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ジョジョ読者のブログ

ジョジョの奇妙な冒険の感想、批評、考察を書いています。

大川の水と、ウォータールーサンセット

ジョジョ4部 ジョジョと音楽

芥川龍之介の作品で「大川の水」という短編がある。

青空文庫で無料で読めますが、20歳の作者が生まれ育った故郷を振り返るエッセイ。

 

この短編を読むと、キンクスのウォータールーサンセットが頭の中で流れ出してしまう。

ウォータールーサンセットはイギリスっぽい皮肉な詩で、そのシニカルさにほんわかとした暖かい気持ちになる。

 

 

ジョジョとほとんど関係ないトピックで恐縮ですが、

荒木先生が描く杜王町も、きっと、作者自身が生まれ育った故郷や今暮らす町のエッセンスを詰め込んだ「ちょっと不気味な、理想の町」に違いない。

 

芥川龍之介は後年 生活に疲れて自殺してしまうのだけど、死ぬ間際に大川の水を思い出さなかったのだろうか。

自分自身にとっても、何か辛いことがあったとき、思い留まって踏みとどまらせるような「心の故郷」は大切だと思う。

いい思い出ばかりではなく、悔しかったこと、やり直してやり遂げたいと思った事柄なども、帰るべきポジティブな場所=生きる動機につながるのだろう。

 

 

 

追記 2014/8/25

 

ウォータールーサンセット 3番の歌詞は下記の通りであるが、長年 思い違い(?)をしていた。

 

Millions of people swarming like flies 'round Waterloo underground
But Terry and Julie cross over the river
Where they feel safe and sound
And the don't need no friends
As long as they gaze on Waterloo sunset
They are in paradise

Waterloo sunset's fine

 

自分の解釈では、

ウォータールーの地下にいる死者たち(橋や川岸をつくるときに亡くなった方々?)がいて、テリーとジュリーが安心安全に橋を渡るその地下には死者、そしてその死者たちはウォータールーの夕暮れを見て天国にいる。

 

しかしこれは、ウォータールー駅の地下鉄が人でごった返す頃、テリーとジュリーが橋を渡ってどこかへ駆け出していく。そういう健全な意味だったらしい。

 

とんでもない誤解をしていたのかと思いましたが、先日の山下達郎サンデーソングブックで、

(少なくとも自作の曲については)歌詞の解釈はお好きなように、聴いた人がそれぞれ膨らませたらいいじゃないか、というようなことを言っていた。

そこで、上記 3番の歌詞の解釈を、あえて記してみました。