ジョジョ読者のブログ

ジョジョの奇妙な冒険の感想、批評、考察を書いています。

まことちゃん 他、わたしのkindle本棚に並ぶギャグマンガまとめ

まことちゃん、ふしぎトーボくん、漫古知新。

まことちゃんを中心に、わたしのkindke本棚に並んでいる、ギャグマンガ(子どもを描いた、子どもに読ませる?ためのマンガ)まとめ記事です。


まことちゃん。
1970年代末に描かれたものと、1988年夏に描かれた続編(超まことちゃん)の2つがある。

わたし自身(1976年生まれの中年男性)が、ひとりの読者として、同作を読み始めた感想。 
2026年 オッサンである私が、はじめて、まことちゃんを読む。
1970年代末の子どもたち(うめぐみの子どもたち。おそらく年中~年長、4~5歳児)と母、姉のドタバタぶりは、今読んでも面白い。
乱暴で暴力的、あけすけでスカッとしているところが、1970年代末~80年代前半 昭和の世相、わたしが幼児だったときのリアリティと重なる。

まことちゃんが、構音がまだ未熟な舌ったらず、絵が頭足人だったり、幼児の特徴をよく捉えている。

第1話 先生が出すテスト(動物クイズ、記号の名前を問う。発達検査のような、幼児向けのテスト)で、まことは、間違った答えばかりを言う。はじめ 素で間違えているのか、わざと間違って答えているのか 様子がつかめないが、描写を見るうちに、わざとおかしな、間違った答えをしていることが明かされる。先生は、まことの父母にあてて、「まことは面白いことを言って、クラスの皆を笑わせています。おうちでも褒めてあげてくださいね」という手紙を渡す。しかしまことは字を読めず、手紙の内容を、反対に誤解する。うちに帰ったら(悪行を告発する手紙が読まれ、悪行がバレて)怒られる、と珍道中を繰り広げていくうちに、家に帰って、ほんとうに怒られる。という筋書きである。

第2話の冒頭 絵本をもとに、先生が子どもとやりとりをしている。次第に保育室がカオスになり、先生がだまれ、きさまら~っ!と激高するも、ちびってしまう。
1話で先生に怒られ子どもがちびってしまうギャグ(現実描写?)が描かれていたが、その意趣返しとなっている。

4話 桜の花見の話くらいまで読んだが、だいたい満足して、続きはゆっくり読んでいこうと思った。全20数冊あるが、全てを読むかまでは現時点で不明。

対して、1988年 超まことちゃんの第1話が描かれており、これを無料サイトで試し読みしたが、あまり面白くなかった。
「ビチグソビデオ」というタイトルで、はじめ、スカトロポルノみたいな題材を扱うのかなと思ったが、家族が8ミリでどんな映像を撮れるか競い合おうという話になり、まことが撮影したのが、近所の公園のノグソ。ノグソをしたと思しきが、TVデビュー直前の新人女子アナだった…という話。
8ミリカメラでノグソを撮影しよう、という発想は面白い。しかしその後の、新人女子アナがノグソをしたかもしれないという展開が、当時の八木亜希子など女子アナブームをなぞっていると思われるものの、今読んで、あまり面白い題材いえはない。
まことちゃんの、幼児の心理が主役というより、ビチグソと女子アナが主役になっているので、その観点が食い足りなかったのかもしれない。
1988年夏 少年サンデーにこの話は掲載されたらしいのだが、当時、ドラクエ3やスーパーマリオ3をプレイし、ジャンプ誌上でドラゴンボール、星矢、男塾、ジョジョ2部を読んでいた小学6年生のわたしが、このマンガを見て面白いいと思ったかと言うと…、たぶん、面白いと思わなかっただろう。
説明が難しいが、感覚的に、このマンガは古いと思っただろうし、ビチグソと女子アナというギャグの取り方に、「つまんね~」「いまさらウンコかよ」と冷笑した可能性が高い。
当時 コロコロコミックでは、おぼっちゃまくんという、ウンチ、下ネタをさらにハイテンションに、ぶっ飛んだ勢いで描き進めているマンガがあったし、それと比べると、超まことちゃんは、何というか、おとなしい。
弾けていないというか、時代の先端を行っていない。 若くない、くたびれたオッサンが描いてる。 ぬるい。面白くない!と感じていただろうと直観される。

まことちゃん 2つの第1話を比較して思い起こされるのは、ギャグマンガとは執筆当時の世相、流行、時代、価値観を映し出す鏡である。
描いている作者の若さ、熱量、テンションや体調などがはっきり反映されているものであり、作者の年令、体調、時期などにより、面白かったり、面白くなかったりする。


まことちゃんを読み始めて、はっきり言えるのは、楳図かずおが、まことたち幼児に向けるまなざしは優しい。
子どもたちのくだらないところ、弱いところ、ずるさ、純粋さみたいなものを含めて、子どもたちを肯定的に受け止めているところである。
先生から父母への手紙、母姉とまことのドタバタのやりとりに、それらが表れている。

