ジョジョ読者のブログ

ジョジョの奇妙な冒険の感想、批評、考察を書いています。

マンガ 「セブンブリッジ」の感想

セブンブリッジというマンガを読んだ。

板橋しゅうほうによるSFファンタジーで、白雪姫を中心に、いろんな童話・ファンタジーの要素を盛り込んだ想像力豊かな作品だった。

ジョジョとほとんど関係ない話題となり、すみません。付け足しのように加えると、本作冒頭に出てくるブックマンの描写は、ヘブンズドアーの能力描写に先駆けていると見えなくもない。
ヘブンズドアーの人が本になる描写は、先行するマンガ「外道の書」から来ているが、外道の書の作者は、セブンブリッジを読んでいたのかもしれない。

しかしそもそも、創作のエッセンスをどこに求めるかというのは視野の狭い了見で、白雪姫や不思議の国のアリスはどこから来たのか?童話やメルヘンに原著者が居て著作権が保障されるのか?
ウサギや小人のイメージ、物語を最初に作ったのは誰か?と、パクリ元、パクリ元、パクリ元…を無限に探し続けるのは、あまり前向きな考察にならない。
聖書や仏典、自然科学や考古学の新説を手繰って、なにかしら大きそうなイメージにたどり着くのがお定まりのパターンなのだろうか。

ーーセブンブリッジで展開されるアイデアやファンタジーもそんなところがあって、
現実世界の日本を飛び出したあと、作者の想像が及ぶ限り、さまざまな異世界を巡って、宗教、政治経済、人間の物語のエッセンスを詰め込んだ旅をする。

セブンブリッジ(7人の小人)の少しヒネッたキャラクター造形、敵役との戦いの感じは、東映特撮のスーパー戦隊を思わせるところがある。
それも道理で、板橋先生は若いとき、スパイダーマンなど東映特撮シリーズのキャラクターデザインを手掛けていたということだし、
芸大時代の創作仲間は、平成ウルトラマンシリーズの特撮に技術者として関わったとのこと。
類は友を呼ぶというか、自分も実写特撮が好きなので、ヒーローが巨大な敵と戦う感じや、1人1殺の武器を持って戦う感じはスタンドバトルやウルトラ怪獣よろしく、ググッと盛り上がるものがある。


個人的に感傷を呼ぶのが、作者が滋賀県出身で、冒頭 現実の日本の舞台として大津市の市街地が描かれており、
琵琶湖を囲む街並みの風景、児童劇団が演劇を行う県民ホールの様子など、なんとなくひなびた感じにリアリティーがあり、作者の描写力に度肝を抜かれた。

7人の小人がセブン・ブリッジ!と叫んで、異世界へ橋をかけるのは、2回。
物語のスタート 嵐の琵琶湖から旅立つときと、カプセルで眠っていた夏子に、あらたな旅を呼びかけ旅立っていくエンディングの、2場面である。

マンガや絵画の観かたとして、人間の目(日本人の目)は右から左へ流れ、右が過去、左が未来を表す というような一説がある。
1枚ものの絵画では、画面の向かって左側が未来、右側が過去であり、前向きで明るい感じの絵は、画面の左から光が差していたり、人物が左を向いているような話である。
(著名な例として、フェルメールの人物画を思い浮かべてみてください)

マンガ、日本語で書かれたマンガでは、ページは右から左に向かって開く。

そして、セブンブリッジ 1巻の冒頭で、現実の日本に別れを告げる夏子は、左(=未来)を向いて「そして、さよなら」とつぶやき、
県民ホールの舞台と重なり、現実とも夢(舞台)ともつかぬ異世界へ旅立っていく。
そして最後、もう1人の夏子が旅立っていった後 物語の主役の夏子はセブンブリッジと別れ、彼らの別れの言葉に「うん」と、右(=過去)を向いて涙ぐむのであった。

物語のラストのページ 白雪姫とアリスを組み合わせた一枚のイラスト、「君と夏子の夢見る時代は終わらない」とのセリフが何ともいえない感じがある。
言葉遣いやセリフ回し、絵柄の感じ、素朴な夢を吸い込んで朗らかな感じに、1980年代のマンガの、何とも懐かしい感じがある。
作者の年令や描いたときの状況にもよるし、1980年代末は私が小中学生だった時期で、青青しい子供の頃だった。

物語の設定がやたら凝っていたり、とぎれとぎれに読みにくいところもあったのだけども、
コンピュータやインターネットの設定は現代に先んじてリアリティーが有り、下品な方向やおちゃらけに持っていかず、真面目な感じに物語をまとめるのは良かった。

セブンブリッジの物語上 大津の県民ホールから物語が始まる必然性は薄いのだけど、そこを起点に持ってくるところに、作者の故郷への思いを感じた。
そしてそこから旅を始めて、ローカル線巡りの地方旅(近江八景なり、日本の名所なり、世界の名所を巡るみたいな展開だと興ざめしてしまう)にはもっていかず、
作者の想像と経験を詰め込んだ異世界への旅、夢と現実、過去と未来をつなぐ「人間の夢」を、全7巻・50話に描き出せた意欲作だと思う。


セブンブリッジというマンガは、大津を舞台の起点に置きつつ、夢と現実、過去と未来をつなぎ得た作品という意味で、
映画「幻の湖」の成功版、物語を破たんさせず最後まで渡り切った、描き切った物語だと思う。

近年 橋本忍先生は亡くなられたということだが、橋本先生はセブンブリッジを読んでいたのだろうか。
ときどき 琵琶湖大橋を通り過ぎるときに、幻の湖 血まみれのラストシーンを思い起こすのだが、そんなことを考える人が果たして、今の日本で何人居るのか。
一人でも思い起こす人がいるかぎりは、その物語は死なず、生き続けるのだろう と思う。