ジョジョ読者のブログ

ジョジョの奇妙な冒険の感想、批評、考察を書いています。

ゲームの名作、ドラゴンクエスト2

ドラゴンクエスト2(ファミコン版)を、発売当時以来 29年ぶりに再プレイした。

実家に眠っていた古いファミコンカセットを探し出し、カセット端子の汚れを取り除き、
中古品のファミリーコンピュータ(本体)を購入し、ようやくプレイすることができた。

子供のときに遊んでいたカセットが、(もう無くなっていると思っていたのだが)実家に眠っていて、
青い紙箱の中には、プラスチックの容器にカセット、取扱説明書、パスワードのメモ書きまでが残っていた。

ファミコン 端子の汚れは、「クレ エレクトロニッククリーナー」(接点復活剤)を綿棒に浸し、やさしく磨き上げることでクリーニングできる。
アナログ電波のチャンネルを介して、テレビモニターにファミコンの映像と音声が流れ始めたとき、とても不思議な感じがした。

30年近く前の電子製品が、まだ壊れずに動いていて、一瞬のうちに「今」と「昔」が繋がった感じがして、
ファミコンカセットを大切に取り扱っていた、昔の自分にありがとう、という気持ちだった。

ジョジョのコミックス 12巻以降を発売時に買い揃えて、大半は実家の本棚に眠っている。
 30年近く前のマンガ本になるが、これらの本やゲームを、さらに30年後 再び眺めることもあるのだろうか?)


 ***


ドラクエ2をスタートし、2週間くらいかけてクリアしたが、とても面白かった。

小学4年生で初めてプレイした時は、シドーを1度か2度倒したことはあったものの、
とても難しく、敵が強すぎて、めったにクリアできるものではない、と思っていた。

今回は、インターネットで「水の羽衣が2着作れる」という攻略情報を利用したこともあったが、
それ以外は、昔の記憶を頼りにしつつ、自分で謎を解き、じっくりレベルを上げながら冒険を進めていった。5つの紋章の隠し場所など、昔の記憶を、けっこう覚えていたのが意外だった。

(後日 サマルトリアの王子にミンクのコート/まほうのよろいを装備させて、ハーゴンの神殿の戦いに挑んだが、無事 クリアすることができた。Lv44,39,32まで上げていたので、地力が上がっていたようだった)


船を手に入れて海に出たとき、ものすごい解放感があり、
ロンダルキアへの洞窟を抜けて、真っ白な高原に出てきたときも、「ああ!」という感動があった。

敵キャラが強く、命のやり取りをしている緊張感があり、
目的地までの行路が絶妙に難しく設定されているので、要所要所を突破したときに「やった!」という達成感があり、その積み重ねで最後までプレイできた。


あらすじ的な意味のストーリーは単純で、戦闘画面のグラフィック・SEも簡素なものだが、
シンプルであるがゆえに、プレイヤーが個々に想像力を膨らませ楽しむ余地がある。

ファミコンソフトの名作は、お寺の石庭、抽象絵画のようなシンプルさと奥深さを持っていて、
ビシッと決まった、ひとつの宇宙を形作っている。

ゲームデザイナーとプレイヤーの知恵比べ、イタズラの掛け合いのような面白さで成り立っており、
今 遊んでも、100年後の人が遊んでも楽しめるだろう、普遍的な面白さを備え持っていると思う。


ーージョジョベラー 荒木先生の発言によれば、「ヒットアルバムの法則」(?)と呼ぶべきものがあり、
あるアルバムが「名盤(=最も売れたアルバム)」となったのは、「その一つ前のアルバム」が優れた作品で、多くのファンに次作への期待を抱かせたからだという。
ドラクエ2は、まさに「その一つ前のアルバム」で、2が大ヒットを記録した後、次作のドラクエ3は、まさに社会現象と呼ぶべき、人気のピークを迎えた。

ドラクエ1→2→3の制作期間の短さ、連打・連打・連打で畳みかける密度の濃さに、驚かされる。
ジョジョ1→2→3部にも共通する所があるが、作者が若く、ジャンル自体が草創期にあり、自由な実験を思い切ってやりきったような、
そんな進取の気風に満ち溢れた、奇跡のような連作が、ジョジョでありドラクエであったと思う。


2016年の今 ジョジョドラクエも、多くのファンを持つ「名作」として、一定のポジションを獲得しているが、
願わくば、発売当時(執筆当時)の息吹をそのままに、制作者の叩き付けた筆致をそのままに、長く楽しめるカタチで残していってほしいものだと思う。

ドラクエ2でいえば、グラフィック・戦闘バランスなどを変更したSFC版は、やはり初代とは別物だし、
ジョジョのコミックスで、政治社会・宗教上のよほどの事情などが無い限り、単行本の内容は書き換えず、執筆時のままで刊行してほしい。

絵画や小説、交響曲が長く繰り返し楽しまれ続ける仕組みが出来上がっているように、
マンガやゲームも、現代の娯楽、新たなメディアとして、長く、繰り返し楽しまれる仕組みが出来上がってほしいものだと思う。

WiiUのヴァーチャルコンソールや、マンガ喫茶などは、ゲームやマンガの「図書館」として、昔の名作を繰り返し楽しめる、文化的に意義ある施設・サービスだと思う)

マンガの基本4大構造から探る、ゲームの面白さと独自性

荒木飛呂彦の漫画術」によれば、マンガには「基本となる4つの構造」があり、
重要な順に、キャラクター、ストーリー、世界観、テーマ 4つの要素が存在する。
これらは互いに影響を及ぼし合って存在し、これらを増幅し統括するのが絵とセリフである。

