西村繁男 さらばわが青春の『少年ジャンプ』、 後藤広喜 「少年ジャンプ」黄金のキセキ という2冊の著書がある。
週刊少年ジャンプの編集者、のちに編集長を務めた2人が書いた本で、西村氏の本は編集者としての自分史、後藤氏の本は、編集者の視点からジャンプ作家と作品を語り直す本となっている。
いずれの本もとても面白く、当時の少年ジャンプがいかに作られたか、商品・事業としていかに拡大成長していったかの軌跡を知る貴重な資料となっている。
編集者の視点から、ジャンプ作家と作品をどう捉えているかを知る、マンガ批評としても読むことができる。
西村氏の本は、1990年代後半 わたしが20代の頃にも存在を知っていたが、
当時は私もひねくれた若者であり、「鳥山明を使いつぶした編集部の面々が、何を回顧面して青春語りしているんだッ!」と義憤を感じ、まともに読もうと思わなかった。
今読むと、西村氏の言動に好悪の両面を感じないでもないが、それはそれとして、集英社という出版社における商業誌の創刊と育成、当時のサラリーマンの働きぶりや煩悶、社会情勢時代情勢も加えて、とても面白い読み物だった。
後藤氏の本は西村氏に較べると読みごたえは薄いが、一個のマンガ作品を、編集者がいかに読むか、少年ジャンプ編集者・編集長(中の人)がこんな風に読んでいたのか という視点の共有が新鮮だった。
少年ジャンプをとりまく実像は、もちろん、西村、後藤氏の二人だけで描き、暴かれるものではない。視点の偏り、抜け落ちた情報も勿論あるだろう。
しかし、編集部の中の人の残した資料として、当時のマンガ作品の裏側、背景を知る資料となることは確かだ。
以下 2冊の本の読書メモを記しながら、荒木飛呂彦 ジョジョの奇妙な冒険との連関を、つらつらと記していく。
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西村氏の著書(以下「西村」)を読んでいて、編集者たちの若さ、血気盛んさに、読み物として惹きこまれる。
西村を通して、繰り返し描写されるもの。それはスピードである。
スピード
ジャンプ
創刊メンバー 長野氏が考えた、新雑誌「少年ジャンプ」のキャッチコピー 「ぜんぶ漫画、ぜんぶ読切、新しい漫画新幹線」
スピード。
西村P95
読者アンケートが1000通溜まったところで、無作為抽出によりハガキを取り出し結果を読み込む。しかし、「もう待てなくて」100通溜まったところから、ハガキを読み込んでいった。
月刊紙から隔週刊誌、そして週刊誌へ。 少年ブックから少年ジャンプへ、雑誌の展開。
西村P25
昭和39年 第二次世界大戦を懐古的に振り返る、撃墜王を英雄あつかいする図解特集や漫画からの脱却。
東京都内の小学4~5年生を対象にしたアンケート調査。戦闘機等のメカニックに多大な関心を持ちつつ、戦争の悲惨さ、平和の大切さもよく理解していた。
同調査におけるイメージ調査で、 一番心あたたまることは 友情、一番大切に思うことは 努力、一番嬉しいことは 勝利 3つの言葉が選ばれた。長野は、この3つの言葉を少年ブックの編集方針に据えた。
後の少年ジャンプでは、3つの言葉の意味する要素を、必ず漫画の主題に据える。3つ全部が入らなくとも、1要素はなんとしても入れることが強力な編集方針となった。
後藤氏の本(以下「後藤」)より、少年ジャンプの編集方針が6つ挙げられている。
後藤P14
1、 毎号雑誌にとじ込まれた「愛読者アンケートハガキ」により、思い込みでなくデータに基づいた読者調査をすること
2、 メイン読者は、小学2、3年生から中学3年生に設定すること
3、 誌面は、漫画のみの掲載で構成すること
4、 新人漫画家の発掘と育成に努めること
5、 連載漫画家とは、年間執筆契約を結び専属にすること
6、 連載作品は、漫画家と担当編集者1名によるマンツーマン方式によって作ること
少年ジャンプ創刊メンバー(長野、中野、西村、加藤)による、スピード、スピード、スピード。猪突猛進の取り組み。
ジャンプ編集方針6か条の生成と具現化。
