ジョジョ読者のブログ

ジョジョの奇妙な冒険の感想、批評、考察を書いています。

純粋芸術の条件

成田亨作品集という本が出ていて、さっそくに買い求めた。
成田亨ウルトラマンゼットンのデザインをした人で、元々は彫刻家、
「一個の独立した個人として、純粋芸術を追求し、世に認められること」を求めた人である。

アートとデザインの境目は何か?芸術の成功とは何か?という近代的命題に成田氏は苦しんだのであるが、
自分なりに、その命題の答を求めてみたいと思う。


純粋芸術とは、時間を超えて生き残っているものを指す。

時間を超えて生き残るとは、どのような状態を指すのか?
著作権にならって、著作者の死後50年を経過して、今なお作品が広く世に親しまれ読者を獲得している状態。
あるいは、売上・認知度・社会的影響力を数値化し、一定水準以上にあるものを名作、純粋芸術の域にある、と認定すべきだろうか。

ここでは、ジョジョ7部SBRで語られた「聖人の定義」にそって、純粋芸術を定めたい。
聖人とは、「少なくとも死後、2回以上の奇跡を起こした人物を指す」と定める。

俗世のマーケティングや宣伝、出版社の営業努力で「死後の奇跡」を起こすことはできない。
現実世界の様相を飛び越えて、ひとつの純粋な作品・表現として光り輝き、生き残っているもの。
それが、純粋芸術というものであろうと思う。


ちなみに、ジョジョの原画が美術ギャラリーに飾られたり、ルーブルの企画展に採用されたりしているが、
ジョジョを純粋芸術として捉えるのは、時期的にまだ早いのではないかと思っている。
連載中の作品であるため定まった評価を与えることが難しく、今は俗世間の垢が付きまくってもいる。

時間を置いて、悪貨が良貨を駆逐するがごとき喧噪が去った後でないと、
静かにじっくりと、作品を鑑賞・評価することは難しいかもしれない。



ここからは、ジョジョと関係ない特撮の話題になってしまうがご容赦ください。

結論から言えば、
初代ゴジラの映画、成田亨ウルトラマンウルトラ怪獣は、純粋芸術として成立していると思う。

(初代ゴジラからウルトラマンシリーズ作成に到る巨大特撮の流れ、
詳細な説明は省きますが、DVDで現物に当たって頂いたり、各種研究書(洋泉社の研究読本シリーズがおススメ)をお読み頂ければと思います。)

初代ゴジラは昭和29年 戦争が終わった直後の時代に制作され、
ウルトラマンは戦後の豊かな未来が想像された1960年代に制作された。

ある時代の状況の中で、物語が生まれる。
時代と切り離されて存在する「個人」があり得ないように、芸術も、時代と切り離されて存在することは無い。

ただし、初代ゴジラが昭和29年という時代の落とし子として生まれながら、
その鋭い批評精神と創造性の高みによって、時代を超えて長く生き残り、
戦後70年が過ぎた今も、ある時代と精神を生き生きと写し続ける。

成田亨のデザインも、宇宙開発時代の雰囲気の中から、ジャコメッティはじめ抽象芸術の影響下から生まれてきたが、
ウルトラマンのデザインが時を超えて古びたり、抽象の切れ味が落ちて堕落してしまった、ということは無い。

純粋な精神の表象であるがゆえに、時を超えて、長く人に受け入れられ愛されるものこそが純粋芸術、
芸の極みなのだろう。