ジョジョ読者のブログ

ジョジョの奇妙な冒険の感想、批評、考察を書いています。

当ブログのアクセス解析、インターネットで記事を書くことの反省

このブログを開設させて頂き、沢山の方がアクセス、記事を読んでいただきありがたいことだと思う。
ときどきコメントを頂くことがあって、コメント投稿いただく記事の種類は、アクセス割合に比例している。

当ブログの人気記事、アクセスの多いベスト3は下記の通り。

1位 ジョジョリオン53話 過去編が完結し、「無かったことにされるだろう伏線」を整理する

2位 MOTHER3 「END?」でそのまま終わってほしかったクソゲー

3位 ジョジョは、なぜ気持ち悪いのか?


アクセス割合は、インターネットで検索をする方、当ブログ(の記事、情報、キーワード)で何に興味を持ったかの割合であり、
おおげさに言えば、自分と他人 筆者と読者のコミュニケーションを探る行為であり、興味深い。

ジョジョリオンの伏線や設定の整理、また、ジョジョが気持ち悪いことの論考というのは、
(自筆記事のクオリティは別として、)皆が興味を持つことであり、自分自身も、他の方が同テーマで書いた記事があったら是非読んでみたい。


意外だったのは、ゲームレビューの記事を書いていて、MOTHER3が詰まらなかったという感想が多くのアクセスを集めたことだった。
当時 レトロゲームを懐古しつつやりこんでいて、その感想を書き留めたもので、耳目を集める期待は持っていなかった。

この記事が注目を集めたのは、記事の内容の「過激さ」であり、ネガティブなワードを含むダメ出しの直截さが読んだ人の感情を刺激しやすく、
また、インターネット検索で注目を集めやすい内容だったのだと思う。

MOTHER3ディスる記事を書いて、同シリーズの熱心なファンの方は、気分を害された方もあるようで、その点は申し訳なかったと思う。
コメント欄に、匿名でひとこと「死ね」と書く方もあって、驚き、そのコメントは削除させて頂いたのですが、
動機がなければ行動をしない訳で、私の記事に「死ね」と書きこみたくなるほど、その方を情緒的に揺れ動かす切っ掛けが自分の記事にあったのかも、と反省しつつ複雑な思いがする。
ただし、この記事を削除することはせず、そのまま載せておこうと思います。(理由は、同記事とコメント欄にて述べた通りです)


このブログを始めるときに、ブログ、SNSというものは「公共の場」における発言なので、
なるべくネガティブな発言、誰かを攻撃する物言い、無責任な放言はしないでおこうと思って、
自分なりに思うところの感想や意見、一貫した自分なりの考えを述べていこう と思って書きはじめました。

ただのおべんちゃら、ひいきの引き倒しは退屈だし、アクセス数を稼ぐための薄っぺらい情報広告は巷に氾濫していますが、そういうものではなく、
1対1の感想、著者と読者のシンプルな関係、対話的な感想、意見、批評というものを、(ジョジョファンである自分自身が)もっと読みたい と思ったからです。


糸井重里さんの仕事について補足すると、私自身は、MOTHERシリーズに限らず、糸井さんのキャッチコピー、広告業界における作品や仕事をある程度は知っています。
ほぼ日手帳を欲しいと思ったことはありませんが、世間一般の平均値と較べると、糸井重里のファンであり、興味を持っている と言えるでしょう。

昭和の終わり頃 井上陽水が出ていたTVCMで、「くうねるあそぶ」というキャッチコピーがあり、後に、糸井さんの作であることを知りました。
くうねるあそぶ は良く出来たキャッチコピーで、現在までに一般化し、
著作権上の許諾を得ているのかどうか定かではありませんが、)幼稚園や保育園の保育指針、NHK Eテレにて「くうねるあそぶ」のキーワードが、概念としてそのまま使われたりしています。

下記の記事で、糸井さんがこのコピーを考えたときの経緯が語られています。

糸井重里が語る「食う」「寝る」ともうひとつの大切なこと 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット)

日産自動車のためにつくったコピーで、「くうねるあそぶ。」があります。
落語の前座噺である「寿限無」に、「くうねるところにすむところ」があって、そこから発想を得たものです。
ぼくは、「くうねる」に「あそぶ」を入れないと納得がいかなかったんです。


このブログを書くことも、くうねるあそぶの3つめ、「遊び」に該当する行為で、人類の生存にとって何の意味も無い、必要のない行為とも言える。

「男の品格 気高く、そして潔く」川北 義則さんによる本があり、
さる企業経営者の方が、男のありかた、生きかたや遊びを再確認させてくれる本、という書評を述べていた。
率直なところ、奥さんに隠れて夜遊びすることを許してくださいね という意味なのだが、正妻たる奥さんに向けたメッセージと捉えると、
(公共の場である)書評でこのようなことを述べた経営者 Aさんの潔さ、図太さ、あるいは開き直りというものは、呆れ半分で器が大きい と認めざるを得ない。

夜遊びがいけない とされるのは、夜遊びによって傷つく人間が居る。そのことを省みない男のワガママさ、いい加減さが批判されるのだと思う。

インターネットにおける炎上騒動、政治家の先生がターゲットになることが多い「不適切な発言、言動」も似たところがあって、
自分自身がブログを書いていくにあたっても、この記事を読んでくださる誰かへの配慮、読者への配慮というものを忘れず、気をつけていこう と反省した次第です。