読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ジョジョ読者のブログ

ジョジョの奇妙な冒険の感想、批評、考察を書いています。

理想と現実

7部SBRから、連載の舞台が少年誌から青年誌に変わった。正確には、2nd stage、遺体争奪戦の始まる所からウルトラジャンプでの連載に切り替わった。

作者がどこまで連載誌の切り替えを意識したのかは分からない(本人じゃないので)が、SBRという物語の風合い、雰囲気はそれまでのものとは大きく変わった。大人向き、乾いた風向きが強まるものとなった。

 

7部のクライマックスは、大統領がジョニィに無限の回転を止めるよう説得するシーンだと思う。そして、説得が物別れとなり、拳銃での撃ち合いの末、無残な結果が残った所でジョニィが嗚咽するシーン。

父のハンカチを持って「決して報復はしない」と誓う大統領。そして、この大統領は、ジョニィが無限の回転を止めていたなら、ほんとうに報復をせず、遺体を巡る争いと遺恨を自らの内に収めたのではないか?ーーそう思わせる説得力と誠実さがあった。

ジョニィは結果的に大統領を殺し、ルーシーを守った。しかしその過程で親友のジャイロは死んでしまい、ルーシーが血まみれで横たわり、ただ遺体が転がっているだけ。ジョニィにとって、何を得たのか、何をつかみ損ねたのか すぐには判断しかねる状況だった。

(このシーン 連載時には「勝利者なき勝利……」というアオリが付いていて、雰囲気をうまく表していると感心した。6部連載時のただエキセントリックなアオリよりも、こうした静かな言葉のほうが、伝えるものがあると思う)

 

1~3部 たとえば承太郎が主人公であれば、上記のような結末にはなっていない。承太郎は、DIOとの因縁を決着させるために登場したキャラクターで、絶対に戦いに負けてはいけない。花京院たちを戦いの中で失いはするが、彼らの犠牲を活かし、DIOに勝利する。承太郎(主人公)の旅の目的は達せられ、当初求めていた以上のものーー仲間との友情ーーを手にいれ、物語は終わる。

 

5部6部からテイストが変わってくるが、主人公が必ずしも全てを手に入れ、当初の目的を完遂するような、理想的なハッピーエンドでは収まらなくなってきた。

そして、7部でその傾向は顕著になる。

なにせ、ジャイロは旅の途中で大統領に敗れ死んでしまう。旅(レース)の目的であったマルコの恩赦は結果的には果たされ、マルコは処刑されないが、釈放後 あっけなく風邪で死んでしまう。

ジョニィは自らの足で歩き出せるようにはなったが親友を失い、そしてレースを完走することはなかった。

 

1~3部のサーガはひとつの神話、理想的なキャラクターが理想的なストーリーを演じきる物語であったが、7部からは現実を生きる人間たちのファンタジーに変換してきている。

それはまるで、理想(夢、想像、妄想)の中に生きる子供が無敵なのと、現実に飛び出し生き始めている大人が必ずしも勝利できないこと。子供と大人の、理想と現実の違いを表しているかのようである。

シュガーマウンテンの「全てを差し出した者が、最後には真の全てを得る」という啓示は、人生の幕を終えたジョニィ・ジャイロ、そして現実を戦い続ける大人の人生にも当てはまるのだろう。