夢見心地になっているというだけではなく、半分くらいは、本当にそのようなモノがある気がするし、あって欲しい。そう思う。


(本書には、その他にも、水木しげるが妖怪の風景画を書くために、日本の風景写真を撮りためて自家製の辞書を作った話。
鬼太郎やネズミ男に実在のモデルがいたり、目玉おやじが連載マンガの苦し紛れから生まれたアイデアだったりと、
ジョジョにも通底する、マンガ製作の面白い話が沢山でてきます。
ちくまの文庫本で、千円しない値段で買えるのでお得だと思います)


 ***


ーーすこし順番が前後してしまったのですが、
水木しげるの「人生をいじくり回してはいけない」に、「予期せぬ出来事」「死について」というエッセイがあります。

水木さんが50~60代を迎えたころ、(出身地である)出雲のご先祖さまの夢を見るようになり、
生命の危機を乗り越えたり、成功のチャンスを掴んだり、ご先祖さまが背後霊となって救ってくれていたのではないか。
そして、出雲の祖霊さまたちは妖怪とも重なり、ラバウル土人たちと似たノンビリ貧しく、幸福な暮らしぶりをしていたのではないか という一節があります。

妖怪マンガで人並み以上の成功を手に入れた後、人生を落ち着かせた熟年の水木先生が、夢の中で得た着想です。


面白いなと思うのは、荒木先生がジョジョの「スタンド」を考え付いたとき、
作者は30歳に差し掛かるくらいの年齢で、ヒットを掴むべく、いちばん上り調子であった頃です。

スタンドは自らの「意思の力」で現れるもので、側に立ち、戦うものです。

連載が進み、4部の終盤から運命論が表に出てくるようになり、
作者が40歳を越えた頃、6部以降の連載では宗教論・宇宙論も加わって、
物語の中に、自分の力を越えるもの、自分自身ではどうしようもないものが現れ、主人公たちがどう折り合いをつけるか? そんな展開が描かれるようになってきました。

7部以降の連載では、聖なる遺体の奇跡、呪いの病とロカカカの実が登場。
露伴の読みきりでも、マナーの戦いを挑む山の神が敵として現れるなど、物語が不可知の領域に進みつつあります。

少年ジャンプ連載の頃は、自分の意思でスタンドを発現させ、知恵と勇気、仲間との友情で敵を打ち倒してきたものが、
作者が40~50歳を越えるにしたがって、自分自身よりも大きなもの、どうしようもない運命論の中であがく人間の戦い、
運命を切り開きつつ運命に準ずる、そんな人間の有り姿を描くことに、着眼点が移り変わってきました。


水木しげるさんが60歳になった頃にたどりついた、自身の人生を見守ってきてくれた守護霊(背後霊)たち。

そして、荒木先生が今のジョジョリオンから9部にかけて描いていくだろうスタンド使いたちが、どんな人生の軌跡を描いていくのか。
楽しみに読んでいきたいと思っています。

ジョジョを野球選手に例える 8部編 (作成中)

ジョジョを野球選手に例える 8部、ジョジョリオン編。

ただし、ジョジョリオンはまだ連載中で物語のかたち・イメージが固まりきっていないため、
あくまで「作成中」の扱いです。

2014年~最近にかけて、オリックス・バファローズに注目してプロ野球を観ることが多いので、
オリックス関係の選手が多くなっています。


●8部

定助=糸井嘉男

康穂=小谷野栄一

カレラ=森脇浩司(監督)


ホリーさん=福良(監督)

吉良=金子千尋

ジョセフミ=吉田正尚

ジョセフミの母=栗山英樹(監督)



憲助=清原和博(引退後)

花都=桑田真澄(引退後)

常秀=中田翔

常敏=菅野智之

つるぎ=稲村亜美


ダモカン= (?)
ドロミテ= (?)
愛唱= (?)


岩切厚徳=田中将大


ーーざっと思いついたのは、こんなところです。

ダモカン、ドロミテらの岩人間について、本当は、プロ野球選手で当てはめることは可能です。
(安易な連想として、デブのイメージでドカベン香川、ハゲのイメージでピッカリ投法の佐野など)

しかし、杜王町における岩人間の位相、立ち位置を考えると、
「人間以外の存在」、「危険薬物の密売に手を染める犯罪者(ヤクザ)」であり、とてもヤバイ連想に繋がっていきました。

何名か、実在のプロ野球選手(OB含む)でピッタリ当てはまりそうな人がいたのですが、
ご本人の名誉を棄損する可能性もあり、実名は差し控えさせていただきます。
プロ野球の賭博、犯罪、トラブルなど「黒い歴史」に詳しい方は、当該人物をイメージして楽しんで頂けるかもしれません)