西村編集と本宮ひろ志の出会いを中心に物語が描かれていくが、本宮と西村の交流が目に見えて浮かび、鮮やかで面白い。
そのままで小説、ドラマ、漫画になりそうな、絵になる男たちのストーリーが描かれている。
本宮ひろ志に限らず、マンガは漫画家によるもので、文は人なり、作家による作家性が作品をつくり、ひいては雑誌の一時代を作っていたのだな とよく分かる。
車田正美のマンガはもっと速く、もっとすごく、と、ストーリーの展開、キャラクターの成長が右肩上がりに、爆発的に、とてつもないスピードで進化、拡大する。
聖闘士星矢 主人公たちがマッハを超えて、光速の拳を獲得するまでのくだり。ブロンズから黄金12宮へ、神々との戦いに進化していく、あのスピード感である。
ジョジョ9部 ジョディオの造形は、少年ジャンプの、男一匹ガキ大将~(男坂)~聖闘士星矢の系譜を継ぐ、ひとりの少年の物語である。
15歳のジョディオに与えられた課題 「上がっていけ」は、15歳の中学3年生が抱える普遍的なテーマである。
後藤P117
熱血漫画の基本とは何か。 後藤氏が、自らの考えを述べている。以下引用
熱血漫画の基本とはなんだろう。
主人公がなにをしたいのかハッキリしなかったり、戦って敗れてファイティングスピリッツを失ったり、ストーリーがどんよりして弾まなかったりした時、格闘技漫画やスポーツ漫画は人気が落ちる。
そのまま浮上できずう沈み込む漫画がある一方、ストーリー上の負の要因(ハンデや弱点の意味も含む)をはねのけ浮上する漫画もある。
簡単に言えば、浮上する姿を描く姿を描くのが熱血漫画である。
初めから負の要因を背負わない作品は、論外である。
(略)
負の要因を抱え、はねのけるところに熱血がある。
(略)
負を抱え正へ浮上するドラマにこそ熱血漫画が誕生する。
熱血漫画には、必ず地べたを這いずり回っている時期や状態を描く必要がある。そのときは人気も低迷するし、立ち上がれない場合もある。これが熱血漫画の難しさだと、わたしは思っている。
どんな時代になっても熱血漫画はすたれない。なぜなら人生とは平坦ではなく浮き沈みの激しいものだからである。
だれでも泣きたい、悔しいと思う時があり、うれしい時、楽しい時がある。これが人生の真実である。
生きている人間の真実を突いているのである。
新しいとか古いとかの問題ではない。熱血漫画は必ず読者の心を打ち、感動させるのだ。
ーー長大な引用になったが、滋味深い文章である。
また、後藤は、車田マンガは、戦う者の姿を美しく描く筆致は冴えに冴え渡ると褒める一方で、悪人を描くのがニガテで、ステレオタイプな描写に終始しがちだと指摘している。
北斗の拳以降の人気ストーリー漫画、ドラゴンボール、ジョジョ、ろくでなしブルースは、悪人や悪の描きかたがうまいというか、リアリティがある。その分、対決シーンにドラマとしての説得力があった と述べている。
リングにかけろの前編から後編への展開は、熱血から戦いの様式美へ、感動から美しさへの変容であった と、後藤は結論づけている。
ジョジョに絡めると、熱血漫画の基本構造の話は、荒木飛呂彦の漫画術で述べられた、プラスプラスプラスのストーリー作りとそのまま一致する。
後藤氏の本は2018年刊行、荒木の漫画術は2015年刊行であるが、両者の見解が一致しているのは、どちらがどちらをパクったとかではない。
少年ジャンプに息づいている熱血漫画、少年マンガの伝統を、荒木飛呂彦がすくいあげ、自らのマンガづくりの骨格、血肉としていたことの現れである。
ジョジョ9部作の主人公で言えば、マイナスからプラスへの主人公づくりで、主人公の共感、人気を得るのに苦労したと思われるのが、1部ジョナサン。
マイナスからプラスへ、ビルディングストーリーの王道を描ききったと思われるのが、7部ジョニィである。
そのような意味で、7部は1部のリメイク作品であるだろう。
後藤P114 漫画原作者賞を設立した経緯。 後藤氏の発言を引用。
戦後の漫画雑誌の急速な発展は、子ども向け小説や英雄豪傑物を内部に取り込み、少年小説や絵物語を壊滅的な状態に追い込んだ。
(略)
