ジョジョ読者のブログ

ジョジョの奇妙な冒険の感想、批評、考察を書いています。

21世紀をどう生きるか?(究極の中2病)

仕事の関係で、100年前くらいのことを調べたり、そこから現代に結びつけて、自分の行く末を考えることがある。

社会科学の本を読んでいると、(1905年発表の論文 世界的な大家で、その卓越した知見と共に)これは究極の中2病だな、と感じる節がある。

学問に限らず、人が本を書いたり言葉をまとめたり、ものごとを考えるのは、
これまでの歩みを振り返りまとめて、今とこれからをどう生きるかを考えるためである。
私自身はそう思う。


2019年の正月を迎えて、2020年以降の未来を生きるにあたって、
21世紀をどう生きるか? 究極の中2病的な問いを自らに課す。

政治経済の動向とか、インターネットやAIの商業利用とかではなく、
もう少し自らにリアリティのあるところで、自分に動かせるところの未来を考える。

かつて、子どものころに読んでいた小学館や学研の科学雑誌に記述されていた未来予想では、
宇宙ステーションに家族が住んでいるみたいな生活予想図が掲載されていたが、そうなってはいない。


以前 ジョジョシリーズが2011年より先の時代を描かないのはなぜか?を考える記事を書いた。
ジョジョ6部→7部・8部へと通底するテーマ 「自然に帰れ」と2011年問題

荒木先生が2011年より先の時代を描かないのは、まだ自分にはその先の時代を描きづらいと思っているからだろう。
20世紀に少年期を過ごした著者が、ペンと机を頼りに自らの行き場を模索し描いているその歩みが、
ジョジョシリーズの19世紀末から2011年までの歩みであると思われる。


人生は判断と選択の連続であり、
ともすれば、パラレルワールドの連鎖で、いくつもの違う並行世界が拡がり続けているみたいな妄想を持つことがある。
SFからのアイデアで、ジョジョでも実際、6部のラスト、7~8部にかけての舞台設定、ヴァレンタイン大統領の悪夢のようなスタンド能力に活かされている。

岸部露伴が初登場時の話で、
マンガ家はありとあらゆるシチュエーションを考えていて、このパターンならこのキャラクターはどう動く、どんな展開の可能性があるか…あらゆる方向で多面的にネタを考える習性がある、というような話を述べていた。

マンガ家としての、展開のパターンをいろいろと考える習性が、パラレルワールドのアイデアに繋がっているのかもしれない。
ただし、ジョジョリオン1~11巻くらいまでに顕著だったエピソードのブツ切れ感、伏線の繋がらない散らかった感じは、もう少ししっかり改良してほしかった、と思うが…。


21世紀をどう生きるかについて、つまるところ、今とこれからの実践にかかっている。