きれいごとだけではない、タテマエを剥いだ家族像を描いている点で、あさりちゃん、クレヨンしんちゃんと似たテイストを感じる。


わたしのkindle マンガの本棚に並ぶのは、まことちゃんの他に、ふしぎトーボくん、漫古知新などがある。

ふしぎトーボくんは、ちばあきおが描いた、動物と話せるふしぎな少年 トーボくんと、周囲の関わりを描いたマンガ。

漫古知新は、漫画太郎が描いた、古今東西の名作小説を、子ども向けに?、小説をまだ読んだことが無い青少年向けにマンガでリライトした作品。

ふしぎトーボくんは抒情的な作品で、作者のナイーブな内面を、そのまま表したような作風。
作者の内面にいる、内なる子どもを、トーボくんに託して描いたような作品。(わたしの解釈です)

漫古知新は、蟹工船、ポリアンナ(少女パレアナ)など名作小説のエッセンスを抽出し、要点をかいつまんでマンガにしているのだが…。対象年齢は小学校3年生~中高生くらいまで、じゃっかん、大人向きのマンガである。


まことちゃん 2話の冒頭で、絵本の読み聞かせをしている先生が、子どもたちに結末のいかんを尋ね、子どもたちが、こんなラストがいい、こんなラストはイヤだ、とあれこれ感想を述べるくだりがある。

わたしも、幼稚園年長組のとき、先生が紙芝居を読み始めようとしているとき、「つまんね~」とうそぶき、先生に「だったら、観なくていい!」みたいなことを言われ、思いっきり怒られた記憶がある。
幼稚園でどんな行事をし、日常どんな遊びや生活をしていたかは思い出せないが、先生に、ピシャッと怒られた瞬間の衝撃は、痛烈に覚えている。
わたしは醒めた子どもだった。
そのとき沸き起こった衝撃は、大好きだった先生に怒られて悲しくなった、悪いことをいって先生を傷つけた後悔、とかではない。
紙芝居をつまらないと率直に思い、あえて悪いことをふざけて言ったところ、(優しさの模範たるべき)先生が思いっきり怒り、タテマエを脱いだ怒りの激しさに、素の感情を見て、ビックリしたのだと思う。

まことちゃん2話 先生が絵本の読み聞かせをして、やがてカオスになり、先生がだまれ、きさまら~っ!と激高、ちびってしまうギャグは、幼児体験を思い起こす縁にもなった。


まことちゃん、ふしぎトーボくん、漫古知新。わたしの本棚に並ぶkindleマンガは、どれも、親が子供に薦めたくなるような、学校の図書室においてあって文科省、教員が生徒に読ませたくなるマンガではない。
(いちど、ある保育園の年長組 保育室の本棚に、漫画太郎が描いた絵本を置いてあったことがあった。漫画太郎には悪いが、あの絵、あの世界観の人が描いた絵本を、大人から子どもに、4~5歳の子に薦めて読ませたいかというと…。……な感じがする)

ジョジョも、星矢も、わたしは真悟も、親が子どもに、学校がこぞって生徒に読ませたいマンガかと言うと、さて、どうだろう?と首をひねるところがある。

おそらくそれは、学校教育や家庭教育が、ある種のきれいごとを徹底して推進し、社会の規則や集団の調和を認識・遵守させることが目的であるのに対し、
わたしが好むマンガたちは、そうしたきれいごとから距離を置き、自由な、本音の世界に遊ぶことを良しとする作品たちだからであろう。

学校の教室と、近所の公園や裏山の違いみたいなものである。

両者は単純な対立関係でなく、相互補完し、同時に存在すべきものである。

だがしかし、小学校の先生が「まことちゃんって面白いよね」と言ったり、高校の先生が「わたしも、家族でドラゴンボールのアニメを観ているぞ」と言われたりすると、ちょっとイヤな気持ちになったりする。
学校や文科省、両親や国には、子どもたちの世界に入ってきてほしくない。子どもたちが子どもたちのままでいられる、あの世界に、大人が入って、包含、領土を吸収合併するようなことはしてほしくない。

ドラゴンボールが3兆円産業に育った?ドクターマシリトの独白と懺悔 みたいな、わけの分からないYouTube動画の見出しが目に入ってきたりするが、そういうものは、目に触れたくない。

たまが「ひるね」というアルバムを発表して、ラスト曲「鐘の歌」を聴いたのは、中2~3の時だった。
蛍光灯の下 じっとしていた子どもたちが、都に春が訪れて、さみしい子どもたちがいなくなる。 「それはみんな 魚釣りに行っちゃったのだから さがさないで さがさないでよ」という歌詞。


楳図かずおのギャグマンガ、SFマンガを読み、幼児性というものを改めて振り返り、以上の連想を抱いた。

このブログ全体が、歌でたとえれば、山下達郎「僕の中の少年」のような、自らの少年性、幼児性、内なる子どもを振りかえる試み。
ジョジョを中心に、心に触れたマンガ、映画、ゲームや音楽、個人的な体験、印象の記録をつづっていく構成になっています。

ジョジョの情報だけを観にきた人には、一種異様な風景となっていますが、ブログ著者のマインドマップ、自己を知るためのエッセーとなっています。