(本記事は、ジョジョとほぼ全く関係ない内容になっており、すみません。
否定的な感想を含むので、糸井重里氏とMOTHERシリーズの熱心なファンの方にもあまりお薦めではありません)
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WiiUのヴァーチャルコンソールでMOTHER3をプレイし、クリアまで遊んだが面白くなかった。
ラスト 物語が終わったところで「END?」の文字が出て、画面が進まなくなる。
十字キーを操作すれば先に進むようになっているのだが、ゲームボーイアドバンスと違って、あいにくwiiUには、2つの方向キーがある。
円盤型の方向キーをふだん使って、(旧来の)十字キーを使うことが無かったので、意識に無く、全くここから進めなくなった。
ーー後にインターネットで攻略情報を検索して、エンディングクレジットを観るにいたったのだが、
「END?」マークでゲームが突然終わったほうが、いっそスッキリしてクソゲーの〆にふさわしかったかも、と今になっては思う。
「終わりよければすべて良し」が物語の基本だと思うが、MOTHER3はその逆を行き、終盤のやっつけ具合がひどかった。
ラストバトルの窮地に、それまで姿を見せなかった父親がいきなり飛び込んできたり、挙句の果てにはアンドーナツ博士まで飛び込んできて、ストーリーを真面目に考えているようにはとても思えなかった。
ゲーム全体で見ても、1~3章がとにかく退屈でプレイするのが辛く、4章から面白くなり始めるが、ドラクエ風の普通のRPGになってしまっている。
MOTHER1は、現代もののRPGをつくったところが革新的で、面白かった。
MOTHER3は、1の持っていた自らの強み・よさを、自らで打ち消したようにしか見えない。
MOTHER3のラスト 2からの繋がりが示され、1・2を匂わす演出がある。
しかし、3の物語と有機的につながっているとはいいがたく、感情移入がしづらい。
(MOTHER1・2が懐かしければ、そっちのゲームを再プレイすればいいよ、と思う)
のっぽの男が世界の真相を語りだす場面で、エリックサティの曲をそのまんま使う陳腐な演出にもガッカリした。
音楽・SEへのこだわりが、MOTHERリーズの独自性・魅力のキモだったはずなのに…。
皮肉ではなく、MOTHERの成功は、糸井氏のコピーライターとしての才能ゆえで、
MOTHER1は現実のアメリカをベースにした身近な物語だからこそ、現実世界の商品に軽妙なコピーをくっつける、氏のくすぐりのセンスが生きたのだと思う。
MOTHER3は、それまでと違ったものを作ろうとして、すべてが裏目に出てしまったと感じる。
MOTHER3が開発中止になったときの、宮本・岩田・糸井 三氏の対談が、糸井氏のサイトに残されている。(https://www.1101.com/nintendo/nin13/nin13_2.htm)
「失敗を振り返り、分析する」同対談が、後に出来上がったゲーム本編よりも遥かに面白く、多くの示唆に富んでいたのは皮肉だし、残念だった。
糸井氏の発言・仕事にはアマチュアリズムへの賛美、自由な立場で物事を発想することの楽しさが現れている。
それはそれでいいのだが、宮本・岩田 両氏のゲーム製作への姿勢とは異なっているし、
同じお金を支払って遊ぶ身からすれば、素人の余興ではなく、プロの職人が作りこんだゲームで楽しく遊びたい。
MOTHER3は僅か500円のキャンペーン価格で遊べたので、値段分は楽しめたし、あまり文句ばかりを言う筋合いでもないけど……いろいろな意味で、残念なゲームだった。
商売の訓話で、「三代続けば末代続く」「三代続けば、家が潰れる」という。
事業経営・相続の難しさ、相続税への嘆き節でもある。
MOTHERは、三代続くことができなかった。
ドラクエは1,2,3でステップアップし不朽の名作となった。
ジョジョも、1,2,3で三部作のサーガを完結させ、30年近く一定以上の面白さをキープし続けている。
マンネリに見えて、一定のクオリティを維持し、長く続けることは難しい。
鈴木慶一氏が、最近のインタビュー(http://www.cinra.net/interview/201409-adanza)で、
「マンネリになるのは、新しいものを入れてないから。勉強し続けていれば、いくつになっても曲は書ける」と話していた。
日々生まれ変わっているその若さ、職人の探究心を見習いたいものだと思う。
ーーしかしながら、MOTHER3は20数年ぶりに掴まされた、久しぶりのクソゲー体験だった。小学生のとき バンダイに「オバケのQ太郎 ワンワンパニック」を掴まされたのと同様の悲しみと怒りが、胸の中に湧き上がってくる。
この心の傷は、「ゼルダの伝説 神々のトライフォース」を再プレイしてやり込むしかない。いやな記憶を上書きするしかない……と考えている、正月休みである。