ジョジョ読者のブログ

ジョジョの奇妙な冒険の感想、批評、考察を書いています。

評論することのおかしみ

この11月、仕事の合間にお休みを貰ったり、自宅で本を買い込んで読むという生活をしていて、amazonで本を注文して読んだり、紀伊国屋書店ジュンク堂書店を訪ねて本を買い込んだりしたことが随分あった。

10~11月の2か月間で、あたらしく本を買うのに20万円くらいのお金を費やした。(キン肉マン66巻セットもその一部)
あたらしく本を買うだけでなく、自宅の物置に無造作にしまい込んでいた蔵書を整理して、カテゴリー別、興味関心のジャンル別に整理して、段ボール箱ごとに入れ直した。

歴史、哲学、政治経済、自然科学、企業経営、実学(パソコンと英語)、自己啓発、趣味娯楽。

今月になってはじめてkindleのアカウントを作って、仕事の関係の電子本を2冊購入した。
電子本、PDF、htmlファイル、itunesに入れているmp3ファイル、gmailに書き留めているメモなんかもだが、
パソコン上に保管しているデータは、どこに何を入れたか、どのジャンルに何を入れていたか 整理することが後回しになってしまい、
だいたいのフォルダに放り込みっぱなし、詰め込みっぱなしになりがちである。

紙の本を今回、カテゴリーごと、自分の興味関心の方向性ごとに、絵巻物を並べるように、背表紙でタテて並べるとスッキリ整理されて良い。横積み、平積みではダメである。
ヨコ積みではダメで、タテに並べるのは良いというのは、単なる習慣的なもので、「この本は自分で読んだ、捉えた。やっつけた、自分の中に入れた」という支配感、達成感というものが、自分の場合、象徴的に、本をタテに置いて並べる、ということなのだろう。

パソコンのデータの場合、手元に置いて並べるという身体感覚、ドッグイヤーを付けて折り込む、線を引いてメモを書きこむみたいなことが、何となくしにくい。
パソコンで読んだテキストの場合、自分でコピーをとって抄録をまとめたり、自分が読んだ感想をまとめたり、何がしかの形で「書く、アウトプットする」がないと、
どうもテキストが自分のものにならない、データがデータとして在るだけで、自分の中に入ってこない そんな感じがする。

このあたり、個々人によって取り込みかたはそれぞれで、デジタル以前とデジタル以後でスタイルが変わっている、いわゆる「勉強法」に属するものだろう。


このブログは、私の趣味娯楽分野の履歴を、ジョジョを中心に書きまとめたものです。

自分自身のパソコンにテキストデータを書き溜めるのではなく、なぜブログを書いているのか? というと、
それは、ジョジョのことをもっと語りたい、自分だけの感想に留めるのではなく、世間にひろく伝えて、(ジョジョを知る)他の皆さんに読んでもらいたい という意図があるからです。

この記事の表題にあげた、評論することのおかしみ、というものを、自分自身 ブログを書いていて感じます。

一歩引いて冷静に見ると、私自身 なぜ、この記事を書いたり、ジョジョのことや亀の飼育、キン肉マンなり趣味の感想をあれこれ語らなければならないのか!? と思います。

ひとことで言うと、それは、私の中の、声にならない声を拾い上げたい、言葉として書き留めて、(読者となる)誰かに届けたい ということに尽きるのでしょう。
私自身が、後になって自分の書いたことを読み返すこともありますし、誰か他の方が、これを読んでいただくこともあります。

この2~3日 テレビやインターネットで見るだけでも、面白い、興味を引くニュースが沢山飛び込んできます。
香港の区議会選挙と民主化運動。壇蜜清野とおるの結婚、イモトと石崎ディレクターの結婚、などなど。

ひきあいにだして申し訳ないですが、イモトと石崎Dが結婚したというニュースで、yahooニュースのコメント欄に、ims*****さんが下記のコメントを投稿していた。

イモト結婚発表 石崎Dが演出 - Yahoo!ニュース

「最近の芸能人の結婚発表にはない、驚きと喜ばしさがあった。
 大事なのはこれからで、イッテQのレギュラーとそれを作るディレクターとして、そして家庭を両立することで芸人、ディレクター、番組の発展が得られると思う。」

amazon読書メーター食べログgoogleマップ、5ch、爆サイfanzaツイッター、職場の休憩室、家庭や居酒屋でのブッチャケ話、etc。

人間は井戸端会議が大好きで、皆が評論家になって、お互いを評論して、褒めたり悪口を言ったり、色んなことを言いあうのが大好きだと思う。

何でこんなことを、何の立場で、何のために言いまわる必要があるのか!? と思うことがあるけども、
つまるところ、人間はおしゃべりすることが大好きで、誰かから誰かに関わりたい、誰かと誰かで関わりたい。
コミュニケーションのずれかた、かみあわなさ、個性が滲み出してはみ出してるおかしさ。

映画を観ている観客のすがたを誰かがさらに見ているような、
プロ野球で金本にガンバレ!と絶叫する観客の姿をさらに別の観客が眺めているような、無限につながるおかしさがあると思う。