ジョジョ読者のブログ

ジョジョの奇妙な冒険の感想、批評、考察を書いています。

映画の達人

荒木飛呂彦 著、2冊の映画評論本「ホラー映画論」「映画の掟」が出版されている。

ジョジョ製作の舞台裏を覗くような内容になっていて、映画からいかに作者が影響を受け、学び、マンガを描く肥やしにしていったか垣間見える内容になっている。

文章や内容そのものは、軽めの映画エッセーとして成り立っているので気軽に読める。(ジョジョや荒木飛呂彦を知らない人がこの本を読むか?という疑問はあるが)

 

ジョジョを読んできて、リアルタイムで読むとき(初めてストーリーを読むとき)の楽しさは、ストーリーを予想する楽しみだった。

3部 エジプトへの旅は、どこでどんなスタンド使いが出て、DIOとの決戦はいかにして決着するか?

7部 SBRのレース1位は誰になるか。ジャイロとジョニィはどのようにゴールを迎えるか。聖人の遺体の正体は明かされ、どんな奇跡を最後に起こすのか。 等等。

 

そして、ストーリーを予想しながら次回を読む楽しみは、今の8部に到っても変わっていない。

(8部の予想については、長くなるので別記事にて掲載)

 

ジョジョーー荒木作品の昔からこれまでを眺めていると、この作家の作品は、ものすごく映画に影響を受けながら描かれてきたのだと痛感する。

トリック、サスペンス、ホラー。男のロマン。

仕掛けを作る上手さ、ストーリーの構築、ちょっとしたやりとりの小粋さは、荒木先生が映画の見巧者となり、マンガ家の創作の源泉とし、面白いマンガを描くべく精進してこられたその成果なのだろう。

 

荒木作品史を見ると、初期短編集からトリック、サスペンス、緩急つけた勢いのある演出など、独自の映画的作劇手法が発揮されていることが分かる。

しかし、絵、ビジュアル表現の独自性が確立していったのはジョジョ2部前後から、作者がイタリア彫刻・ヨーロッパの美術と文化に触れて開眼したという1988年頃に端を発するだろう。

今 メディア等では、ジョジョはベタ褒めされている論調だが、面映く思うところもある。

気に入ってる方には申し訳ないのだけど、ジョジョ(荒木飛呂彦)の絵、一枚の絵そのものは、あまり特別に、ものすごくうまかったりするということは無い。ジョジョベラーの一枚絵を見ていると、人物のデッサンにゆがみが散見される。添付画像を貼らない物言いで申し訳ないけど、作者の意図による強調・あえて骨格を歪ませているというよりは、長方形のスペースにモデルを納めるために、骨や肢体の位置・長さがおかしなものになってたりする。

しかし、ジョジョの絵がタブローとして成り立っていないからダメだ、作者の画力が低いからジョジョはクソマンガ、そんなことを言うつもりは毛頭ない。

マンガとして、コマの連続がページをつくり、ページを重ねることでドラマやストーリーを成り立たせる手腕においては、荒木先生にかなうものはそうそういないとも思う。

元々 マンガの表紙やカラーページとして描かれたイラストをジョジョベラー等「画集」として見るのが不自然であって、マンガの1要素として、これらの絵は眺めるものだと思う。

 

そして長くなったが、ジョジョ8部ジョジョリオンは、新たなスタイル・ストーリーのジョジョを開拓していこうという姿勢はある。

しかし、「映画の掟」でアイズワイドシャットという映画が取り上げられ、分析困難な異世界と表現されている。

ジョジョリオンは設定に設定を、伏線に伏線を積み重ねるようにして描かれつつあるが、果たしてラストで、スッキリと何かの余韻を残すような、そんなエンディングにたどり着けるのだろうか。はたまた分析困難な異世界、としかいいようの無い不思議なストーリーを紡ぎあげるのだろうか。

其の辺りが、ジョジョリオンを読みながら少し気になっている。