ジョジョ読者のブログ

ジョジョの奇妙な冒険の感想、批評、考察を書いています。

ドラゴンボール 2004年に書き加えられたラストシーン

ジョジョと殆ど関係なくて恐縮ですが、ドラゴンボールの話です。

 

ドラゴンボール完全版 34巻だけを持っていて、このほど読み返した。

自分にとって2大影響を受けた漫画の一つがジョジョ、もう一つがドラゴンボールおよびアラレちゃん 鳥山明先生が描く一連の作品だ。

 

ドラゴンボールは周知の通り、人気が出すぎて連載を止めることができなくなり、亀仙人がもうちょっと続くんじゃと言ってから2倍以上の紙数を費やしてやっと完結した漫画だ。連載当時 絵が荒れて、すさんだグロテスクな描写も多くなり、痛々しい思いでセル~ブウの話を読んだものだった。

ジャンプ連載時のラストから、完全版刊行にあたり、作者のおわびなど時事的要素を省き、(作者の思いに添うだろう形で)若干のシーンを書き加えたのが完全版34巻だ。

 

終盤を読み返していると、べジータや悟空が父親となり、地球を守る(≒仕事をする)大人・社会人の観点を持っていることに気づく。ミスターサタンや犬は、ドクタースランプの世界観から抜け出してきたようなキャラクタで、ブウが地球を吹っ飛ばしたときにこの2人が生き残ったのは、作者一流の優しさの表現なのだろう。

べジータカカロットを見守るセリフにもあったが、優しさと強さを兼ね備え、そして純粋であること。お金や世俗には無関心なようで、しかし大きな所では地球を守る大きな仕事をしていること。悟空には、鳥山明が意識無意識に追い求める人間の理想が体現されているのだろう。

 

書き加えられたラストで、もっとも印象深いのが、悟空が筋斗雲を呼び、ウーブが幼い日の悟空と重なりながら空を飛んでいくシーンである。

よい絵本・よい創作は、子供のときも、大人になっても違う視点でさまざまに楽しむことができるという。ドラゴンボールは、子供のときは悟空の視点に立って読み、大人になってからは亀仙人や作者の哲学・思想に触れながら世界全体を楽しむことができる。

自分の子供と一緒になってドラゴンボールを読み返している(悟飯が生まれた所くらいまで読んだ)のですが、ラストシーン 悟空がにっこりとウーブを見守るシーンには、来るものがあった。

1995年 ドラゴンボール大全集ラストカットの悟空は、本当に死んで、消え去っていくような痛々しく弱弱しい姿だった。その後 2004年に上述のラストシーン、それーっ!!と空を飛ぶ悟空が書き加えられたのは、9年間の時間に意味があり、集英社のたくましい商魂が作品を磨き上げた好例とも言えるだろう。

 

ジョジョは現在進行形の作品で、完全版が出るのもまだ少し先の未来だろう。ドラゴンボールは、ギャグ→ストーリー(バトルヒーロー)→ギャグと、大きな環を描いて世界観が閉じる形で完結した。ジョジョの物語がどんな形で完結するのか、予想することは難しい。作者の好奇心・知的興味が広がるかぎり描き続けて、作者が断筆したところで終わりになるのかもしれない。