お正月休みに、映画「燃えよドラゴン」をはじめて観て、あわせて、手元にあった手塚治虫「マンガの描き方」を読み返し、ゆでたまご「生たまご」を読んだ。
東洋と西洋の違い、肉体と精神の調和みたいなテーマを求めて、アマゾンプライムではじめてレンタルした映画が「燃えよドラゴン」。これがドンピシャに面白く、今更ながら観て、見終わった後も興奮して、身体の震えが止まらないほどだった。
私は映画をほとんど見ない人間で、ダーティーハリーも数年前にようやくはじめて観たし、燃えよドラゴンも先日にはじめて観た。
子どものとき読んだドクタースランプには、イーストウッドを模した散髪屋さん、ブルースリーやジャッキーチェンから着想を得たカンフーヒーローが登場していたのだが、最近になってようやく、元ネタとなる映画を観た訳である。
ブルースリーの燃えよドラゴンは、「強さとは何か」を追求し、表現した映画である。
北斗の拳、ドラゴンボール、キン肉マン 1980年代に少年ジャンプで描かれた少年マンガは、明らかに、ブルースリーの燃えよドラゴンを源流として、作者ごとのそれぞれの物語、男のカッコ良さを描いてきたことに今更ながら気づいた。
鳥山先生が描く孫悟空のキャラクター、ひょうひょうとして自由なところ、浮世離れて達観したところは、ブルースリーが持つ二面性、武闘家と哲学者のあたりからもインスパイアされていたのだ と知った。
ブルースリーが早くに亡くなり、燃えよドラゴンで描かれた理想的人物像を継承発展させたのがドラゴンボールの悟空だと言ったら、ひいきの引き倒しになるだろうが、そんな感じもする。
荒木飛呂彦のマンガに、直接、ブルースリー的なカッコ良さを感じさせる節はあまり無い。
ジョジョ、荒木飛呂彦のマンガは西洋的なムードが強く、シャーロックホームズ、ヒッチコック、近年のモダンホラー映画・サスペンス映画から範を取ったものが多い。承太郎のイメージソースであるイーストウッドも、ハリウッド映画の人脈にある人である。
ジョジョで、いわゆる東洋思想的なエッセンスが入り込んだのは第6部、ジョリーンが陰陽道のバックルを身に付けて脱獄し、キリスト教原理主義の神父を打倒しつつ、世界が一巡し、第7部であらたな輪廻に入ったあたりである。
7部の中で、イエスさまが「ものごとは円」と述べたくだりがあるが、このあたりも、西洋から見た東洋思想を、もう一回 東洋人である荒木先生が取り込んで、自らのエピソードとして描き出したような、そんな面白さがある。
ーー描きながら気づいたが、ジョジョシリーズの主人公は武器を使わず、己の肉体で戦う。
ジョナサンはツェペリから教えを受けた波紋法で戦い、波紋が変形・拡張発展したアイデアがスタンド(幽波紋)だった。
呼吸をベースに腹で気を練る波紋法は、明らかに東洋武術であり、キャラクターたちが己の肉体と精神を駆使して戦う様は、武闘家のそれにならっているともいえる。
キン肉マンで、キャラクターたちがプロレスリングで全ての決着をつけるのはヘン みたいな突っ込みがある。
同じく、ジョジョのスタンド使いたちが、基本 一対一で戦い、刺客たちが一斉に襲い掛かってこないのはヘンだという突っ込みがある。
いくつか理由はつけられるのだが、根本的には、荒木先生もゆでたまごも、男と男の戦いは一対一であるべきもの、強さとは何かを求めるときに、他人の余計なジャマ立ては要らない。
そう考えるからこそ、承太郎対DIOは一対一の戦いとなったし、ゴールドマンとザマンの戦いも余人が入るスキは無い。ジャマする者は殺されるしかない という緊迫感が周囲を圧倒したのだと思う。
冒頭に挙げた、年末年始に読んだ本や映画の感想を語りだせばキリが無く、ひとつひとつを詳細に述べることはとてもできない。
最後にひとつ、手塚治虫「マンガの描き方」を読むと、驚くほど、荒木飛呂彦「漫画術」の記載と一致する。
荒木先生が前掲書を読みこんだかどうかは分からないが、手塚治虫、手塚マンガとその構造や背景を知らないということはありえず、何かしらのかたちで影響を受け、学んで、自らのマンガに活かしたことは間違いない。
ジョジョのルーツを探る というカテゴリーで、いくつかの映画や本などを紹介してきているが、
これらが、荒木飛呂彦、ジョジョ、1980年代ジャンプの少年マンガに多大な影響を与えていることは疑いない。
ジョジョシリーズや荒木マンガが好きで、これらに触れたことが無い方があれば、いちど手にとってご覧いただければ面白いのではないか と思う。