ジョジョ読者のブログ

ジョジョの奇妙な冒険の感想、批評、考察を書いています。

27年ぶりにプレイした、「MOTHER」の思い出

極個人的に、私の中で、ジョジョと極めて近しい位置にあるゲームということで、MOTHERのことを書きます。
(この記事で触れるのはMOHTER1、ファミコンで発売されたシリーズ初代作についてです)


MOTHERは平成元年の夏休みに発売されたゲームで、
究極ハリキリスタジアム平成元年版の広告と共に、ファミコン雑誌で紹介されていたのを覚えている。

ジョジョの第3部が始まったのが平成元年の春休みで、
MOTHERの主人公 4人を、じょうたろう、ジョナサン、ホリィ、ジョセフと名付けてプレイしたものだった。

夏休みにゲームに没頭している姿を見て、兄からは「オタク族の休日」などと揶揄されたのだが、
傍目には、TVモニターの前で茫然自失しているように見えるのも確かだが、
TVモニターの中の、作品世界の中に、ドップリと入り込んで、ゲームをプレイしていた。


MOTHERをクリアした前後に、関連グッズが発売され、
MOTHERのサウンドトラック(はじめて買ったCDだった)、MOTHER百科という単行本を買った。

それまで、ファミコン神拳ドラクエの攻略本などは買うことはあったが、
自分で選んで買った、初めての「大人っぽいアイテム」で、中学1年生なりの背伸びをした買い物だった。


大人になってからはゲームをやらなくなり、ファミコンは実家のどこかに眠ってしまって、
MOTHERのサウンドトラックのみを、ipodで時々聴く状態となっていた。

最近になって、子供のWiiU ヴァーチャルコンソールで、ファミコンの旧作が復刻していることを知り、
WiiUでMOTHERを600円で購入、27年ぶりにプレイしたのだが……これが面白かった。


平成元年 中学1年生でプレイしたときは、ストーリーの意図がよく分からず、
ラストの畳みかける展開に感動したものの、なぜギーグが歌でやられたのか、意味が分からないままだった。

大人になって、時間のある休日に、テキストをしっかり読みながらプレイしていくと、
MOTHERのゲーム画面に隠されたストーリー、テーマ、モチーフの造形が浮かび上がってくるようで、
とても大切に、昔読んだ絵本を読み直すようにして、じっくりプレイすることができた。

個人的に、ファミコンのシンプルな画面構成や電子音が好きで、
80年代後半~90年代前半くらいのファミコン/スーパーファミコンのグラフィック・音声は、心にグッとくるものがある。

自分がゲームを熱中して遊んだノスタルジーだけではなく、
テレビゲームがグググッと盛り上がっていった時代の高揚感と、クリエイティビティの高まりを、感じることができるからだろう。

27年ぶりにプレイして、最も感慨深かったのは、「主人公と女の子が告白するシーン」で、
中学生のときは、女の子の問いかけに適当に返事をしてしまって、そのままシーンが通り過ぎてしまい、後からやり直すのも大変でそのままだった。
ホーリーローリーマウンテンの山小屋のシーンであるが、今回はたまたま子供が横におり、
主人公と女の子がFallin' Loveに乗せて踊るシーンを観ながら、子供は「面白い」と呟いていた。

ちなみに、今回の主人公4人の名前は、とものり マリアンヌ メガネ ヤンキー である。


27年ぶりにプレイして、感慨深かったもう一つのことは、
MOTHER百科を読み返してみて、中学生当時は訳の分からなかったコラムやレビューの意味が、ほとんど手に取るように理解できたことだった。
初読当時 高橋源一郎糸井重里が何を言っているのか分からなかったが、今ではよく分かった。

MOTHER百科に、(ページ順で)最初にコメントを寄稿しているのが橋本治で、
初めて読んだとき、「不細工な顔の男が、訳の分からない、分かったような分からないことを言っている」と困惑した。
しかし、この本を読みとおした後、いちばん印象に残っていたのが橋本治でもあった。
後年 たまたま書店で購入した「蓮と刀」をきっかけに橋本治にハマっていったのだが、
MOTHER百科の時点で因果が芽生えていたような気がする。

MOTHERのシナリオ、テキストを書き、ゲームの全体像を企画したのは糸井重里だが、
橋本治糸井重里は仲が良かったらしく、MOTHERのセリフやくすぐりにも、橋本治っぽいユーモアを感じるところがある。

リメイク版のMOTHEにのみあるエンディングシーン、
女の子が主人公に「私たちのあいさつは「さよなら」じゃなく、「またね」だね!」とあいさつするのだが、
これは、橋本治桃尻娘からセリフを取っている。2人の友情の証と言えるだろう。


