ジョジョ読者のブログ

ジョジョの奇妙な冒険の感想、批評、考察を書いています。

ジョジョ展を観て、泉パークタウンを訪ねた旅の顛末

1991年頃、宅八郎が「さんまのまんま」に出演したときに、「承太郎がポケットに手を入れてたたずむ、キャッチフレーズグランプリのTシャツ」を着ていた。
ジョジョ24巻の表紙になっている、承太郎の背後にドジャーーンとかハートマークとか、いろんなアイコンが描きこまれたポップな一枚です)
ジョジョグッズ」を身に着けた人間を視たのはこのときが初めてで、
宅八郎=キモイオタク=ジョジョという図式が頭の中で繋がった自分は、「ジョジョはやっぱり、気持ち悪いオタクが読むマイナーなマンガで、この趣味はこっそり胸の中にしまっておこう」と思った。

ーーそれから30年近くが過ぎて、家族の薦めがあり、仙台市で開催のジョジョ展を初めて観に行くことになった。
(早朝に関西を出発し、仙台・東京の一泊二日の旅をした)

ジョジョシリーズの原画、カラーイラストやモノクロ原稿を観たのは初めてで、眼福としか言いようのない、貴重な体験をさせて頂いた。
JR仙台駅に到着し、地下鉄に乗った辺りから、ジョジョのグッズやアパレルを着こんだカップル・若者が多く乗り込んできて、駅構内のそこかしこに原画展のポスターも貼られていた。
ジョジョが気持ち悪いマンガで、地下室のオタクのみが好むようなマイナーな存在であったのは過去のことで、すっかり陽の目を見るようになったことを感じて、くすぐったいような不思議な気持ちがした。

ジョジョの原画展はとても興味深く、一言でいえない感想があったが、(画を観た感想を言葉で述べるのは難しく、)このブログが適当だとは思えない。
あえて言えば、かつて宅八郎が着ていた「承太郎のTシャツ」、「赤系の衣装でまとめたDIOのTシャツ」なんかが売っていたら欲しかったが、あいにくそうしたグッズは売っていなかった。
4部・8部のモノクロ原稿は印刷物で見る以上の迫力・奥行きがあり、原画に込められた内容や情感が、印刷技術を介し、薄く広く拡散していることが分かった。
ビタミンCのホログラムビジョンが手元に映りこむのが面白かったこと、
展示会の最後が「岸部露伴が、読んでもらうためにマンガを描いていると宣言する」生原稿で終わったことに、小粋さを感じたことであろうか。


ーーこのブログでは、ジョジョ展そのものの感想・内容に触れることは上記のとおりとして、
4部/8部 杜王町のモデルになったという仙台市の実際の街並み、荒木先生が育った故郷を巡って歩いた概要を記します。

 

  ***


ジョジョ展の展示会場を出て、地下鉄とバスを乗り継ぎ、泉パークタウンへ向かった。

「泉パークタウン(仙台ロイヤルパークホテル、紫山のあたり)が杜王町のモデルらしい」とのネットの情報を得て、
ものは試しと、荒木先生の生まれ故郷である仙台の街を、散策してみることにしたのであった。

旅行から帰ってきて手元の資料・冊子を調べ直したところ、荒木先生はたびたび、仙台郊外の都市開発と、杜王町が生まれたきっかけについて語っている。
jojo-a-gogo! 付属冊子のインタビュー、コミックス35巻・62巻のはしがき。ジョジョベラーのインタビュー。
そして、仙台市が企画した「広瀬川インタビュー」にて、同氏自身が、小さい頃に遊んだ思い出の場所、泉パークタウンや鶴ケ谷ニュータウンの開発から杜王町の構想が触発されたことを詳細に語り下ろしている。

仙台市営地下鉄乙女駅に向かう辺り、地下から地上に電車が抜け出てきた辺りで、線路沿い 高台の住宅を見て「あっ!」と思った。
かつて私自身が育った関西郊外の住宅地、田舎の野山を切り開いて造成したような、そんな住宅地にそっくりだったからである。

泉中央駅からバスに乗り込み、泉パークタウンの敷地に入った。
泉パークタウンは、関西でいうと洛西ニュータウンや神戸市北区のニュータウンのような、山を削って、丸ごと新しい一つの街をつくった住宅地であった。

バスを降りてしばらく歩き、図書館を抜け白百合学園を越えて、紫山の住宅地に入った。
残暑厳しい晴れの日で、カーーッと照り付ける日差しはとても暑く、住宅地の隅々をまぶしく照らしていた。
アンドリュー・ワイエスの風景画のような侘しい一帯があり、殺風景とも言えるが美しいとも言えるような、そんな景色があった。

泉パークタウンという街そのものの良し悪しを、部外者である私が軽々しく語ることはできない。
泉パークタウンという住宅地は、日本に遍在する高級住宅地・郊外を開発してつくられた新たな住宅地だと思う。
街そのものの風景や生活感でいうと、ジョジョ4部の杜王町もさることながら、いがらしみきおのホラーマンガ「Sink」がもっと直接的に、現実に結びつく形でモデルにしている と感じた。


荒木先生のかつてのコメントを紐解くと、jojo-a-gogo!のインタビューでは、けっこう辛辣な、直截なコメントが記されている。
コミックス35巻のはしがきでは「関係者の利益だけを考えて、山を一つ削ってしまう行為。それは犯罪ではないのか?」と、かなり厳しい表現で、自然環境破壊への嘆きが語られている。

杜王町のモデルであるような郊外のイナカの景色。
鉄塔がポツンと立つ山辺の景色や、ネズミが農家に侵入してくるような田園の景色など、(荒木先生が子供の頃は、)そんなイナカの景色が今よりもっと、仙台に沢山残されていたのだろう。

