ジョジョ読者のブログ

ジョジョの奇妙な冒険の感想、批評、考察を書いています。

ジョジョ1~8部までを概観する

ジョナサンジョースターが生まれたのは1868年 日本では明治元年。偶然の一致とは思うが、近代 modern timesを生きた象徴のようだ。

ジョジョはエデンの東ほかに範を取った大河ドラマで、もともと1部から3部までの三部作が大まかに構想されていた。1部→2部→3部と時代が流れ、3部で現代に到達すること、1部の宿敵が復活し3部で倒されることまでは薄っすらイメージされていたという。

作者自身がどこかで、「ロックアルバムには、名盤と呼ばれる一歩前のアルバムがあり、自分はその名盤一枚前のアルバムが好きだ」と発言していた。

ジョジョ1~3部の流れは、まさにその、ミュージシャンがアルバムを重ねて名盤にたどり着くような、作品の成長と勢いが感じられる。個人的独断では、3部が名盤で、2部がその一枚前のアルバム。1~3部28巻をあわせて、一つの作品群を形づくっているという印象だ。

 

4部から先は、もともと作者の構想には無かったという。4部が1999年の未来の話になり、ジョウスケがジョセフの隠し子(もう血縁が無い)だったのは象徴的だ。4部がはじまった当初、これは1~3部の番外編だと思ったし、作者がOVA付録で「(4部当時の)ジョジョを、一種の舞台装置として描いている」と発言するのを聞いて人気商売の大変さを想像したりした。

5部が始まったとき、まさか番外編2をやるのか?と思った。

6部は、3部の結末を直接引き継ぐ続編として始まったが、1~3部の出来に較べると幾分落ちるため、あまり嬉しいものではなかった。

7部、8部は文字通り新世界に入っていて、1~3部とは別の話だ。

 

7部 SBRの後半くらいから、作者自身のセルフオマージュ、パロディが作中に散見されるようになってきた。5部完結時 カーズやポルナレフを復活・再登場させてよ!との読者の要望に、「意味のないことはやらない」と断言していたが、作品全体がその頃からゆるくなってきているように感じる。同じインタビュー本にて「よく切れる刀もやがては鈍り、切れなくなる。ある程度のところで絶頂を迎えたら、スパッと引退してゆっくり暮らすのもいいかもしれないね」と述べていた。皮肉を感じる。

 

自分としては、ジョジョは1~3部でいったん完結している。

4,5,6,7部 それぞれに読みどころがあり魅力もあるが、やはりこれらは1~3部の番外編、同じ設定やキャラクターを引き継いだ別の漫画を読んでいる、という感覚がする。

集英社編集部は6部くらいからジョジョの冠を外し、荒木飛呂彦の新連載!のコピーで漫画を売りたがっていた。作者はそれに反対し、ジョジョシリーズを描き続けることを求め、描き続けてきた。今は、集英社がジョジョ25周年とか言い出して、出来の悪いアニメをファン向けに粗製乱造し、鼻息荒く商売している。

 

ジョジョが何部まで続くのか分からないが、幸いなのは1部ごとに完結し、どこからでも読める、一塊ずつの構成になっていることだ。

作品を読む意味は、読者である自分が、作品から何かを受け取り、再構成し、何がしかの形で活かされることにある。ジョジョがいつまでも連載され続けることよりも、自分がジョジョから何を受け取り、学び活かしているか振り返ったほうが有益だ ということだ。