ジョジョ読者のブログ

ジョジョの奇妙な冒険の感想、批評、考察を書いています。

黒歴史を照らす、理性の光

黒歴史」という言葉がある。
元々はアニメ用語らしいのだが、「思い返すと恥ずかしい過去」「黒く塗りつぶして封印したい、過去の出来事」みたいな意味で使われている。

黒歴史と言われて、自分にもいくつか思い当たる節があり、
過去を抹殺してしまいたい、エゴサーチの検索結果に自分の噂・悪評を書かれるのを消し去ってしまいたい!と思うときもある。

果たして、過去は黒く塗りつぶしてしまうべきだろうか?
否、黒く塗りつぶしたい過去ほど、理性の光に照らして反省すべきだと思う。

黒歴史を振り返るときに重要なのは、感情に飲み込まれないことで、
「ただ単に嫌なことを思い出す」のは自傷行為にすぎず、何の意味も無い。
客観的に、他人のように過去を眺めることが大切で、理性的な視点を持って、過去の事実・失敗の原因を反省することである。


過去を振り返るとき、最近の過去(3~10年くらい前)ほど恥ずかしく、至らないことが多かった気がする。
このブログの記事でも、2年ほど前のは、自分が読んでも「何を言っているのか?」と思う点もある。
肯定的に捉えれば、それは自分自身が変化・成長している証なのだろう。

昔 北条司先生が、漫画家志望者に送るアドバイスで、
「自分が昔描いた原稿を、定期的に読み返すといい。そうすれば、自分のどこが下手だったか、上手くなったか分かるから」と述べていた。

ジョジョの荒木先生も、(ジョジョニウムの表紙絵のような)昔のキャラクターを描かされるのはあまり本意ではないらしいし、
同じ絵、同じ話を繰りかえすのではなく、少しずつ、物語も絵も変化・進化し続けている。
ウルトラジャンプの小冊子 ジョジョコミックス100巻のお祝いで、
荒木先生は「100巻という数字だけでなく、よい作品を描き続けていけるよう精進したいと思います」と述べていた。

日々精進、日々反省の一歩一歩があったからこそ、コミックス100巻・連載25年の偉業にたどり着けたのだと思う。
第8部以降の最近は、地域に生きる「ゆるキャラ」的な感性を押し出している荒木先生だが、
胸の奥の炎は燃えていると、カッコよさに憧れてしまう。