ジョジョ読者のブログ

ジョジョの奇妙な冒険の感想、批評、考察を書いています。

なぜ、ゲームは面白いのか? 「MOTHER2」への、微妙な感想

今 このブログを更新するのであれば、2015年12月17日発売「ジョジョの奇妙な冒険 アイズオブヘブン」を語るのが本来のはずである。

しかし、私はプレイステーション4を持っていないし、そもそもこのゲームを買うつもりが無い。
新品で買えば7500円、プレステ本体を一緒に買えば45000円近い買い物になってしまうが、
このゲームのために、それだけのお金を払う見返りがあるとはとても思えない。

……というわけで、WiiUのヴァーチャルコンソールで、MOTHER2が926円で配信されており、
価格の安さに釣られて、またMOTHER1の余韻を味わいたい思いから、これを購入し、プレイした。

以下、MOTHER2 1994年以来の再プレイの感想と、あれこれの連想を記していきます。


 ***


ヴァーチャルコンソールで、かつてやり込んだゲームを再プレイしていて思うのが、
「ゲームはなぜ面白いのか?」ということだ。

なぜ、ゲームは面白いのか?
どこが、どのように面白いのか。
どこがどうなるとクソゲーになるのか。

アクションゲーム、シューティングゲームパズルゲーム、RPGと、ジャンルによって楽しみの質は違う。
共通して言えることは、テレビゲームは、現実世界の遊びをコンピュータに落とし込んだもので、
リアルとファンタジーを行き来する隙間に、ゲームならではの「体験する楽しみ」が体感・表現できるところだと思う。

最近の遊園地で、妖怪ウォッチやハリーポッターなど、作品世界に入り込んで体験できるアトラクションが人気を博している。
しかし、作品世界に入り込んで体験できる楽しみは、RPGをはじめとするテレビゲームのほうが遥かに洗練された手法で提供している。


ゲームの面白さの本質は、遊びの面白さであり、人間関係の面白さに繋がっている。
鬼ごっこやドッヂボールが面白いのと同様に、テレビゲームは面白い。

ことはゲームに限らないのだが、漫画やアニメ、ドラマを観ていて、
「作者の人生経験・哲学が陳腐だから、こんなモノを観ていてもしょうがない」と思うことがある。

面白いゲームを作るには、ゲームだけではなく、
様々なジャンルの娯楽・文化に触れたり、ゲーム以外の要素をゲームに落とし込むことが必要なのだろう。


***


MOTHER2をプレイした感想は、一言でいえば微妙だった。
MOTHER1が面白かったので、その余韻を味わいたくて最後までプレイしたというのが本当のところだった。

(糸井氏によれば、MOTHER1・2のモチーフは、スティーブン・キングの「スタンドバイミー」「タリスマン」、スピルバーグをはじめとするアメリカ映画のエッセンスを詰め込んだというから、
ジョジョの冒険物語が好きな人には、MOTHERシリーズは相性が良いかもしれません。)


2は、1と較べて明るく派手、けばけばしい作品世界になっていて、
サイケデリックなデコレーションとハリウッド映画的演出が、やや鼻につく時がある。

糸井氏のテキスト・くすぐりが上滑りを起こしている場面も多く、
「寄り道の遊びに力を入れる前に、もっとゲームシステムを練り込んでくれよ」と言いたくなる場面も少なくない。


MOTHER2は、MOTHER1とストーリー的には繋がっておらず、
スーパーファミコンでリメイクされた「1」の改訂版、あるいは補完を施した完全版のような趣がある。

MOTHER1は1980年代のアメリカを舞台にした物語で、2はイーグルランドという(アメリカっぽい)架空の国を舞台にした物語である。
個人的には、1のほうが好みで、リアリティに寄ったファンタジーの中で、主人公がリアルに成長し、他人と触れ合っていく様子を体感できた。


MOTHER2で良いシーンだと思ったのは、
メガネの男の子が、首長竜の背中に乗って旅だっていくシーン(ウィンターズの音楽がとても良い)。
ランマの王子が、「無」を体得するための修行を行うシーンも印象深く、面白かった。

マジカントに着くまでの展開がどうにも単調・冗長だったのだが、
主人公が自らの心を見つめ直す、その場所がマジカントというあたりから盛り上がってきた。
2のテーマ曲が流れる中で、パパとママが主人公の出生を祝福するシーンは、明らかに泣かせにかかっているが、それでもとても良いシーンだった。


ゲームのエンディングで、
主人公たちの幸せな家族ーーパパやママが子供を待っている。子供を中心に、人間たちの繋がりが有るーーと、
ポーキー一家、ギーグとの対照が描かれる。

ポーキー・ピッキーの行く末は、捉えようによっては悲惨だが、
人間世界(大人たちのつくる社会)のありようをとらえた、糸井氏なりのリアリズムなのだろう。
自分自身も、糸井氏の娘さんと同じく(?)、親が離婚し、父親に会わない環境で育った人間なので、
MOTHER1・2の家族のありようには唸らされるものがあった。

MOTHER2はエンディングにたどり着くまでの過程が一本道で、あまり面白くないのだが、
ハリウッド映画のラスト20分のような、一気呵成の盛り上がりを見せてくれるので、
やっぱりゲームは、最後までがんばって遊ぶものだと思う。

ギーグとのラストバトルでは、子供が側にて、テレビ画面に「いのり」、一緒に盛り上がる感じが面白かった。
母からの手紙で、「グーギ」と呼び間違える適当な感じにウケて二人で笑っていた。


ーーちかぢかにヴァーチャルコンソールで、MOTHER3が配信開始されるそうである。
702円で購入できるとあって、クソゲーっぽい匂いを感じながらも購入して、クリアするまで遊んでしまうのだろう。

(この記事では否定的な物言いが多かったのですが)
コピーライターとして、糸井重里のテキストには魅力があり、ゲーム中 たびたびニヤッと笑ったり、ハッと気づかされたりした。

1994年にMOTHER2を初めてプレイした時以来、
(ゲームの出典は忘れてしまったのに)頭の片隅に残っていたセリフを、最後にご紹介させて頂きます。


「おれは敵じゃない。ただのもぐらさ。敵の見分け方を教えてあげよう。
 いかにも敵らしいやつは見ればわかる。

 人間の姿の敵は、えらく顔色が悪いからそれを注意すればいい。
 …でも、逃げてばっかりいたんじゃ、強くはなれないよ」

 せつめいモグラ