ジョジョ読者のブログ

ジョジョの奇妙な冒険の感想、批評、考察を書いています。

ジョジョをリアルタイムで読んだ記録

ジョジョをリアルタイムで読んだ記録。ごく個人的な記録です。


ジョジョに遡る、荒木作品との出会いはバオー来訪者が最初。
兄が買っていた少年ジャンプで読んでいた。
初回掲載前の予告(バオーが正面向いて吠えるカット)と、最終回の見開き表紙を覚えている。

次に、ジャンプオータムスペシャルでゴージャスアイリンの読みきりを読んだ。
大女の描写が気持ち悪くて、そのあたりを印象的に覚えている。
本誌以外のジャンプには、この他にもアクの強いのがあって、
読みきり時の山下たろー、ばちあたりロック、梨本小鉄、昆虫がカマキリと戦う読み切りなどがあった。

そして、86年末 ジャンプでジョジョが始まる。
近所に住んでいた幼馴染 H君とU君が、ジョジョ1部を高く評価していたのを覚えている。
二人とも裕福な家庭の育ちで、一流の趣味嗜好を持っていたので、ジョジョはすごいのか…?と思わされた。
しかし、自分には当時、1部2部は読んではいたが、コミックスを集めようなどとは思わなかった。

89年春 3部が始まる。
ここから本腰を入れてジョジョを読み始め、ジャンプをリアルタイムで読み、12巻から第1刷を買い始める。
今考えると、3部が始まる直前 家族でアメリカ旅行に行った。そのときの壮大なイメージが、世界を旅する3部の旅情にフィットしたのかもしれない。
スタンドという新能力があらわれ、タロットに暗示する能力ということで、タロットカードを買い、今後の展開を予想したりした。

90年 太陽戦が終わったあたりから、硬派一辺倒だったエピソードに、ギャグの割合が多く含まれ始める。
シリアスでクールだった承太郎たちがギャグでおちゃらけていくのが嫌で、女教皇 スキューバダイビングをやるのかよの回で一旦ジャンプを買うのをやめる。

しばらくしてふとした買ったジャンプは、ンドゥール戦決着の回。そして、オインゴが承太郎に変身する回から再びジャンプを買い始めた。
今ではオインゴボインゴのエピソードはかなり面白いが、当時は承太郎の崩れっぷりが何か嫌だった。当時中2で、まさしく背伸びをしたい中2病の盛りだったのだろう。

ジョジョ3部は、エジプト上陸後あたりから、硬派⇔軟派の振れ幅が大きくなり、シリアスとギャグを絡めたより豊かなエピソードが展開されていく。
思うに3部は硬派⇔軟派のバラエティーがバランス良く、4部は軟、5部は硬、6部はよく分からない風味、7部は硬軟豊か、8部は軟 という印象だ。


ジャンプを読み続けて、4部に入って、敵が弱くなった、物語に目的が見えなくなったと感じていた。
自分自身が高校生になり、92~95年 内省的な日々をすごしていたが、4部の連載期間と一致する。
自分が高校生になるのと同時に、ジョウスケがリアル(?)高校1年生として登場したのだが、そういった親近感は抱かなかった。
ジョジョで描かれる杜王町が、リアルな高校・街というよりは、どこか幻想的理想的、かつ不穏な雰囲気の町だったからだろう。

4部の終わり 早人が猫草に祈りを捧げるあたりで、ジョジョを読むのは相当辛くなっていた。シリーズの終わりを感じたからだ。
しかし、ここからの早人の巻き返し、ジョウスケと吉良の戦いには心動かされるものがあった。
その後、まさか5部が始まるとは思わなかったが、今から番外編その2を描かされるのか、無事に完結できるのか?と不安が大きかった。

5部が始まってからもジャンプをリアルタイムで読み続けていたが、20歳を越え、毎週 週刊少年誌を買うのが辛くなってきた。
ベイビィフェイスをピラニアで倒した回で、ピラニアで攻撃するアイデアがいかにも子供っぽく陳腐に思え、ジョジョ・ジャンプを自分が読むのもそろそろ限界か? と思った。

5部 ボートに乗るのは?の話で心動かされ、ボスがリゾットを倒した回でジャンプを毎週買うのを止めた。
今思うと、ジョジョに終わりが近いように思えたのと、いよいよジャンプを毎週買うのが恥ずかしくなったからだ。
5部中盤以降 ジョジョの絵は汚くなり、ジャンプの紙面では読みにくかった。

ジョジョ6251、OVA、ジョジョ A Go Goは貴重な二次商品で、もう次は無いだろう、大事に鑑賞しようと思って眺めた。

5部ラストを単行本で読んだとき、ジョジョは完結したと思った。週刊連載が終わったからだ。
しかし、その後しばらくしてジョジョ6部の告知を、死刑執行中脱獄進行中の帯で見つけたときにはビックリした。