わたし(後藤氏)の頭の中には、マンガやアニメやテレビゲームの過度な一極集中は、漫画作品の質を落とすのではないかという危惧があった。
人は、「言葉」でものを考える、「言葉」で表現された表現物をおろそかにしてはいけないという考えもあった。
後藤P134
(当時の新米編集だった)根岸は、(リングにかけろ当時)車田正美と話をする機会が増え、後に担当となった。執筆室にこもっていたゆでたまごともプロレスや対決漫画のアイデアについて雑談していた。
根岸は梶原一騎の原作漫画や横山光輝 伊賀の影丸をはじめとする少年漫画、山田風太郎の伝奇小説や忍者物を広く読んでいた。
対決漫画の展開方法をよく研究していたし、少年漫画雑誌ををやりたいために出版社へ入社した第1号ではないかと、後藤は思っていた。
後藤は、根岸編集の存在が、車田、ゆでの対決漫画に少なからず影響を与えた影響と考えている。
後藤P141
1980年頃の少年ジャンプは、(小学校)低学年読者を獲得できる漫画を作りたいとの課題を抱えていた。
ギャグ漫画、対決漫画の新規開拓。
後藤いわく 子どもの好きな漫画は、笑えるもの。低学年の読者は、一所懸命取り組むが、最後にズッコケるドジな主人公が好きである。一方、子どもは戦いが好きである。もっと言えば戦って勝ち進む主人公が好きなのである。
そして、これらの需要を充たした漫画がキン肉マンだった。
キン肉マンは、どんなに成長しても弱さ、頼りなさ、ダメさを最後までひきずっているヒーローであり、これがキン肉マンの不思議な魅力の正体である、と後藤は語っている。
また後藤は、リングにかけろを対決格闘技漫画の集大成と称しつつ、アストロ球団からリングにかけろ、キン肉マンと続く対決格闘技漫画の系譜を締めくくったのはキン肉マンだと断言している。
後藤P150
鳥山明のデビュー作 ワンダーアイランドは、後藤いわく、不思議すぎて分かりにくい漫画だった。
ドクタースランプは、アラレを主人公とするのかセンベエ博士を主人公とするのか、作者と編集者の相克?があったが、やがて同作はファミリー漫画に成長していった。
ファンタジー漫画の世界観を持ちつつ、作者の願いであろうファミリーを持ちたい、ファミリーとして平和に明るく楽しく暮らしたい願いを描いたファミリー漫画。
それがドクタースランプであろうと、後藤は述べている。
後藤氏の評論はひざを打つものがあり、子ども(4~6歳の未就学児)のときにアラレちゃんのコミックスを読んでいたわたしの実感、印象そのままである。
ドクタースランプは、わたしにとって「絵本」だった。
また、ドクタースランプは、少年ジャンプのカラーを変えた、エポックメイキングな作品でもあった。
後藤氏によると、本宮ひろ志以降の熱血硬派路線で、少年ジャンプのカラーが出来上がり、編集部が「男が男の子のために作る少年漫画誌」と同誌のキャッチフレーズを公言していた時代もあった。
(本宮ひろ志が少年ジャンプの大看板からは去り、江口寿史が登場するなど時代が変わりつつあったと、本ブログ著者は認識しているが… そんな環境下で)
ファミリー層の取り込み、ファミリー層からの認知、「お母さんから認められた漫画第1号」としてドクタースランプは人気を博し、漫画、アニメへと展開されていった とのことだった。
ドクタースランプの昔のコミックスを思い返すと、巻末にある他のマンガの広告、カバー袖に列挙されている連載マンガ群のタイトルを眺めていると、
異様に男臭い、暑苦しい、ともすればちょっとおっかない、そんなマンガが多かった。
ギャグマンガも、タイトルがアホとかトイレとかそっち方面のモノが多い。
それに比べて、ドクタースランプは洗練され、はるかに明るく、新しかった。
ウンコやエロを扱いながらも絵が上手く品があり、アラレちゃんたちのかわいらしさ、ファンタジックさは唯一無二だ と、こども心に思ったものだった。
西村P233 西村編集長が、腺病質な印象の鳥嶋編集に、真樹日佐夫の空手道場に通わせようとしたが、鳥嶋は逃げ切った。
西村P244 鳥嶋編集がドクタースランプのアニメ化にあたり、東映アニメーションと渡り合い、漫画家・出版社サイドが納得できるアニメづくりを手掛けていった。
