ジョジョ読者のブログ

ジョジョの奇妙な冒険の感想、批評、考察を書いています。

ジョンレノンに捧げるクソゲー

ジョジョ4部 トニオさんのレストランに行く話で、
億泰がモッツァレラチーズとトマトの前菜を褒め称えるシーンがある。
「お互いがお互いを引き立てあうハーモニー!
 高森朝雄の原作をちばてつやが描くあしたのジョー! サイモンとガーファンクルのデュエット! ウッチャンに対するナンチャン!」(うろ覚え)

ジョジョにハーモニーの事例を見つけるなら、
「荒木先生に対する椛島編集!作者と編集者の名コンビが、独自の作品世界を創った!」というところだろうか。

椛島編集が荒木先生を担当していたのは、デビュー前~ジョジョ3部ラストまでということだが、
4部に入ってしばらくのジョジョは、糸が切れてしまったかのように不安定で、ガッシリ方針が固まってない感じがあった。

4部→5部→6部と進むにつれ作品の展開は内省的になり、かつスタンドバトルも複雑化していくが、
初見の読者には分かりにくいマンガになっていったのもこの頃だ。
作者自身の加齢・作品で追求するテーマが変わっていったことと共に、
的確な作品批評を施す編集者(荒木先生は’プロデューサー’とも言う)が側に居なくなってしまった事情もあるのではないかと思う。


億泰の例えに話を戻すと、
サイモンとガーファンクルのデュエット!」の例えを読んだ時 自分は、ジョンレノンとポールマッカートニーじゃないのか?と思った。
当時サイモンとガーファンクルを知らなかったので、誰それ?と思ったのですが、
以下 ジョンレノンとポールマッカートニーについての覚書です。

ジョンとポールが不世出の名コンビ、彼らのハーモニーがビートルズを創ったことは明らかであり、
ジョンとポールのどちらが上か、あなたはどちら派か?等と問うことは無粋極まりない。
しかし、ジョンとポールのキャラクターには大きな違いがあるのも確かであり、対照の妙を考えることも楽しい。


ポールマッカートニーが日本を訪れたとき、マリオの開発者・宮本茂氏をコンサートに呼び、ディナーを共にしたことがあったという。
自分はこのエピソードを聞いたとき、
「ポールマッカートニーが何たるかを象徴する出来事だ!」と目を見開かされる思いがした。

ジョンレノンがスーパーマリオを遊ぶことはあっても、成功者たる宮本氏に会おうとするなんてとても考えられない。
ジョンレノンのイメージは、どうしようもないクソゲーを買ってしまって悪態をつくか、クソゲープレイ動画を見てニヤニヤ笑っているかだ。

個人的にジョンレノンは、イマジンに象徴される聖人のイメージよりも、クソ・クソと悪態をつく不逞な態度がしっくり来る。
オノヨーコとたたずむ裸の姿は異様な雰囲気だが、包茎のチンポを曝け出してまで、彼には打ち明けなければならない秘密があった。
ジョンレノンは両親の愛に恵まれず、父とも母とも離れて育ったのだが、破れた心の痛みを誰かに打ち明けなければならなかったのだろう。

ジョンレノンが歌う心の破れは、クソゲーの破れかたと通底するものがある。
昔のファミコンゲームにはバグがあったり、ゲームバランスの崩れがあったり、容量不足ゆえの唐突・省略があったりした。
近作のスーパーマリオに搭載されている「お助け機能」などは無く、難しいゲームはクリアできないままだったりした。
しかし、その不完全さ、人間の手で作られたがゆえのいびつな歪みが、同時に手作りの暖かさ・微妙な温もりとなって結実してもいる。

ポールマッカートニーは「お助け機能」のおかげでマリオをクリアできたよ、初心者にも優しいユニバーサルなデザインはグッドだ、とか言いそうな気がする。
ジョンレノンならお助け機能はたぶん使わないし、クソと思ったゲームを無理して続けることはしないと思う。


最後に、今は亡きジョンレノンに捧げるマンガ・ゲームを選定したい。
マンガでは「ジョジョ(1~3部、4部)」、「僕は月のように」。
ゲームでは「MOTHER」ロックマン2」「ドラクエ2」を捧げたい。

僕は月のようには、内田春菊が描いた青春マンガで、美術教師に恋をする中学生の話。
3本のゲームは音楽がいい。そして、バランスや難易度に偏りありの、微妙にクソゲーでもある。

ジョジョ4部のジョウスケ、MOTHERのニンテン君には父親が居ない。
しかし悲壮感は無く、さわやかに生きながら陰を背負ってるキャラクターが、ジョンレノンの歌の世界と重なっている。