ジョジョ読者のブログ

ジョジョの奇妙な冒険の感想、批評、考察を書いています。

ジョジョリオン55話の感想、予想  漫画ゴラク・サンデーへの追慕

ジョジョリオン 55話、ダモカンと決着し、東方花都が登場するまでの話を読んだ。

ダモカンとの戦いはスカッとする決着で、ゲスがゲスらしく振舞い、キッチリやっつけられるのがスカッとする。
ダモカンが頭を貫かれて「ぺぎゃ」と呟いたり、双子の頭に木の枝が刺さって「ポーッ」と白目を剥いたり、
奇声とも断末魔とも付かない叫び声をあげるのがいい感じである。

荒木先生によると、8部の杜王町は、他人どうしがお互いに無関心な、リアルな現代日本の街並みを描いているとのことで、
断末魔をあげて崩れ去るダモカンを「なんだ、フィギュアか…」と素っ気なく立ち去る通行人たちのシーンが面白かった。

ダモカンを倒した後、定助が「オレの正体は空条ジョセフミ」と呟くが、いよいよ主人公の正体(過去)が明らかになり、
ここから物語のクライマックスに向かっていく、盛り上がる展開になっていくと思う。

(次号予告によると、次回は常秀がイベントの列に並んだことから意外なトラブルに巻き込まれていく話らしいが、
常秀の活躍を織り込みつつ、クライマックスへの布石を打つエピソードになるのではないかと思う。)


今回の話の最後で、東方家の母 花都さんが出てきたのは、まったく予想外の展開だった。
常敏を生き残らせるため花都さんは死に、その替わりに家政婦さんを雇ってきたのだろうと思っていたので、ここで彼女がキーキャラクターとして登場するとは思っていなかった。

私個人の予想では、花都さんが15年間 刑務所に服役していたのは、
常敏を呪いの病から守るため、(東方一族以外の)誰か他人を身代わりに立て、呪いに差し出したのではないかと思う。
石化の病は法を越えた超常現象ではあるが、何らかの形で明らかとなり、花都さんが刑事罰を受けることになったのではないだろうか。

最初、花都さんの後ろ姿が登場したときは、パラレルワールドのアイリン(6部最終話に登場の人物)が現れたと思ったが、全くの別人だった。
ストーンオーシャンっぽい意匠の刑務所、イタリアンマフィアのような岩人間たちなど、4部・5部・6部のネタをそこかしこに詰め込んであるのが面白い。


ジョジョリオンのいろんな感想、予想などを読んでいると、
ジョジョリオンのラスボスはいったい誰になるのか、どんなスタンド能力なのか?」という話題が出てくる。

花都さんが東方家の陰謀の中心人物であり、彼女がヴァレンタイン大統領を越える女傑で悪の策謀家なのかというと、おそらくそうはならないと思う。
ジョジョリオンの裏の主人公は家長 憲助さんであり、東方家を中心に、現代日本の家族を描いていくのが、8部の眼目になっていると私には思われる。
憲助さんを中心とする東方家、吉良家、そして定助(空条家?) 3つの家族のありかたを通じて、人の暮らしのありよう、幸せのありかたを描く物語になるのではないだろうか。

花都さんと憲助さん、常敏とつるぎを巻き込んで、ロカカカの枝を巡る事件が巻き起こっていくと思われるが、
いわゆるラスボスが登場し、憎むべき相手を倒してスカッとしたカタルシスを得るという展開には、おそらくならないのではないかと思う。

そもそも、個人的には「ラスボス」という概念・表現が登場したのは、
ドラゴンクエストのヒットに影響を受けた鳥山先生が、ドラゴンボールフリーザを登場させ、悟空とフリーザの限界突破の戦いが少年ジャンプの歴史上 最も高い読者の盛り上がりと、最大の発行部数・コミック売り上げを記録した経緯によるのではないかと睨んでいる。

少年誌連載のバトルマンガであれば、「もっと強い敵を倒したい」「主人公がもっと強くなり、成長する姿を見届けていきたい」で盛り上がるのは分かるが、
ジョジョリオンは青年誌連載のマンガであり、読者の年齢層も20~50代くらい(?)と高め、
家族愛や郷土愛、自分探しのアイデンティティー回復を描く物語であろうから、ここにラスボスとの最終決戦を望むのは、ちょっと物語の筋道を読み違えてるんじゃないかと思う。


ーーと、ジョジョリオンの今後の展開について、ひとしきり偉そうに語っていますが、
この後 さらにとんでもない、予想を超えるラスボスが登場し、ホラーもサスペンスも家族愛もアイデンティティークライシスも全てを盛り込んだ、予想を超える面白い展開が描かれるかもしれず、
私などの予想は全く当てにならない。

ただし、思うところ 確かなこととして、

ジョジョリオンは少年ジャンプ連載・小中学生向けのバトルマンガでは最早なく、
ともすれば(かつての)漫画ゴラク漫画サンデーに掲載されていたような、人生の雑踏、おかしさと悲しみを描くようなしみじみとした路線にシフトしつつある。

作者の加齢と共に、すこしずつ物語の風合いや雰囲気は移り変わっていくのが自然であり、50代後半を迎える作者に、いつまでも「20代だからこそ描ける、トーナメント式バトルの頂点」を求め続けるのは少し酷であり、求めるピントがズレているように思う。

かつて、ジョジョ9部は老人の心境を描くしみじみとした物語になるのではないか?と予想したことがあったのだが、
憲助さんを中心とする家族のおかしみを描くのが8部で、老人となった主人公の死と再生を描くのが9部以降のテーマとなるのだろうか。いずれにしても、8部・9部と続く今後の展開を楽しみに読んでいきたい。