ジョジョ読者のブログ

ジョジョの奇妙な冒険の感想、批評、考察を書いています。

帰納法と演繹法

ジョジョリオンを読んでいると、連載1回ごと、エピソード1つごとに描写や設定が食い違ってきて、物語に入り込めなくなってしまうと以前のブログで書いた。
ジョジョリオンの場合、謎解きのミステリーが主眼の物語であるため、これらの謎が食い違ってきてしまうと、舞台裏のボロが見えてしまうようで白けてしまう。

しかしながら、ジョジョ、または連載形式で語り継ぐ物語の場合、
連載を進めるごとに、直近の描写と初期の描写が食い違ってしまうのは良くあることである。
ジャンプマンガを例に取ると、ドラゴンボールで悟空が宇宙人と設定されたのはサイヤ人編以降だし、
北斗の拳武論尊自身にもどのような物語か分からないまま、一週一週物語を書き進めていったという。


演繹法帰納法で考えると、
ジャンプマンガ、連載形式で語り継ぐ物語は、演繹法による作劇がフィットしていることが分かる。

帰納法で描かれるマンガとは、最初からストーリーの結末を決めて、そこに帰着するよう描かれるマンガのことだ。
荒木作品で言えば岸部露伴は動かないなどの短編、ジョジョ1部が当てはまる。

帰納法で描かれるマンガは、論理的にピタッと収まるジグソーパズルのようなもので、パズルの出来上がった瞬間が読んでいて気持ちいい。
しかしながら、作者自身にも予想のつかない意外な展開は、この方法では生み出しにくいかもしれない。


かつてドラゴンボールの鳥山先生は、ドラゴンボールを、あえて先の展開を考えず、(読者と一緒に)ワクワクしながら描き進めていると述べた。
荒木先生も、ジョジョの毎回の展開で、敵を強くしすぎてしまって困ってしまい、来週どうやって勝つか 頭を悩ませていたという。
帰納法は頭の中の概念、演繹法は実人生を生きる知恵、と言い換えてもよいのかもしれない。

ジョジョリオンは、荒木先生の頭の中に何かしらの設計図、結末が見えてきているような気がする。
ゴールが見えてからの盛り上げ方には定評があり、8部のクライマックスを盛り上げていってほしいと思う。