荒木先生の母校である東北学院高校榴ヶ岡校舎から泉ヶ岳方面を臨む山の手の景色。
成育地である若林区の周辺(?) 鶴ケ谷ニュータウンの開発に伴い「子どもの頃遊んだ、裏手の山」が丸ごと一つ無くなったことなど、荒木先生の嘆きは大いに頷けるところがある。

私自身 関西地方の郊外、滋賀県の山の手の住宅地で生まれ育ったのだが、小さな裏山のそばに家があり、自然と共生しているような、そんな親しみを感じていた。
その後引っ越した住宅地は山一つを丸ごと無造作に削ったような愛想の無いニュータウンで、コンクリートむき出しの住宅地には、何となく情緒の荒びを感じたものだった。

しかしながら、よく考えてみると、私が元々生まれ育った山の手の住宅地も、もともと野山・原野であったところを開発し、住宅地として整え両親が購入したものである。
人間が生きて増殖し、地球上に暮らしている以上 必ず自然と「戦い」、自然を「征服」する必要が有る筈で、かつての生家へのノスタルジーは、多分に甘すぎる嫌いがある。


ーー現在 私が思うところとして、泉パークタウンに象徴される住宅開発、「山を削って住宅地を開発すること」を悪であり犯罪であると、単純に否定することはできない。
ただし、私がかつて住んだニュータウンもそうであったし、洛西も神戸も、仙台の泉区も同じかと思うが、新しく作られた街というのはどうしても、まだ「自然に馴染む」ことができていない。

仙台の街を訪れたとき驚いたのが、定禅寺通りケヤキ並木の圧倒的な量感で、街の目抜き通りを歩きながら木漏れ日の中を森林浴しているような、とんでもない自然のボリュームがあった。
仙台の翌日に訪れた東京でも、お茶ノ水~信濃町~四谷、池袋から石神井公園までを電車と徒歩で縦貫していったのだが、
自然と馴染んだ古い建物が美しく、自然と人為の調和した営み、「生活の跡」をそこかしこに見ることがあった。

京都の人は概ね悪口が好きだが、彼らによると、企業や商店を評価するとき、「どれだけ長くやっているか」を重視し、
三代目・四代目と長く続くほど良く、100年単位でお店や企業が存続していないと、あまり重きを置いてもらえない そんな価値観(悪口)があると言う。

ニュータウンと古い街の違いも、まさに同じことで、
仙台市の「花京院」「定禅寺」「勾当台」etcの地名には長い時間を積み重ねたロマンがあるし、ジョジョのキャラクターに通じた重ね合わせもできて、そこはかとない面白味もある。
ニュータウンの歴史が50年~100年と積み重なっていけば、そこに古びができ、長年住み続けてきた人々の足跡が残り、その街独自の「味」が出てくる。
そんなものなのだと思う。


最後に、仙台を旅行してきた結果 勝手ながら荒木先生の胸の内を推測させていただくと、
かつてのニュータウン開発、故郷が取り壊されることへの不安・反骨から、「キレイな反面、不気味さが潜むニュータウン杜王町の構想が生まれ、
また、勿論 それだけではなく、生まれ故郷への愛着を大いに含めて、4部/8部の杜王町が描かれてきたのだと思う。

現実への批判、反骨からあらたな表現が生まれる。

「恐怖」や「不安」をテコに、ホラー映画やサスペンス映画の面白さをマンガで描くアラキマンガの方法論が、杜王町の構想に大いに活かされたのだと思う。

いがらしみきおのSinkと、ジョジョ杜王町は、同じ仙台をモデルにしていても、作品の読み味・印象は随分異なる。
当たり前だが、それぞれの作家が持つ個人的資質、作品で訴えたい感情・内容の選択によって、街の描く表情(=作品への切り取られ方)は、それぞれ異なってくるものなのだろうと思う。

しかしながら自分は、泉パークタウンの瀟洒なホテルやショッピングモールの賑わいよりも、
石神井公園の「ほかり食堂」 650円の日替わり定食と、シワシワに読みこまれたスポーツ新聞の斜め読みに、より多く満足した人間であった。
阪神ファンでもないのに)鳥谷敬の2000本安打にちょっと嬉しくなり、鳥谷ら野球部OBが(若くして亡くなった)級友の同窓会を元日に開き続けていることなど、シンミリ 良い話だと思って読んでいた。

荒木先生の広瀬川インタビューで、ルーブル美術館に象徴されるアートシーンと、電車の中で急いで続きを読む連載マンガの味わい、マンガの「2つの側面」について触れられていた。

自分はジョジョ展で、カラーイラストの美しさ・迫力に感心したこともさることながら、重ちーが爆死したシーンの描画の迫力、吉良と仗助が会合したシーンの見開きの描画など、モノクロ原稿の迫力と工程の履歴に、より心を奪われていた。
ほかり食堂のような昭和の古き良き食堂に、週刊ジャンプが並び、ドラゴンボールキン肉マンジョジョの連載が読まれていた時代もあった。
吉田義男鳥谷敬の2000本安打を祝福しつつも、「守備だけなら私のほうが上手かったですが、走攻守の総合力では、鳥谷君が阪神No.1のショートかもしれませんな」と良く分からない祝辞を述べていた。
プロ野球の記録が100年近くに渡って刻まれてきたのと時を同じくして、少年ジャンプの連載の歴史も、石神井公園や仙台の街並みも、私の人生も少しずつ年を重ねてきていると思う。
「時間の地層」がしみじみと積み重なっていくのは、良いものだと思った。