ジョジョ読者のブログ

ジョジョの奇妙な冒険の感想、批評、考察を書いています。

ジョジョ6部 キリスト教と関わりつつの総括

ジョジョキリスト教の関わりに主眼を置きつつ、6部のストーリーとテーマを総括しようとする記事です。

 


6部は、5部で示された「運命の奴隷」モチーフの進化、「人間は、産まれながらに罪を背負う」ことの深化と追求が図られた。

「罪人」として、罪を背負って生まれてきた(=物語の舞台に登場してきた)主人公。

ジョリーンは、父の愛に恵まれなかった娘であり、
(コミックス1巻のはしがきによれば)聖母マリアさまのような大きな人類愛を持つべくイメージされたキャラクターである。

また、アナスイやプッチとウェザーの兄弟も、罪を背負って登場してきたキャラクターである。

ジョリーンが作中で強くなっていくのは、
父と娘の人間関係を回復し、喪失したものを取り戻し強くなっていくからである。
父のDisc(記憶と能力)をわが身に取り戻す展開は、その象徴である。


連載時 ジョリーンの罪状がどんどん重くなって、物語が膨らみ、どうやって収拾するのか?
脱獄をしたとしても、罪を犯したことの償い、精算をどうやってするのか?と思いながら読んでいた。


敵役のプッチ神父は、(ジョジョ読者であり、正統なキリスト教会の神父さまから見ると)
これは認められないもので、キリスト教とは異なる全くの異端、カルト的な思考・行動の持ち主 という評価であった。

プッチ神父が異端であるのは、作者の意図をもってのことだと思う。

何故ならば、プッチ神父は、作者の宗教観を問い質すために作られたキャラクターだからである。

荒木先生が、(自身の中にあるであろう)キリスト教への矛盾・疑問、自問自答を行い、
既存の宗教観から己の宗教観・哲学を見出すために描かれた、あるいは描きつつそのような意図が深まっていった。
私はそのように思っている。

プッチ神父が「真の邪悪」とウェザーに断罪されるのは、
それだけ、このキャラクターが重い意味を背負って、舞台の役割を演じたことの証しである。

ほとんど神がかり的な、偶然を味方につける力までをもって、
DIOの息子(≒神の子、悪魔の子)すらも味方につけて、
「天国」に向かって、プッチ神父は進んでいく。

果たしてその先どうなるのか?というところで、プッチ神父が物語をグイグイと引っ張り、
立ち姿や身のこなし、いわゆるポージングも気合が入って決まっており、表情や発言にも切れがある。
荒木先生自身 6部の中で、プッチはお気に入りの悪役だったようで、ビジュアルと哲学、行動がバッチリはまって、決まっている実感があったのだろう。


物語の最後 プッチ神父の野望は潰えて、倒されて終わる。

ジョリーンからエンポリオに託されたウェザーリポートの能力が、プッチを倒す。
承太郎からジョリーンへ、あるいはジョナサン・ジョースターの世代から受け継がれた意思や魂の繋がりによって、DIOの一派の末裔を滅ぼす。

エンポリオとプッチ、直接にはジョースター一族ともDIOとも血縁が繋がらない「他人たち」によって、100年余りの善と悪の戦いが幕を降ろす。


プッチ神父が求めた「天国」は、おそらく、ニーチェの超人思想「永劫回帰」にヒントを得ている。

ニーチェは、既存の宗教(19世紀当時のキリスト教)を克服しようと、自らの哲学、生きるべき道筋を思索と著述から見つけ出そうとした。
その苦闘は、プッチ神父の物語にそって、あるいは5~6部を通じて描かれた、作者の苦闘に重なる。

あるいは、ジョジョ1部の開始当初から遡って、もっと遡って作者の幼少時代からの精神的成長の総決算だったのかもしれない。
(荒木先生の通った高校はプロテスタントのミッションスクールであり、幼少時から西洋芸術(絵画や音楽)に造詣深い両親のもとで育ったそうである)


プッチ神父を倒した「正義の力」は何だったのか?
一口で言い切ることはできず、様々な意味、重ね合わせ、象徴の深読みが可能だと思う。

私の思う、気づいたところを箇条書きで述べていくとーー

・超常的な宗教観念に対する、人間の絆

・隣人愛
 (キリスト教の根本であり、イエスキリストが説いた言葉の根本)

プッチ神父とウェザーの間にあった、兄弟の因縁。仏教用語で言う、因果応報

・ジョリーンのベルトバックルに、(たしか、脱獄後 ロメオとの再会話から現れた)「陰陽マーク」を思わせるバックル。
 道教の陰陽、自然を賛美する東洋思想
 
・ジョリーンの最後に現れた、蝶が舞う、胡蝶の夢
 道教の開祖 荘子が語った夢は、(私なりに言えば)「自然に還れ」のテーゼに重なる。

・仏教的な輪廻転生を思わせる、キャラクターたちの魂の転生

最後の審判を乗り越えた先?に、ほんとうの「天国」が有った?
 全てをもう一度やり直す、パラレルワールド、新世界の誕生


ジョジョのストーリーと舞台は、そうして、6部から7部へ、19世紀末のアメリカ大陸に繋がっていく。

7部では、イエスキリストを荒木流に純化・表出したと思しき、「究極の聖人」が登場する。
(7部の劇中 究極の聖人が倒れ、復活し、東方への旅を続けアメリカ大陸に到達するエピソードが描かれる。これはある意味で、「究極の開拓者物語」だと思う)

ジョジョ7部の舞台は19世紀末、1部と同じ時代設定である。

物語世界の原初に帰り、大自然に還って、どんな冒険を描くのか?
作者は、一度終わったジョジョの舞台装置を使って、何を「語り直そう」としたのか。

ティーブンスティールは、なぜリスクを冒してSBRレースの開催を企画し、
ジャイロやジョニィ、レースの登場人物たちは、なぜ、旅に出なければいけなかったのか?

ーーそれはまた、別の話である。