ジョジョ読者のブログ

ジョジョの奇妙な冒険の感想、批評、考察を書いています。

ジョジョ8部、キリスト教に基づいたテーマと認識する(覚え書き)

仕事の関係でキリスト教のあれこれを調べていて、新訳聖書 4つの福音書を読んだ。

福音書を読んで、クリスチャンに入信しようとは思わなかったが、とても面白く、興味深い示唆や学びを得た。

 

そして、福音書を読んで今更ながらに気づいたのだが、

現在連載中の第8部 ジョジョリオンのテーマは、はっきりと、キリスト教に基づいて構想されている。

罪、病気、呪いの克服またはそれらからの解放が、同作品のテーマである。

 

ジョジョリオン1話のラスト 康穂がつぶやく、意味深なナレーションがある。

(下記 あらき100%さまの書き起こしより、引用します)

 

この物語は「呪い」を解く物語。これが、その始まり。

「呪い」とは、遠い先祖の犯した罪から続く「穢れ」。坂上田村麻呂が行なった蝦夷征伐から続いている「恨み」。人類が誕生し、物事の「白」と「黒」をはっきり区別した時、その間に生まれた「摩擦」。

様々な解釈はあるものの、とにかく「呪い」は解かなくてはならない。さもなくば、「呪い」に負けてしまうか。

 

はたして、康穂が予告した冒頭の示唆、最新話までに描いてきた展開を、どうやって解決するのか?

物語上の事件をどのように解決するか。

抽象的に言えば、どのような状態、どのような観念を提示して、

物語の解決、「福音」がやってきた と提示するのか。

ジョジョリオンというタイトルは、ジョジョであることの福音を意味する。

 

下記 個人的な考えですが、

主人公の過去話 ダモカン一派との戦いにて、
ジョセフミと吉良が、お互いを助け合って、さらに違う他人(ホリーさん)を助けようとするエピソードで、

物語のテーマと解法は、だいたいを描いている と思う。

ただし、これから先のクライマックス 定助がもう1回死んで、誰か他人を救う。

同じ展開の焼き直しでは芸が無いし、味気ないラストになってしまうと思う。

どういう落しどころになるだろうか?