MOTHERは、ゲームシステムやゲームバランスなどを見ると、
粗があるというか、現代ゲームの親切設計・誰でもクリアできるユニバーサルデザインではない。

主人公がほどよく弱く、仲間たちはあまり役に立たず、
ヤンキーやロボットは異様に強いがリタイアしてしまうし、最後の宇宙生物たちはとてつもなく強い。

これは、「子供は弱い。世界は大きい」というようなテーマが裏にあると思われ、
一概にゲームバランスが悪いと責めるのは片手落ちだろう。

個人的には、MOTHERはフィールドがとても広く、リアルな拡がりを感じられたのがとても心地よかった。
初プレイ当時の前後 アメリカ大陸を旅行していたので、アメリカの風土の拡がりをリアルに感じられたこともあったのだろう。

レベル上げをやらないと展開が詰まってしまうのだが、
フィールドマップを歩くのが心地よく、音楽が軽快で美しいため、地道な作業を楽しんで行うことができた。
マザーズデイの北、いちばん北まで歩くと断崖があり、海が広がっているのだが、
(ゲーム上 何の意味もない)断崖と海の広がりに、無性に感動した。
ゲームの作品世界に浸っていたいという意味で、MOTHERはとても心地よい、いい雰囲気を作っていたと思う。


MOTHERの音楽を手掛けたのは、鈴木慶一田中宏和の二人で、
この二人の手がけたMOTHERの音楽・SEは、ゲーム史上ナンバー1と言ってよい輝きだと思う。

鈴木慶一はXTCの大ファンらしく、
やはり後年 ロクニシコージのマンガをきっかけにXTCにハマったのだが、今思えばMOTHER近辺から始まった縁でもある。

(ついでに、今思い返したのだが、ロアルドダールの「チョコレート工場の秘密」が、はじめてお気に入りとなった小説で、
ダヴィンチのインタビューで荒木先生が同書をお気に入りにあげていたり、
ティムバートンが同作を取り上げて、手の込んだ映画を作ってくれたのは、嬉しい気持ちがしたものだった)


ーー音楽の好みであったり、好きな物語の種類であったり、どういうメッセージを求めているかなど、
人間の人格は、(こと私自身においては)中学生の頃から、現在まで変わっていないのだと思わされた。

糸井重里のインタビューを読んでいると、
MOTHERでお父さんが家におらず、電話の向こうからだけ語り掛けてくるのは、
糸井氏自身が離婚をしており、離れて暮らす娘に向けたメッセージが、MOTHERというゲームであったかららしい。

MOTHERというゲームは「お母さんのようなゲーム」を目指して作られ、
母のような温もり、暖かさを表現すると共に、未来のゲームクリエイターが創作の原点(母胎)となるようなゲームを目指したのだという。

有名な話であるが、田尻智がMOTHERに感動し、ニンテンそっくりのサトシが活躍するゲームを作った。
自分の場合は、ゲームクリエイターの道には進まなかったのであるが、
今 こうして振り返ると、自分自身の人格形成にあたって、大きな影響、方向づけを与えられていたような気がする。

ジョジョもそうなのだが、自分の人生に影響を与えた座右の書はあって、
宗教的な信心ではなく、自分の心を見つめ直す鏡として、これらのマンガ・ゲームを、改めて側に置いておきたいものだと思う。


最後に、MOTHERというタイトルの由来について。
お母さんのようなゲーム、お母さんと暮らしてきた故郷、母なる星の地球、ギーグが乗ってきたマザーシップ。
このあたりの意味が混成されて、全体を象徴するものとして、MOTHERというネーミングが付けられたようである。

ファミコンの電源を入れると(バーチャルコンソールを起動させると)、
黒い画面にクレジットが入り、エイトメロディーズのイントロと共に、地球が回りだすタイトルロゴが現れる。
宇宙空間にMOTHERの地球が浮かんでいるようであり、
これは、かつてマリアが宇宙船から見た地球、プレイヤーが眺めるMOTHERの宇宙世界を表しているのだろう。


MOTHERは、1980年代のアメリカを舞台に、超能力をもった少年が友達をつくり、旅を行う物語である。
ジョジョの第3部も、現代(1980年代)を舞台に、超能力をもった主人公が仲間と共に旅をする話で、両者の物語はよく似ている。

インターネットのレビューなどを読んでいると、最近のマンガ読者・ゲーマーの方(10~20代の方)は、
1980年代前後の風俗・文化は知らず、古臭いチープなものとして敬遠される傾向があるとのこと。

自分が年を取ったのだなと思いますが、「自分が生まれた年代より以前の風俗・文化」、マンガやゲームにもよいものは沢山ありますので、
ジョジョは読んだけどMOTHERは知らない、という方は、何かの機会にプレイしてみることをお薦めいたします。
600~5000円くらいの、お金を払ったモトは取れると思います。