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ジョジョ読者のブログ

ジョジョの奇妙な冒険の感想、批評、考察を書いています。

スティールボールラン と ドラゴンヘッド

今、自分が最新作の連載をおいかけて読み続けているマンガは荒木飛呂彦望月峯太郎(ミネタロウ)の2人だ。
鳥山明はマンガを殆ど描かなくなってしまったので、この2名になっている。

二人の書いたマンガでスティールボールランドラゴンヘッドは、似た批評を受けている作品で、
「竜頭蛇尾」
「導入部はワクワクさせられたのに、ラストに向かってスッキリしない展開で、もやもやしたまま終わってしまった」
というような感想を受けていることが多い。
果たして本当のところはどうなのか? 自分の思うところを書いていこうと思う。


ドラゴンヘッドは、自分が20歳前後の頃に連載されていたマンガで、主人公に自らを重ねて読み進めた。
1~3巻をまとめて読んで、とても恐ろしく、以降 新巻が発売されるたびに、1巻ずつ読んでいった。
初読したときは、コミック1巻ずつを読むために、展開と謎解きがスローなようでもどかしく、尻すぼみにも感じた。

最近 はじめて1~10巻を通読したのだが、一気読みすると、作品全体の構造を見通しながら読め、楽しむことができた。
アコ・テル・仁村のキャラクター、どこから来てどこへ行くのかは、しっかり構想を立てられた上で、書きすすめられたことが分かる。

初読時は、天変地異の原因・謎はどこにあるのか? 主人公たちは死ぬのか生き残るか? 展開の行く末が気になって読んでいて、
そこら辺りはぼやかされたまま終わるので、不満を感じたりもした。
しかし、今読んで分かるのは、
この作品は「恐怖の克服」「世界と人生、愛を見つめること」をテーマに描かれており、
アコとテルが恐怖を克服し、新富士山が爆発する新世界(新東京)にたどり着いたことで、かすかな希望の生まれたラストとなっていた。

望月ミネタロウのマンガのテーマは明確で、「愛」「カッコ良く生きること」をいかに描くかにあり、
字で書くと何とも浮わっついて〆らないが、描写の妙、つくりこんだ創作の力で、説得力を持たせているのだと思う。


ことはマンガに限らないが、創作作品を読むとき、
自分の体験・感情と重ね合わせて読めるかどうか、は、面白く読めるかどうかの重要なポイントだと思う。

ドラゴンヘッドで言えば、初読当時はまわりに友人もおらず、20歳前後の不安定な時期で、
天変地異にとまどう主人公に自らを重ね、刺激的な描写の数々に息が詰まる思いで読み進めていた。
しかし、働きはじめて10数年が経ち、身の回りの状況も大きく変わった現在では、
アコやテル、ノブオをも見つめる作者の優しい視線に意識が向き、
ヤンマガ読者であるような10~20代の若者に向けて、作者がメッセージを込めつつ、この世紀末の放浪譚を描いてきたことが感じ取れる。


スティールボールランも事情は似ていて、
若いときの自分が読んでいれば、少年ジャンプバトルマンガの基準で読み、理解しようとしただろう。
毎週毎週の引きに引きつけられるかとか、主人公が強くて無敵かどうかとか、バトルの逆転劇が痛快であるかとか、
そういう種類の面白さを求めて、「ドラゴンボールに較べて、ジョジョは面白くない。7部はとりわけマンネリ」、そんな感想を持ってたんじゃないだろうか。

スティールボールランは、連載途中で青年誌 ウルトラジャンプに移籍したことが象徴するように、
青年読者に向けた、青年の主人公が旅をし、自己成長をめざす姿を描いた作品であると思う。
「理想と現実」という記事に、そのあたりのことを書きました)

挫折を繰り返しながらも、泥臭く人生を前に進んでいくのがジャイロとジョニィの姿だったと思うのですが、
旅の最後 ジャイロは死に、ジョニィもレースを優勝することなく、遺体を手にすることもなく終わってしまう。
そのあたりの単純明快では無い、スッキリし無さ加減が、「竜頭蛇尾」「もやもやする」と言われてしまう所以なのだろう。


主人公が絶対正しく、無敵の強さで勝利する、というファンタジーは美しく、読者に勇気を与えてくれるが、
それだけでは人生は渡っていけない。
「もやもやしてすっきりしないが、今あるこの場所には、たしかに希望がある」状態が
スティールボールランドラゴンヘッドのたどり着いたラストで、
それはそれで受け入れられる決着だと思う。