6部第1回 ジャンプを買い読んだが、2回目以降 ジャンプを買うことはしなかった。
喫茶店でとぎれとぎれに読むことはあったが、コミックスが発売されるたびに買い、読んでいった。
6部は全体的に読むのが辛く、あまり面白い印象はなかった。
懲罰房のあたり、ケンゾー~ヨーヨーマッ~緑色の赤ちゃん辺りが特に辛く、絵は荒れ、トリックは破綻し、作者も描いていて辛いのではないか?という感じがした。

神父が脱獄した辺りから、作品に異様なテンションが漲るようになってきて、ラストの展開まで引き込まれた。
6部を読みながら、ジョリーンが脱獄・正常に社会生活に復帰することはもとより難しく、SPW財団の助けを借りて逃げ回るのも誇り高くないし、ラストをどのように収束させるのだろう?と常々思っていた。
最終的には世界全部をひっくり返すオチになったが、作者も、今まで描いてきた作品世界に決着を付けたいと思ったのだな…と感慨深かった。
3部、4部、5部が終わったときにも思ったが、6部完でジョジョは完全に終わったと思った。


ところがご存知のとおりジョジョは終わらず、
2004年にSBRが始まり、ジョジョは各種の2次商品を生み出しつつ連載25年を超え、8部ジョジョリオンに至っている。

7部以降の展開で、荒木先生的にいちばん辛かったんじゃないかと思うのは、
ブンブーン一家~オエコモバ辺りからの停滞と、ウルトラジャンプ移籍時のワイヤード戦あたりだ。

馬による大陸横断レースとして1st stageが始まり、それなりに面白く、6部までとは違った新機軸を打ち出したい気概を感じた。
しかし2nd stageからはどうも描画に勢いがないように思え、ブンブーンやオエコモバのスタンド・キャラ描写にも既視感が強くいよいよネタ切れ・手詰まりかと感じた。
ジョニィがジャイロの秘密を語り始める唐突さ、ブンブーンたちの練りこみ不足、バトル展開の荒っぽさ、オエコモバ戦ラストのグロい顔面は連載終了のヤケクソさを感じさせ悲しかった。

SBRは、冒頭 スティール氏の言葉通り、荒木先生が新たな冒険の地平を切り開こうとスタートしたものの、
連載打ち切り、レース(=連載)は失敗、しかし冒険は行ったーーという形で完結してしまうのかと思っていた。

だから、ウルトラジャンプでSBRが再開すると聞いたときは驚いたし、嬉しかった。
例えると、2011年秋に理不尽な監督解任を食らわされた落合が、ガッツポーズ坂井氏の解任(辞表提出)と共に、谷繁監督・森投手コーチ・落合GMのトロイカ体制で復帰すると聞いたときのような感触だ。
少年誌の枠にとらわれていたジョジョが、青年誌で新たな地平を得る。
それは、もう少年ではなくなっていた自分(当時29歳)が、青年・大人に向けたジョジョを新たに読める、そんな期待と喜びだった。

SBRがウルトラジャンプに移籍したとき、ジョジョの奇妙な冒険part7のタイトルが復活した。
そして、ウルトラジャンプ移籍後最初の敵はポークパイハット小僧、ギィーギィー唸り声を挙げる少年の刺客だった。
作者がどの程度意識したかは分からないが、自分は、これを少年誌からの決別、少年を殺し大人になるという密かな宣言と受け取った。

ポークパイハット小僧戦は、月刊誌で読むはじめてのジョジョで、展開がなかなか進まずまどろっこしかった。
2005年初め~初夏くらいまでの連載だったが、この時期、自分の身の上にも大きな変化があり、仕事で大変な時期だった。
小僧戦を終え、ジャイロがジョニィに見せた笑顔。感激しながらも涙をこらえ、顔をあげたジョニィ。2人の表情をよく覚えている。

その後のSBRは、ディオ登場から勢いを取り戻し始め、リンゴォ・ブラックモアでピークに入り、
遺体争奪戦を軸にしながらの2人旅に引き込まれるように読み続けた。
SBRは連載のほぼ全てをリアルタイムで読み(読み逃したのは、2nd stage 虫使いの話だけ)、コミックスも1刷で集め続けた。

ジョジョリオンは、第1回はウルトラジャンプで読んだが、何となく自分の好む旅・冒険ものではない雰囲気で、
ジャンプは買わず、コミックスが出るたびに買って読んでいる。


ジョジョの単行本を読んでいると、
はじめて読んだ当時のこと、その時やっていたことや周囲にいた友達、まわりの環境のことなどを思い返す。
ジョジョのマンガが、当時を生きていた自分のアルバムにもなっているのだ。

そうした意味で、これまで買い集めたコミックスは大事に保存していきたいし、また年をとったら読んでみたいとも思う。
(20歳を超えて、ゲームやジャンプをしなくなってから、マンガをたびたび読み返すことは無くなった)