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ジョジョ読者のブログ

ジョジョの奇妙な冒険の感想、批評、考察を書いています。

「時よ止まれ、おまえは美しい」  /  ジョジョ7部・8部で描かれつつある、新境地について

ジョジョ3部 DIOに、「ザ・ワールド 時よ止まれ!」という決めゼリフがある。
DIOディオ・ブランドー)は石仮面を被って人間を超えた吸血鬼となり、
さらにスタンドを身に付けて、肉体・精神ともに「ブッチギリで、人間を超えた存在」になった。
世界の全てを支配する、時を停止・支配する能力の決めゼリフとして、土壇場で発せられるセリフである。

このセリフは、ファウストの「時よ止まれ、おまえは美しい」が、イメージソースの一つになっていると思う。


恥ずかしながら、私自身はまだゲーテファウストを読んだことが無く、
手塚治虫のネオ・ファウストを読んだことが有るだけで、ファウストについて語ることはとてもできないのですが、
「時よ止まれ、おまえは美しい」というセリフは、ファウストの劇中 クライマックスのシーンで、主人公が発する。
人生で最良の瞬間、これ以上は無いと思える最高の瞬間に立ち入って、件のセリフが発せられるそうである。
(インターネットにファウストのあらすじをまとめたサイトがあり、ご興味のある方にはお薦めです)


ファウストは、19世紀前半 ゲーテがその生涯をかけて書き上げた劇曲である。
「時よ止まれ!」「最高の瞬間よ、繰り返し自分の手元に留まれ! この幸せよ、永遠であれ!」という願いは、太古の昔から人類が描いてきた夢であったと思うが、
17世紀 デカルトの唱えた機械論的自然観、「われ思う、ゆえにわれ有り」の名セリフに象徴されるように、近代人にとって「時間」は、制御・管理すべき対象物であり、
貧民街から成り上がって悪のカリスマを極めようとしたDIOが、時を支配する超能力を身につけたのは、まことに自然の成り行きといえるのだろう。


「時よ止まれ、おまえは美しい」というセリフはとても詩的で美しく、
私なども、日常のいろんな場面で、心中つぶやくことがある。

ジョジョリオンの最新話など、ページをめくっていくのが楽しみで、でも、ちょっと勿体無かったりする。
エピソード・場面場面のピークに向かっているのを感じるからで、「読んでしまえば終わってしまう、でも読まないと進まない」というジレンマがある。

ドラクエなんかもその一つで、物語が終盤に到って、ゲームの終わりが近づいてきたことを感じると、すこし寂しくなる。
ひどくなると、LV1でゲームをスタートする前から「ゲームは始めると、終わってしまう」とのジレンマに襲われるようになる。
熱烈なドラクエファンであったという、淡路恵子さんの談話で、かつて「ドラクエをプレイして、ラスボスの前までたどり着いたらセーブデータを消して、もう1回最初からやり直す」と聞いたことがある。
淡路さんは「ドラクエは裏切らないもん」とも発言されており、シャレっぽい雰囲気が味わい深い。


ーーゲームやマンガで、読み終わってしまうのが名残惜しくなった場合は、
とりあえず一旦読み切ってしまって、後で(読み返したくなったら)読み返せばいい。

時は止まらず、流れ続けるが、
作品に封じ込まれた「時」はいつも「そこ」にあり、いつも寄り添って存在しているということである。


「ザ・ワールド 時よ止まれ!」の名ゼリフに象徴されるように、
DIOは全てを支配する、ジョジョという作品世界の全てを引き受ける、悪の大ボスであった。

1~3部が完結して以降のジョジョは、(個人的独断では)番外編であり外伝で、本来なら別作品として紡がれるものであったと思う。
作者 荒木先生によれば、「人間賛歌」という通底する大テーマがあり、スタンドバトルにもまだまだネタがあり、週刊少年ジャンプとして人気連載作を減らしたくないとの思いなどから、
3部完結後 「街を描く番外編」として4部が始まり、その後も続編が描かれ続けて、今に到ることとなった。

ドラゴンボールに関する夢想で、仮にサイヤ人が襲来する前後で連載終了できていたら、「鳥山明 第3のヒットマンガ」が産まれていたのではないか?と思うときがある。
ジョジョも同様に、3部完で作品を締めくくっていれば、あるいは長くても4部完結までで終了させていれば、もう少し違ったその後の展開があったのではないか?
一読者に過ぎない私が、そんなことを思っても何の意味も影響力も無いのだけど、そんなパラレルワールドを想像したくなる膨らみが、両者の作品世界には有ると思う。


時間を支配する大ボスとしてDIOが再登場した後、4~6部のボスは時間を操る能力者が続き、
6部のボスはDIOの因縁の残滓・DIOの野望を継ぐ後継者として現れ、作品世界をひっくり返して、時間軸をリセットして新世界が始まった。
7部のボスは空間を操作する能力で、これはかつての時間系能力者と対をなす形で、物理的世界を支配する大技を設定してきたのだと思う。

7部、8部、そしておそらく9部以降の展開も、ジョジョの世界には、DIOのような、人間を超える超生物、悪の権化であるような大ボスは、おそらく登場してこないだろうと思う。
1~3部、6部までの展開で、それらの勧善懲悪のバトルを描き切っている(だろう)ということもあるし、
1部のジョナサンが7部のジョニィに生まれ変わった経緯を見ても、
作者の世界観・人間観、創作上の興味は、白と黒の二元論的な争いから、「白と黒の間の、豊かで微妙なグレー」を描く事に移っているように思われる。

7部 ジャイロとジョニィが師弟のようで兄弟でもあり、互いが互いを教え諭すような間柄であったり、
ジョニィと大統領の土壇場で、どちらが正しいことを述べているのか? 誰にも分からないような微妙な狭間があったりした。
8部 定助たちと東方家、岩人間の争いも、当事者 それぞれにそれなりの言い分・正当性があり、複雑微妙なさじ加減が描かれていくのではないかと思う。

小中学生のためのシンプルな勧善懲悪では無く、
青年~大人になってしまった後の、現実世界の生き様を描いているのが、7部・8部以降のジョジョではないだろうか。