ジョジョ読者のブログ

ジョジョの奇妙な冒険の感想、批評、考察を書いています。

ジョジョ3部の「サブタイトル」

(※下記の記事は、あまりまとまりのなく、読んで楽しい内容にもなっていませんが、個人の見解を記録するため、また忘備録として掲載します。

ジョジョ3部のサブタイトル、ジョジョに現れる宗教的影響についての記事です。)

 

 

ジョジョ3部のテレビアニメ エジプト編が始まった。
911事件を連想させる(?)というオインゴボインゴ編の描写が変更されたらしく(あらき100%からの情報)、
カイロでの、DIOと花京院の決闘シーンも、改定後の表現に書き換えられるだろうと思う。

以前 ジョジョ3部の「完全版」というタイトルの記事で、
3部OVA DIOコーランを読んでいた描写が問題視され、漫画の描写が書き換えられたことに触れた。
悪役のDIOコーランを読んでいたことは、その描写自体に意味があるわけでもなく、
無駄・無意味(イスラム教徒の方にとっては、気分を害するだけの悪趣味)なものであったと思う。

OVA DIOとの決戦で、カイロの市民たちがDIOの暴虐に巻き込まれ、犠牲となるシーンがある。
惨殺された死体が転がる中で、怒りに燃える承太郎が飛び上がるというアニメオリジナルシーンなのだが、
DIOは既存の宗教・世界を超える「悪の化身」として、承太郎は殺された市民のために怒りを燃やすヒーローとして描かれている。
ここに、イスラム教やアラブの人々を侮辱する意図は全く無かったはずで、後のコーラン描写は、まったく無駄なことをしたものだと思う。


しかし、イスラム教世界への配慮をうたうのであれば、片手落ちではないかと思う点がある。
それはジョジョ3部のサブタイトルである。

今のテレビアニメ、単行本(現在の最新版)を買えば、
ジョジョの奇妙な冒険第3部 スターダストクルセイダーズ」というサブタイトルが付いている。

クルセイダーズ(十字軍)というタイトルは、荒木先生としてはおそらく、
「愛と正義のため、悪を滅ぼすため、正しいことを行わんと旅をした人たち」みたいな意味でネーミングしていて、
史実の十字軍を、厳密になぞっているつもりは無いだろうと思う。

連載時のサブタイトルは「空条承太郎 未来への遺産」、
1999年 jojo-a-gogo!発売時のサブタイトルは「スターダストトラベラーズ」だった。
2000年代に入って、コンビニ廉価版の発売時 現行のサブタイトルに変更されたということである。

クルセイダーズ(十字軍)というものの歴史的評価について、
アメリカ・ヨーロッパを中心とするキリスト教世界と、アラビア半島を中心とするイスラム教世界では、まったく評価が異なっているそうである。
イスラムの人々から見ると十字軍は敵であり、蛮族の侵攻に他ならず、「正義の使者」などでは有り得ないといいます。
(※立花隆・著 思索紀行の一編「パレスチナ報告」「自爆テロの研究」より)


私自身はイスラムにもキリストにも詳しくなく、詳細を論じられる立場にはありません。
しかしながら、スターダストクルセイダーズというサブタイトルは、あらぬ誤解を受ける可能性が有ると思う。

「未来への遺産」「スターダストトラベラーズ」というタイトルに戻したほうが良いのでは?と思うけど、
コーラン事件の当時、このサブタイトルは特段 誰も問題視せず今に至っているみたいだから、
私自身の単なる杞憂に過ぎないのかもしれない。
杞憂に終わってくれれば、何よりだとも思う。


ジョジョ6,7,8部 2000年代に入ってからのジョジョは、
キリスト教の教義・概念にベースを置いた物語、描写が多くなってきている。

荒木先生の哲学宗教観がにじみ出てきているもので、自然の発露として尊重されるべきなのですが、
あまりにキリスト教よりの物語・概念になってしまうと、キリスト者の自分としては、よく分からなくなって引いてしまう。

あらき100%で、ジョジョリオンの展開予想が発表されているのですが、
「7つの大罪」をベースにした7人の岩人間が出てくる、聖書にならった知恵の実・生命の実が出てくる…といった展開が実現すると、
まるで、ジョジョキリスト教の絵解きマンガになってしまったような感じもしてしまう。

あらき100%さんの熱意・考察は真に迫るものがありますが、ここはもう一つ捻って、
ジョジョリオンジョジョリオンとして、独自のアラキマンガとして完結を望みたい。

SBRの聖なる遺体が「イエス・キリスト」だ、と断言してしまうと、
SBRの物語は、キリスト者でない者には、根本のところで相容れにくくなってしまい、読者の幅を狭めてしまう。
聖人の遺体をイエス様と断言しなかったのは、ギリギリのラインで、作品に幅を生む、良い判断だったと思う。


テレビ番組のぶっちゃけ寺 3時間スペシャルで見たのだが、
比叡山延暦寺で毎年8月に宗教サミットを開催、
仏教、キリスト教イスラム教、世界の宗教関係者が一同に会し、世界平和の祈りを捧げるという。
比叡山にあるという「平和の鐘」(ゴ~ンと音が鳴る、仏教スタイルの鐘)は、参拝者の誰でも鳴らすことができるという。

世平和の祈りがどのようにありがたいのか、よく分からない所もあるのですが、
平和の鐘が、誰の耳にも等しく「ゴ~ン」とのん気に鳴り響いてくれるならば、それはそれで安心な世界になって良いと思う。