ジョジョ読者のブログ

ジョジョの奇妙な冒険の感想、批評、考察を書いています。

座右の銘、心の泉

いわゆるミッションスクール、キリスト教系の学校法人に就職することになって、キリスト教西洋史、中近東地域の古代史をいろいろと調べて読んでいた。

 

いろいろとものを見る目が拡がったのは良かったし、楽しかったのだが、結論として、自分はクリスチャンに入信することもないし、仏教などの信徒になることも無いだろうな、と思った。

 

自分自身の場合は、であるが、「信仰する」という態度がどうも自分にはシックリ来ず、人間が自分で考え自分で行動し、自分たちの努力や友情によって問題を解決する という価値観がシックリ来るからである。

分かりやすく言うと、ドクタースランプキン肉マンに始まり、ドラゴンボールからジョジョに繋がった少年ジャンプ(のある世代の作家たちが紡ぎ提示した)価値観が、自分にとっては、人格の基礎を決定していたのだ と思う。

 

キリスト教や仏教、なかんずく開祖であるイエスブッダの言葉、言動には興味深いもの、感動し、取り入れたいと思うものがあまたある。

それらをひとつひとつこのブログで取り上げることはできないが、

これら宗教とズレたところ、別の立ち位置にある言葉(概念)で、ハタと胸を打つものも沢山ある。

今朝方 見たところでは、ソクラテスが説いた「無知の知」、サルトルが「実存は本質に先立つ」と言い、その奥さんのボーヴォワールが「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」と言ったとか。 --昔から知っている言葉ではあるが、折に触れて見返したとき、グッと来る。それは、その言葉が含むものが多く、豊かだからだろう。

 

エスが言った「汝の敵を愛せよ」という言葉は、子どものときはじめてこれを聞いて、不思議なことを言うなと思い、さっぱり理解できなかった。

最近になって、マタイ福音書からトマス福音書までを読み、イエスが言わんとしたことを、福音書の文脈からたどり、ようやく理解できるようになった(少なくとも、私の解釈で読むことはできた)

こうしたことは、人生の大きな恵みの一つだと思う。

 

ジョジョシリーズは、自分の中では、ドクタースランプキン肉マンドラゴンボールジョジョと続く、人生の中で続く「心の中にある基盤、心の泉」と言っていい、大切な存在である。

自分の子どもが今、約束のネバーランドブラッククローバーを読みはじめていて、なかなか面白いらしい。出水ぽすか先生は、ポケモントレッタ(?だったかのホビームックに付いていた、おまけマンガ)、オレカバトル ジンジャーエールのマンガを描いてときは、ここまでの作家で、あんな流麗な絵を描く人だとは思わず、ぽすかの本気はポケモントレッタには表れていなかった。

座右の銘、心の泉のようなものは人によってそれぞれだと思うが、誰かから誰かにその良さをムリヤリ伝えるのではなく、自然に拡がって、共有されるのがよいと思う。