ジョジョ読者のブログ

ジョジョの奇妙な冒険の感想、批評、考察を書いています。

ジョジョ5部と6部の難点 (ジョジョとキリスト教の関わり、端書き)

仕事の関係でキリスト教とそれに類比・対置する思想哲学を調べる必要があって、自分なりにあれこれ読んでいた。
まだまだ調べて実践し、確かめている最中であるが、
途中でふと気がついたことがあり、
ジョジョのシリーズ、中でも5部と6部、7部以降の展開は、キリスト教の解釈と深く関わっているのではないか」
ということだった。


私の手元には今日現在、ジョジョの5部と6部だけが手元になく、(昔に読んで)実家に置いたままになっている。
結婚をして実家を出たときにほとんどの本を実家に置いて、(結婚後)順次刊行されるSBRの単行本を手元に置いていた。
その後 きっかけがあり、最近になって1~4部までの単行本を手元に取り寄せた。

私にとって、ジョジョ5部と6部は捉えづらく、率直に言って手放しでは絶賛しにくいシリーズであった。

お断りとして、下記 5部と6部を部分的に否定、disる発言を行っていきますが、
私個人の見解であり、自由な意見としてご容赦頂きたいと思いますーー

 


ジョジョシリーズを1部から7部まで通して読んできて(8部は未完のため対象から除外)、
5部と6部は、他と較べていくらか落ちる。

理由はいくつかあって、
・3部、4部からのスタンドバトルで物語を繋ぐ連載形式に飽きていて、マンネリ感が強い

スタンド能力が分かりにくく複雑になり、頓智を掛けあってバトルが二転三転する爽快感が無くなった

・絵柄、コマ割りに癖が強くなって、読みにくくなった

・何となく読んでて息詰まる感じがあり、楽しい、広々とした感じに欠ける


加えて、キリスト教などの勉強をしていて気付いたのが、

キリスト教を対象とした宗教・哲学の議論が物語に入り込んでいて、複雑で、読みづらい話になっている

ということだった。

荒木先生が、自分自身の宗教観・哲学思想を整理し、まとめ直しつつ、ストーリーやバトルの裏側で自問自答し描こうとしている。
だから、背景にあるルーツ(キリスト教)を知らないとエピソードや場面場面の意図・象徴が見てとれず、読み取れない。
5部と6部の分かりにくさ、読みづらさには、そのような事情があったと思う。

近作 SBRで言えば、シビルウォーの贖罪の話。
ホットパンツはなぜシビルウォーに勝てなかったのか、罪を清めるとはどういうことなのか。
キリスト教の知識と物語を知っていないと、モチーフの挿入された意味が分からない。

ちなみに、7部 SBRの全体を貫くキーワード、大きなモチーフは「開拓者の精神」であろうと、私自身は受け取っています。

そして、次の記事から、5部と6部におけるキリスト教の解釈と展開、それぞれのストーリーとテーマの全体像を、私なりに追っていきたいと思っています。