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ジョジョ読者のブログ

ジョジョの奇妙な冒険の感想、批評、考察を書いています。

見えないものを可視化する  手塚治虫の「アラバスタ―」、「マンガの描き方」

ジョジョのルーツを探る

荒木飛呂彦の漫画術」に、絵とは何か、荒木先生が自説を述べるくだりがある。


 ここで改めて、絵とは何か、という話をしたいと思います。
 絵の本質的な役割は、見えないものを可視化して伝えることだ、と考えています。
 描き手はいったい何を伝えたいのか、と言えば、それは愛や友情、正義など目に見えないものであり、見えないものを絵にしないといけないのです。

 音楽も目に見えませんが、それを可視化しているのが音符で、見た目が美しい楽譜はやはりいい音楽なのだそうです。
 見えるものと見えないものがつながっているのは興味深い。

 シンボル化の意味も見えないものを描くことにあるわけで、
 ドラえもんミッキーマウスアンパンマンなどのキャラクターは、親しみやすさ、やさしさといったものを絵で伝えていると言えるでしょう。
 また、ひとつの絵だけでなく、マンガ全体で見えないものを伝えることもできます。

(以上、荒木飛呂彦の漫画術 第5章 絵がすべてを表現する より引用)


ーー漫画術ではこの後、大友克洋童夢」の超能力描写に触れた後、波紋・スタンドの解説に話が拡がっていく。
アナログの手書きを極めんとする、ライブ感を大切にする、マンガの神様が降りてくる瞬間を待つなど、
いずれも「見えないものを形にする」、見えないもの=超常的なもの・神と繋がる瞬間を求めて努力する、荒木先生の芸術観が現れている。


「見えないものを可視化する」という一節を読んでいてハタと思い出したのが、手塚治虫「アラバスタ―」である。

元々2chで「4部 透明の赤ちゃんとネズミ狩り(球撃ち)は、手塚治虫のマンガが元ネタになっている」との指摘があり、
元ネタと思しきアラバスタ―を見つけて、読んでみたのだが、表面的に重なりが無くはないものの、ジョジョ4部とアラバスタ―はテーマもストーリーも全然異なるマンガだった。

アラバスタ―は、透明人間の少女 亜美を巡る男たちの物語で、怪人アラバスタ―、ゲン、カニ平、ロック、4者4様の男の生き様を描いたピカレスクロマンである。
(強いて言えば、日常に潜むミステリーを描いたジョジョ4部では無く、ヤクザの抗争と成り上がりを描いた5部に近い)

アラバスタ―のテーマは「見えないものを描く」、真・善・美とは何か。
差別や迫害に苦しんだ主人公たちが、社会から逸脱し、社会に敵対しつつも、最後に何を見つけて死ぬのか、
悪人の生き様(死に様)を通して「ほんとうに美しいもの」を映し出す、逆説的なストーリーとなっている。


手塚治虫によれば、アラバスタ―は江戸川乱歩のグロテスクで隠微なロマン物を描こうと思って描かれたとのことで、その手のホラー・SFが好きな方にはお薦めです。
作者自身は、ネガティブ・ニヒルな方向に傾きすぎたとして、同作を気に入らなかったそうですが、
私などはそうでもなく、10点満点中 7点くらいの、なかなか面白く、読みどころのある作品だと思う。

「見えないものをどう描くか」というところで、主人公の亜美が透明人間であり、透明であるがゆえの迫害・差別に苦しみ、同じ苦しみを持つ怪人(アラバスタ―)に出逢った彼女は、善と悪、美と醜の狭間で揺れ続けることになる。

ロック、ゲン、ゲンの子分、カニ平とその母親、そしてアラバスタ―と、それぞれのキャラクターに背景があり、
ストーリーの要所要所の見せ場が面白く、やや展開が強引・つなぎ目の粗い所もあるが、演劇的な舞台転換の鮮やかさ、キャラクターの哲学のぶつかり合いが迫力を生んでいる。

物語の冒頭 人種差別に苦しむ黒人(アラバスタ―)の前半生、公害や貧困に追い込まれるゲンの家族たちなど、時事的な要素を盛り込みつつも、
より普遍的な美と醜の議論、何が正しくて何が間違っているのか、真実は何か、人間の本当の美しさは何か…という問題が、ストーリーを通して描かれていく。


残念な点が2つあって、
1つは、週刊連載が短期終了となり、また手塚治虫の筆も今一つ乗らなかったためか、物語の中盤以降 展開が駆け足になって、テーマの描き込みに、もう少し具体的に描ける余地が有った感じがすること。
もう1つは、亜美が終始 守られる立場のかよわい少女のままで、透明であることが最後まで報われず、かわいそうな異端の少女のまま死んでしまったことである。

アラバスタ―の亜美が、もし、ジョジョ4部の静・ジョースターであったとしたら、
アラバスタ―に導かれ奇顔城の王女となった後、どこかの時点でスタンド能力(=透明になる能力)に目覚め、自発的な意思を持った超能力者として、自らの運命に戦いを挑む。
透明な身体は不遇では無く、自らに備わった能力であるとして、ロックやアラバスタ―とのトリックバトルに挑んでいるような気がする。
ーーほとんどトリッシュかジョリーンのような展開になってしまうのだけど、現代の読者の視点からすると、亜美の置かれたありようがちょっと古臭く、悲劇の型にハマりすぎてる感じがした。


手塚治虫のマンガが面白いのは、ジャンルやストーリーの種類を問わず、作者の世界観、テーマに一本 筋が通っており、読む価値の無いモノを作らないことである。
絵作り、キャラクター作りの魅力もさることながら、ストーリー展開のうまさ、テーマと世界観の押し出し方のうまさ、作者の見識・哲学の面白さ、文芸面の魅力が手塚マンガを唯一無二の存在に押し上げていると思う。

「学研まんが NEW世界の歴史」を最近 読んだのだけども、これと共通する面白さ、物語の厚みが手塚治虫のマンガにはある。
つまり、社会の歴史、人間の生活の厚み、国家や地理の時間の重なり、人間が幾世代に渡ってどのように生き延びてきたのか、何を求めて何を失ってきたのか、
時間と経験の厚みがストーリー・キャラクター・世界観・テーマに反映されているからこそ、単なる紙に描かれたインク染み以上の、単なるコマ送りの動く映像以上の、目に見えないものを可視化して読者に伝えることができるわけである。


アラバスタ―と同じく、手塚治虫マンガ全集収録作品で、「手塚治虫のマンガの描き方」という本がある。
荒木飛呂彦の漫画術」と似た立ち位置の本で、手塚治虫のファン、(手塚を基礎とする)戦後マンガのファンの方ならば、いちど手にとって読んでみることをお薦めします。

現代マンガの高度なデッサン・デフォルメ、CGを用いた画面づくり等は学べませんが、
表面的な視覚効果以外のマンガのほぼ全ての要素は、手塚治虫によって基礎がつくられ、現在までの規範(=教科書)となっていることが確認できると思います。

マンガの描き方では、あとがきにかえて、作者自身による作者へのインタビュー(という短文)が掲載されています。
マンガは「批評」ですよ、という一文で同書は締めくくられる。
文章の切れ味が鋭く落語調の面白さがあり、マンガの根本は絵と話、ビジュアルと言葉の両方にある、ということがよく分かります。地味ですが、おススメの一冊です。