ジョジョ読者のブログ

ジョジョの奇妙な冒険の感想、批評、考察を書いています。

短編作品集「岸部露伴は動かない」  リセットできる強み、無限に続く杜王町のその後

短編作品集「岸部露伴は動かない」が発売され、まだ読んでいなかった富豪村、密猟海岸の話を読んだ。

1997年作成の懺悔室と2013年作成の密漁海岸では、絵柄やコマ割りが随分変わっており、昔に比べると今はアクが抜けたというか角が取れたというか、わけのわからない勢いや気持ち悪さは随分減ったのだなあ と感じた。

個々の作品を見ていくと、面白くて、懺悔室、富豪村が1番2番。荒木流のホラー・サスペンスが伸び伸びと描かれていて、気持ち悪かったりサスペンスだったりする感じがよく迫ってくる感じがした。

 

一歩離れてこの短編集 全体を見ると、作者が自由に描いているというか、伸び伸び気持ちよさそうに時々のストーリー・キャラクターを描いていってるような、そんな感じがする。

この短編集は4部のスピンアウトのような格好になっていて、4部8部のキャラ・舞台設定と一部食い違ってるところもある。

(作者に確かめたわけではないが)手塚治虫スターシステムのように、キャラと舞台を適宜、その時々の描きたいストーリーに当てはめてるのではないかと思う。

 

思うに、この短編集の伸び伸びとした自由な感じは、ジョジョ(1~8部)長編のデメリットと対になっていると思う。

ジョジョは長編作品であるが故に、各部ごとのストーリーや設定がある程度は連動し、各部ごとの辻褄が合ってないといけない。また、スタンドやキャラに被りが合ってはいけないとか、設定を複雑にしていかざるを得ないとか、いろんな縛りがあるのだと思う。

自分自身はプロ野球でいう「記録よりも記憶派」で、

細かい設定や数字の辻褄合わせよりも、個々の作品で描かれるストーリーやテーマ、キャラクターや絵がすばらしく真に迫るものであればよい、それこそが必要だ という趣味嗜好なのだけど、世の中には数字や設定の辻褄が合ってないと気持ちよくない人もあるのだと思う。

 

荒木先生がコミックス21~22巻? 前書きで述べていたように、記憶力が悪いことにはメリットもあり、「過去にとらわれず、自由に身軽にアイデアを出すことができる」。露伴短編集には、この「リセットできる強み」が宿っており、短編作品ならではの面白みが出たと思う。

 

 

自分的には、ジョジョ4部のリメイクである8部も、この露伴短編集のような、あるいはデッドマンズQのような、「無限に続く、杜王町のその後」で良かったんじゃないかと思う。

今までの所 8部は、6部と似て、無理に狭い世界で展開を進めるために話が煮詰まっており、最後に鍋ごとひっくり返して終わりを迎えるような、そんな息苦しさがしてならない。

杜王町のお話が表現しているのは、結局のところ「日常の豊かさ」だと思う。

今生きている自分たちが、大きくは人類が終わりを迎えず毎日を無限に生きている(つもり)のように、4部のリメイクも無限に続く日常であってよいと思うのだ。