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ジョジョ読者のブログ

ジョジョの奇妙な冒険の感想、批評、考察を書いています。

匿名の暴力性

はじめに

毎朝 自動車を運転して通勤しているのですが、最近気づいたことがあった。

二車線の道路があり、自分は左側車線を走っているのですが、いつも右側車線から割り込んでくる車がある。
朝の時間帯は皆忙しく、1分でも早く目的地に着きたい気持ちは分かるのだが、
左側車線に自動車が500~1,000mくらい直列に並んでいる中で、ヒョイと車を右から割り込んでくるのだから、
随分とアツカマシイ神経の持ち主だと思ってしまう。

スーパーのイオンなどで、レジ精算のために、4~5人くらいが並んで待つことがある。
買い物レジの直列に、ヒョイと割り込んで入ってくる人は見たことがない。
二車線道路の割り込み(例え道路交通法で車線変更可であっても、アツカマシサには変わりない)と何が違うのか考えてみると、
「自動車で二車線割り込みする場合、運転者は他人に顔を見られず、匿名のまま割り込みできる」点が違うのだと気付いた。


匿名になった人間、匿名の人間たちの集団、
彼ら・彼らたちの行動は、時としてすさまじく暴力的になることがある。
小さなものは、「旅の恥はかき捨て」と言わんばかりのゴミのポイ捨て、ネット上での誹謗中傷、町内会やマンション管理組合の村八分・多数決による少数派の制圧。
大きなものでは、社会全体の世論の形成、暴動や戦争を引き起こしたこともあっただろう。

 

ファンタジーとして、匿名の暴力性を娯楽に昇華したのが、荒木先生推薦の「ロメロ監督のゾンビ映画」だ。

名前もなく、過去もなく、ただ食人鬼となってうつろにさまよい続けるゾンビ。自分自身でゾンビごっこをやってみると分かるのだが、ゾンビになりきって己を捨てる瞬間は確かに楽しい。

しかし、なりきりごっこで世の中渡れるなら、世界中が気持ち悪いコスプレイヤーの集合体になっている筈で、やはり、「匿名で、何の責任も立場も持たない人間」が社会的に存在していけるはずがない。匿名であることは、その人の社会的存在を抹消する結果になるのだ。

 


自分自身は「多数決で、物事を決める」「集団行動に参加し、全体を束ねる規律に従う」みたいな価値観が苦手で、
自分自身の周囲に囲いを作り、少数派(=自分自身)であっても、他と対等に交渉やコミュニケーションできやすい状況を整えながら、
学生~現在までの時間を生きてきた。


この「ジョジョ読者のブログ」は、匿名の個人として書いていますが、
いわゆるペンネームを使っているのは、本名で、(公の社会的活動とは関係ないような)私的な趣味・感想のあれこれを書くことが恥ずかしいからで、
匿名だからと言って、何もかもを好き勝手に言いふらし、発言に責任を持たないようなことはしたくないと思っています。

ジョジョと、ジョジョをめぐる創作のあれこれについて都度思ったことを記事にしていますが、
自分なりに一貫性を持って、時々の考えや感想を書き連ねていきたいと思っています。