ジョジョ読者のブログ

ジョジョの奇妙な冒険の感想、批評、考察を書いています。

「作品」は誰のものか?

ジョジョをはじめとする様々なマンガ、その他映像作品、音楽、さまざまに対して思う疑問。
「作品」は誰のものか?

著作権や商品化権のことではない。

私自身の感覚的なところを述べると、
「読者」である自分の立場からは、作者:読者=6:4、7:3、8:2。
自分が「作者」の立場に立ったならば、作者:読者=9:1くらいに感じるかもしれない。

好きなモノであればあるほど、作者と読者の境界線を越える(=50%を超える)ことは決して有り得ないものの、
元の作品を自らの中に取り入れ、血肉としたい。

作品世界を自分の中に取り込んで、自らのモノとして再利用したいというのが、
私の思うところ、読者(受け手)としての最大の贅沢である。


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かつて、岸部露伴が「読者に読んでもらうため、マンガを描いている」と述べたことがあった。
4部執筆当時の、荒木先生の自己宣言であることは間違いなく、おそらく今でも、根本の考えは変わっていないのでは と思う。

「お金や名誉のためではない、ただ読者に読んでもらうために、そのためにマンガ家はマンガを描いている」。

高校生当時 この場面をはじめて読んだときは、ことばの意味がよく分からず、
「同義反復のような当たり前のことを言って、何を考えているのだ?」と思った。

私の考えるところ、このセリフの真意は「作品は、読者と作者のコミュニケーション」ということである。

2人以上の人間が居て、相互のやりとりを行うことで初めて、マンガを描く/読むという行為が成立する。
社会の中でしか存在し得ない、まさに社会的行為なのだろう。

けだし、人間は社会的存在であり、
いつの時代、どんな環境であっても、人間が人間であるためには、社会(=人間関係、他人との関係)の中で生きてきたに違いない。
友人の親戚の方で「山奥に一人で棲み、サルやシカと一緒に温泉に入る暮らし」をしている方が居たというが、
ある種の超人、仙人の域に達するほどでなければ、人はやはり、人々の中で暮らしていくものである。

作者と読者のやりとりだけでなく、物事は、上司と部下、家族の間柄、友達付き合い、何でも同じことだと思う。


ーー話が変わるが、私がインターネットを始めて、掲示板の2chにはじめて書き込んだのは、
宇多田ヒカルのストーカーになりかけていたU4さん」を諌める書き込みで、U4さんを心配する余り、U4ヲタとして苦言・注意を書き込んだものだった。
当時の2chでは、プロ野球板に「宇宙の野球」というHNの人が居て、たしかホークスファンだった。野球chで現在活躍中の「大阪鷹」さんと宇宙の野球さんは、果たして話が合うのだろうか。
もしかすると、宇宙の野球=大阪鷹、同一人物である可能性も捨てきれず、疑念は深まるばかりである。

何の話かというと、老婆心からの苦言ですが。
2chでも他のSNSでも同じだと思うが、インターネットで見かける「素人の意見」「ユーザーの意見」みたいなものは、
匿名性が高いためか、何でもかんでも好きな事を言って、「画面の向こう側に人が居る」ことを果たして考えているのだろうか? と首をひねることが多々ある。

今後 いろんな種類のSNSが開発されたり、パソコンとは異なるデバイスが現れたり、コミュニケーションの手段はいろいろと変わって、変化・進化していくかもしれない。
けれども、デバイス(メディア)を通じてやりとりする情報、やりとりする主体が人間同士であることは、太古の昔から未来まで、たぶん同じである。

ジョジョ3部コミックスのはしがきに、「人類最古の職業は、語り部ではないか」というエッセイがあった。
語り部、売春婦、そして野次馬のから騒ぎというものは、とても古く大昔から存在していたのかもしれない。
私(sougan1976)、U4、宇宙の野球(=大阪鷹?)を結び付けるミッシングリンクは、「人間は、くだらないものが好きだ」というその一点なのだろう。