後藤P151 2代目編集長 中野氏が、新年号の作家集合写真を考案した。ドクタースランプ連載当初の、鳥山先生のはじける笑顔が印象的だった。
西村P250 椛島良介は、麻布学園から早稲田と(西村の大学の後輩にあたり)、理性派。通常の漫画編集者が目につけない題材をこつこつと作品化していく遺書の編集者に育っていった。
後藤P207 椛島は、考古学をはじめとして、古代から現代までの西洋史に造詣が深く、マンガ編集者にはほとんどいない学者タイプの編集者だった。
後藤P249
1994年 週刊少年ジャンプが653万部の最高発行部数を記録する。
後藤は、幽遊白書のヒット、車田正美の変容 2つの要素を象徴として、ジャンプ黄金期の終了(頂点を下り、また次の時代に移っていく)を述べている。
幽遊白書は、作家と編集者による作品作りの実験場だった。人気漫画のおもしろさのツボを研究し、人気漫画のいいとこ取りをした連載漫画だったのではないかと自らの推測を述べている。
そしてまた、作品作りのこととは別に、幽遊白書の頃から、ジャンプマンガを基にテレビアニメ化するも、アニメで付いた新規ファンがジャンプ本誌を買わずコミックスだけを買い、追いかける現象が見られるようになってきた。
漫画雑誌の読まれ方が変わり、雑誌とコミックの乖離現象をはじめて経験した と述べている。
車田正美の変容とは、男坂の失敗を経て、聖闘士星矢が、はじめからメジャー路線をねらって描いたマンガとして描かれ、目論見どおり大成功した。
しかし、1990年代以降の車田正美は、熱血漫画を描かなくなってしまった。
車田は変容した。これにより、少年ジャンプにおける熱血漫画の灯は消えた というものである。
***
車田正美の変容を最後に、少年ジャンプから熱血漫画の灯は消えてしまった。 後藤氏の指摘は正しかったのか?
ここからは、ブログ著者(わたし)の私見を中心に述べていきたい。
1995年 ドラゴンボールが連載終了し、1997~98年 ジョジョの連載が5部中盤に差し掛かった頃、わたしは週刊少年ジャンプを読まなくなった。
はじめに目にした週刊少年ジャンプは、銀河 ー流れ星銀ーが表紙の号で、1983年頃 母親が(兄に頼まれ)買ってきたもの、それから足掛け15年近くほぼ毎週ジャンプを買って読んできたが、読まなくなったのは、自分が対象読者ではないと感じたからだった。
ワンピースの登場が象徴的で、鳥山明のマンガを読み育ってきた読者が漫画を描くようになった。
ワンピースは、(連載当初の1~2年 自分が目を通していた頃は)小学生~中学生前後の読者に向けて、少年主人公の活躍や成長を描く、折り目正しい少年漫画だった。
自分が少年漫画雑誌のターゲットから外れて、作り手の側の年齢、世代に回っていることを実感し、いい加減 もう、毎週 少年ジャンプを読んでる年ではないなと実感したものだった。
(最後に週刊少年ジャンプを買ったのは、ジョジョ5部 ドッピオがリゾットと戦い、逆転勝利を収めた回だった)
ドラゴンボール終了前後のジャンプで人気だった印象は、幽遊白書、るろうに剣心。
るろうに剣心が看板になっていったのを見て、ジャンプのカラーはたしかに変わった、と一読者のわたしも感じていた
(その頃に幕張というギャグマンガは論外な低基準のパロディ未満で、こんなマンガがジャンプに載るとは世も末だ、と内心苦々しく思っていた)
本宮~車田のラインが示してきた熱血少年漫画と、幽遊白書、るろうに剣心は、やはり作品のテイストが違う。
作者の資質が違うことはもちろん、全体的な方向性として作品がマニアックな方向に寄っていった印象があり、対象読者が中高生寄りになっていったように感じた。
ワンピース、ナルト、ハンターハンターなど、すこし後に出てきた作品群は、また、小学2年生~中学生を対象としたものに戻った印象がある。
自分語りが長くなったが、わたしが読んでいた少年ジャンプの記憶はかろうじてこの頃までである。
1995年~2026年までの少年ジャンプがどのように変遷していったのか、車田正美の熱血漫画、熱血少年漫画の系譜は少年ジャンプから途絶えたのか?
