ここ数日 本ブログを連日更新しているのは、お盆の頃に観たホラー映画の影響が大きい。
お盆前後で時間が出来たときに、自分の誕生祝い(8月生まれ)の代わりに面白そうなのを観るかというつもりで、
荒木先生の新書をガイドブックに、1枚108円で次々にDVDをレンタルして観ていった。
「キャリー」「ヒート」「悪魔のいけにえ」「ミザリー」「殺しのドレス」「サイコ」
いずれの映画も、ジョジョや荒木作品のベースになったのが頷ける名作ばかりで面白かった。
ナンバーワン感動作がキャリー、一番おぞましかった作品が悪魔のいけにえ、名作の称号に唸らされたのがサイコ。
上記のホラー映画を観た勢いで、つい、ジョジョの連想の拡がった所を、ブログの記事に書いてきた。
1枚108円で名画を観れるというのはとんでもない贅沢で、ジュース1本を買うよりも安い。
面白い映画を観ないで死ぬのは、人生を損してきたんじゃないかと、そんな気持ちになったりした。
この記事では、「悪魔のいけにえ」と「サイコ」について触れたい。
●「悪魔のいけにえ」の感想
悪魔のいけにえは、1973年8月18日にテキサスで起こった事件ーーという触れ込みで始まる。
(たまたま)自分の誕生日と同じで、アルマジロの死体がひっくり返ってる所でおぞましい気持ちになり、
ヒッチハイカーがバンに乗り込んできた後は、息もつかせぬ展開が続く。
マリリンバーンズがガソリンスタンドで拘束された所からは、見ていて本当に気持ちが悪くなり、
父親(長兄?)の曖昧な笑い顔、ヒッチハイカーの不快なジェスチャー、レザーフェイスの朴訥な不気味さ。
エドゲインの実話に基づいて、マリリンは殺されると思い込んでいたので、本当に気持ちが悪く、製作者は頭がおかしいのだろうと思った。
マリリンは間一髪 屋敷から逃げ出し、命が助かるのであるが、ようやくここで作り物であることが分かり安心できた。
二回目以降 見返したときには、初回視聴時の切迫感は薄れていたが、「監禁・拘束され、虐待される恐怖感」を仮想体験できて幸運だったのかもしれない。
荒木先生は「田舎に行ったら襲われた」系ホラーの代表作に、本作を挙げていた。
本当にその通りで、自分も、隣に住んでる隣人一家を怒らせたり、仕事の相手方に恨まれないよう日ごろから気をつけようと思った。
ジョジョと殆ど関係無くて恐縮ですが、自分にとっては最良の誕生日プレゼントであり、処世術を学ばせてくれた仮想体験であり、
ジョジョの根底にある「ロックの魂」、新しい表現を切り開こうとするパイオニアスピリッツに感動させられた作品でした。
(ヒッチコック監督の「サイコ」にも、同様の、パイオニアスピリッツを強く感じ、興奮しました。
円谷英二が存命の頃の、円谷プロの諸作品が、ヒッチコック作品と似てるような感じがした。
ホラー・サスペンス映画の大家、特撮映画の大家(始祖)というポジションが、共通しているからだろう)
●「サイコ」のノーマンと吉良吉影
「サイコ」には、精神異常者であり殺人鬼の、ノーマンという人物が出てくる。
ジョジョとの関わりでいえば、ノーマンは、吉良吉影のモデルの一つであることに、今更ながら気づきました。
ノーマンと吉良の共通点はいくつかある。
(4部の吉良とも、8部の吉良とも共通する点があると思う)
最も大きいのは、母と子の確執の中で、異常な性格が育まれたこと。
ダブルバインドの抑圧の中で、殺人鬼の性格が育まれ、殺人鬼の人格と平穏な人格の二重の人格が一人の中に同居していることだ。
8部の定助(=吉良とジョセフミの融合体)は、「二重の人格が、一人の中に同居」している。
個人的予想では、ジョジョリオンのクライマックスでは、(新世界の)吉良の異常な性格・行動が暴かれていき、
主人公がこれを乗り越えることで、物語のハッピーエンドがもたらされるのではないかと思う。
細かな所では、ノーマンの母の部屋には、母の手を象った?と思しき「手の彫刻」があったり、鳥のはく製に偏愛を示す所など、
「美しい女の、死体の手」にしか性愛を示せなかった吉良吉影の悲哀に通じるところがある。
4部吉良と8部吉良は、キャラクターの造形において、かなり似たところを持ち合わせてるんじゃないかと思う。
デッドマンズQに出た吉良は、別バージョン(あるいはパラレルワールド)の吉良だけど、根本の雰囲気は似ている。
吉良吉影の上品さ、穏やかな人格の裏にある狂気、母を想いながらも報われず愛を手に入れられなかった哀しみと歪み。
これらのキャラクターは、「サイコ」のノーマンが宿す人物像に通底している。
何か所以上一致しているからパクリだとかそういうことではなく、
荒木先生が「サイコ」やその他の殺人鬼の映画を観て、エドゲインや切り裂きジャックなど実在の殺人鬼の資料も調べて、
「なぜ人は殺人を犯すのか?」を追求していってたどりついた答の一つが、吉良吉影だったのだろう。
8部の吉良は、コミック11巻(カレラが出てきたところまで)の時点では、断片的な回想・描写のみで、
果たしてどんな人物だったのか、全貌をうかがわせる描写は出てきていない。
ディオが1部→3部→6部→7部で、それぞれ違った味付けを持って登場してきたように、
吉良が4部→8部で、どのような違った色合いを持って現れてくるのか、今後の展開が楽しみである。
追記:
当ブログの過去の記事で、「吉良の生い立ち・性癖を想像する」という記事を以前に書きました。
映画「サイコ」を観る前に、吉良の生い立ちを、荒木先生のインタビューや作品中の描写からあれこれ探って、考えてみた記事です。よかったら、読んでみてください。
あらためて反省するのは、子供を育てるとき、親は子供の心をいたずらに傷つけてはいけないということです。
自分自身に思い当たる所はないですが、改めて気をつけようと思う。
映画「死の王」を観たときも、「死体になって腐って死んでいくのであれば、せめて生きてる間は元気でいなきゃ」と思ったし、
ホラー映画は、不思議と人間をポジティブ・ハッピーにさせてくれる作用があると思う。