ジョジョ読者のブログ

ジョジョの奇妙な冒険の感想、批評、考察を書いています。

ジョジョのテーマ「成長する読者に、成長しない作品は必要ない」 大村はまが説く「教えるということ」

ジョジョ原画展の開催が近づいていて、ジョジョをめぐるさまざまな話題がメディアから出ている。
ジョジョサピエンスというアンケート企画で、ジョジョの好きな部を問う質問があったが、3~5部が人気で、現行の8部は1部と並んで最下位だった。

ジョジョリオンやSBRをめぐる世間の感想を読んでいると、少年誌から青年誌に移った頃から面白くなくなった、みたいな意見がある。
(面白いかつまらないかの意見自体は、読者次第で、さまざまな意見・好みがあって然るべきだと思います)

ジョジョリオンは青年誌で連載をスタートした初めてのシリーズであるが、
「エロシーンが多めだから、青年誌ならではのチャレンジだ」みたいな意見には、首を傾げてしまう。

ジョジョシリーズが、30年間の長期連載の間に、描かれるテーマが変わって、作風が変わって、若さの勢い、1ページ当たりの濃密さが落ちてきたことは確かである。
作者の加齢によるもので、仕方ないものだと思う。


荒木先生がインタビューを受ける機会が近年増えているが、「ジョジョシリーズは、王道の少年漫画だと思って描き続けてきた」と一貫して述べている。
1~3部の頃だけではなく、青年誌に連載を移したSBR、ジョジョリオンにおいても、
作品のベースは少年漫画、主人公が成長するマンガだと思って描き続けているとのことである。

2008年 荒木先生が文化庁メディア芸術祭の受賞インタビューで、
「成長している若い人たちにとって、成長しない作品は必要ない 」と述べている。
http://archive.j-mediaarts.jp/interview/2008/araki_hirohiko/

ほかの機会 ジョジョベラーか何かのインタビューでも、
「成長しようとしているこれからの読者に、成長しない作品は必要ないですから」と述べていたと思う。


SBRのジャイロとジョニィ、ジョジョリオンの定助は、単純明快な「少年漫画の、明朗快活な主人公」とは言い難い。
(そもそもを言い出すと、1部~3部、それ以降の主人公や悪役たちも定型的な善玉/悪玉に当てはまっていないが…)

彼ら彼女ら ジョジョのキャラクターたちに、「少年の心性」を見出せるかどうか、共感できるかどうかが、
ジョジョを少年漫画として面白く読めるかどうかの境目かもしれない。


もう1つ、大村はまという国語の先生がいます。
私自身 「総合教育の実践者」として高名な方だと受止めていますが、
大村はまさんが、1973年 教育関係者の集まる研究会で、「教師の仕事」と題する講演会を開いています。

この講演会の一節で、ジョジョのテーマとピッタリ一致するようなお話がありましたので、抜粋して引用します。

私自身 大村はまさんという方を最近に知ったばかりで恐縮ですが、
「教師の仕事」という講演だけをとりあげても、仏様の指の話、幸田文さんが結婚する娘さんを送り出す話など、良いエピソードが多数ありました。
教育関係に興味のある方、子育てしている若い方にもお薦めだと思います。
(当文庫本の帯にも、ちょうど同じようなセールストークが書かれていました)


  ***


大村はま 「新編 教えるということ」 ちくま学芸文庫より抜粋。

 

さらに、研究する、研修するということには、私たちがそうした力をみがくということだけでなく、もう1つ、たいせつな意味があります。
それは、私たちが子どもたちと同じ天地にいるためのくふうの1つでもあります。

(中略)

研修会に参加するということは、何か高いものを求めるからでしょう。
何か得たいという気持ちがあって、自分の成長を願うからこそ、そういう行動になるのだと思います。

自分を見つめたり、自分の至らないところを伸ばそうとしたり、それから高いものに憧れたり、一歩でも前進しようとしたりするということ、
それはそのまま少年という育ちざかりの人たちのもった自然な姿なのです。
子どもというのは、身のほども忘れて、伸びようとしたり、伸びたいと思っている人間です。

至らない子どもで、何もできない子どもでも、見ていて悲しいほど自分を伸ばそうと思っています。
私たち指導者は、その子どもたちと同じ気持ちになることが、まず大事でしょう。

かわいがるといっても、つまり、同じ気持ちになることです。
同じ気持ちになるということは、そういう、子どものもっている切ない伸びたい気持ちーー本人は意識していいないでしょうけれどーー、
そういうものを私たちが意識して、同じように研究や学ぶことの苦しみ、そして少しの喜び、そういうものを感じえているということだと思います。

いくつになっても、三十や四十になっても、少しもおそれることはないので、
そういう魂をもっていれば、世代をこえていつまでも子どもと共にあるということになるでしょう。

いくら二十代の若さだと言っても、伸びようという気持ちを切にもたない人は、どうして子どもの友でありえようか、と思います。