この20年間の少年ジャンプを読んでいないわたしには、答えることができない。
このあたりの変遷を追った作品として、バクマン、ブリーチ、鬼滅の刃などを読むと事情がよく分かる筈だが、私はあいにく、それらの作品を読んでいない。
わたしが知るところ、車田正美までに示された、少年ジャンプの熱血漫画の系譜を継ぐマンガが一つある。
それは、ジョジョである。
ジョジョは、荒木飛呂彦いわく、漫画の王道を描く作品である。
荒木先生は、自著 漫画術で詳しく自らの作品づくりを述べており、また近年のインタビューで「ジョジョは少年漫画の王道を意図して描いています」と度々述べている。
巨人の星、あしたのジョーなど梶原一騎作品の影響も根強い。(ジョジョマガジン6号にて、ジョナサンの死亡のシーンは、あしたのジョーのラストを意図して描いたとも述べていた)
同時にまた、ユリイカ 1997年、斎藤環によるインタビュー記事にて、荒木先生は、車田正美先生からの影響、また、自身はジャンプマンガの伝統に則っていると思います、と率直に述べている。
主人公を太眉毛で描かなければならないという「作画の呪い」を、1990年代中盤 ジョルノの頃に克服したこと。
(たしか、ジョジョアゴーゴーにて)巨人の星を、貧しさから脱却し皆で成り上がっていこうよ と、共感を得られるストーリーづくりの手本に荒木先生が挙げていたが、時代は、そこから変化している。
つまり、本宮~車田のラインで描かれた熱血少年漫画から、時代が変わり、社会状況が変わり、社会の問題意識や課題が移り変わる中で、姿かたちを変えながら、熱血漫画、熱血少年漫画は描かれ続けている。
車田正美が描いた少年漫画の灯は消えておらず、1つの後継として、ジョジョの奇妙な冒険の中にその灯はあり、描かれ続けている というのが、わたしの見解である。
ジャンプ編集者2冊の著書から、時代の移り変わりの面白さを読んでいた。
戦後。昭和30年代→高度経済成長期→オイルショックからバブルへ→653万部を達成したその後の時代へ。
子ども向け小説、英雄豪傑読み物の衰退 → マンガ雑誌の隆盛 → マンガとアニメ → ファミコン、テレビゲーム → インターネット、コンピュータへ
漫画スナックやスコというYouTubeで、巻来 功士「連載終了!」を取り上げていた。
当時の編集者が、巻来が大人気漫画家には脱皮しきれなかった要因、編集部サイドの反省として、面白いことを述べていた。
いわく、漫画には縦糸と横糸がある。
巻来くんは縦糸の人で、ストーリーを自分で作れる人だった。
編集者は(巻来の弱点である)横糸、キャラクター作りを手伝い補っていければ良かったのだが、編集者は経糸作りに長じた人が多く、そこで、作者と編集者の相互反応が生まれずに、作品をより洗練させ、読者への魅力を増し、ヒット作とする契機を逃してしまったのだ…という内容だった。
荒木飛呂彦の漫画術で、マンガには、基本4大構造がある。
ストーリー、キャラクター、世界観、テーマの4つ。これを表すのが絵であり、絵を補完するのがセリフである。
マンガの縦糸と横糸の表現は、後藤氏の著書でくり返し出てきた。少年ジャンプ編集者に伝わる編集技術の一つなのだろう。
荒木飛呂彦はマニアックな作家であり、椛島編集が、これを引き上げ一人前の作家に育てた、という趣旨の記述も、2冊の著書のどこかにあった。
荒木飛呂彦も相当な変わり者だったのだろうが、椛島編集も相当で、2人のコンビがあって、ジョジョは商業作品として成立し、今に至る展開の基礎を産み出した。
いつか、荒木飛呂彦と椛島編集が2人でジョジョを語り作す単行本を出してくれたらぜひ読んでみたい。
ジョジョマガジンの巻末企画 打合せ にて、2人の対談が散発的に掲載されており、ジョジョベラーにも2人のまとまったインタビューが掲載されているが、9部が近い将来に完結したら、キリの良いタイミングで、決定版の対談、ジョジョ創作史を振り返ってくれると嬉しい。
そんな未来を想像している。