マンガ読者の目に見えているのは絵(紙面)であるが、
その奥にはキャラクター、ストーリー、世界観、テーマがそれぞれにつながり合って存在している。
この構造はいわば、ひとつの世界の営み、宇宙とも言えるのではないかーーと述べられています。

荒木先生はマンガを「最強の総合芸術」と考えているとのことで、

「基本の4大構造」プラス「絵」プラス「言葉」を同時に表現することができ、かつ、その全てを独りで漫画家は創作せねばならない。
そのようなメディアはマンガだけだと、力強い自負が著されています。


基本4大構造の図式は、マンガに限らず、いろいろなものに拡張できる概念だと思う。
この記事では、ゲーム(テレビゲーム)に基本4大構造を当てはめて、モノづくりの面白さを探ってみたい。


 ***


私が考える、ゲームの基本4大構造は、下記のようなものです。


・ゲームの基本4大構造

キャラクター:キャラクターの操作性。敵キャラクター・味方キャラクターとの絡みで、自分自身は何を操作できるのか

ストーリー:ゲームのシステム、ゲームバランス。ゲームの目的、目的を達するためのプロセスはどのようなものか

世界観:ゲーム内で描かれる世界のありよう。プレイヤーに訴える雰囲気、印象、情感。

テーマ:ゲームの遊びどころ、キモ。一言でいって、何をしたいためのゲームなのか


そして、これら基本要素を具体的に表現するのがコンピュータであり、
プレイヤーとコンピューターの相互のやりとりの積み重ねが、ゲームを遊ぶ行為である。

総合芸術として、ゲームの独自性は、
プレイヤーがコントローラーを操作し、操作した結果が(計算を経て)モニターに反映され、
これに基づきプレイヤーが次の操作を考え実行するという、一連のインタラクティブなアクションにある。

アクション・シューティングだけでなく、ロールプレイング、シミュレーションなどジャンルを問わず、
コンピューター(あるいはコンピュータの背後にいる、ゲームマスター)とプレイヤーの相互のやりとりの面白さこそが、ゲームの面白さの本質である。

ゲームは「見るもの」でなく「プレイするもの」であり、
その点でゲームは、マンガ・小説・映画よりも、演劇・コンサート・アトラクション施設・スポーツに近い。
トランプや将棋、鬼ごっこやしりとりなど、人間同士で遊ぶさまざまなゲームも、テレビゲームの大きな母胎となっている。


以下 思いつくままに、星5つ×4項目=20点満点でゲームの星取り評価を列挙していきます。


光神話 パルテナの鏡
キャラクター:4

ストーリー:2

世界観:4

テーマ:3

総合13点
寸評:キャラクターやゲームステージの設定は面白いが、ゲームバランスが悪く、序盤が難しく後半が拍子抜けする。


悪魔城ドラキュラ(初代)
キャラクター:3

ストーリー:4

世界観:5

テーマ:4

総合 16点
寸評:主人公の操作感に馴れる必要があるが、ホラー映画に準拠した世界観の演出、グラフィックと音楽の盛り上げ方がピカイチ。


ゼルダの伝説(初代)
キャラクター:5

ストーリー:4

世界観:3

テーマ:5

総合 17点
寸評:序盤のパラメータの低さ、ヒントの少なさは辛いが、「謎を解き明かす」「勇気と知恵で、ダンジョンを攻略」する楽しみが詰込まれている。


ゼルダの伝説 神々のトライフォース
キャラクター:5

ストーリー:5

世界観:4

テーマ:5

総合 19点
寸評:あらすじ的な意味のストーリーではなく、アイテムを収集しダンジョンを突破していく、その積み重ね・プレイ履歴がストーリーとなっている。


ドラゴンクエスト
キャラクター:5

ストーリー:5

世界観:5

テーマ:5

総合 20点
寸評:ゲームの難易度、緊張感がベスト。新たな世界が創り、拡げられていく瞬間の感動が詰込まれている。


・MOHTER3
キャラクター:3

ストーリー:3

世界観:1

テーマ:1

総合 8点
寸評:類型的で、投げやりな駄作。サウンドバトルでボタンを押すと、なんとなく気持ちいい感じがすることくらいしか褒める点が無い。


オバケのQ太郎 ワンワンパニック
キャラクター:1

ストーリー:1

世界観:2

テーマ:1

総合 5点
寸評:Q太郎の操作に浮遊感・爽快感が無く、イヌの鳴き声にやられる理不尽さに、頑張ってクリアする気を削がれた。


スーパーマリオブラザーズ
キャラクター:5

ストーリー:5

世界観:4

テーマ:5

総合 19点
寸評:ドラキュラやロックマンをやっていて、「あれ、マリオのように飛べないのか?」と思ってしまう。それくらい身体に刷り込まれている。


ドンキーコング(初代 ファミコン版)
キャラクター:3

ストーリー:2

世界観:3

テーマ:4

総合 12点
寸評:テレビゲームの偉大な原点であるが、今プレイすると全3面で、ボリュームが少なすぎた。マリオが高く飛べないのに違和感。


テトリス
キャラクター:4

ストーリー:5

世界観:4

テーマ:5

総合 18点
寸評:ブロックをクルクル回して落とす、瞬時の計算と操作が噛み合った気持ち良さは他に替えがたい。


ジョジョの奇妙な冒険(SFC)
キャラクター:2

ストーリー:3

世界観:5

テーマ:3

総合 13点
寸評:原作マンガのファンという視点では、楽しんでプレーできた。原作を知らない人にはお薦めできない。


ーーこんな感じです。
ジョジョドラゴンボール、バタ足金魚、AKIRAなどのマンガ作品にも、同様の星取り評価を付けていくことができると思う。
「数字」というものは、抽象物でありながら、数を積み重ね較べることで何となく具体的な、定量的な説得力が出てきてしまう。
不思議なものだと思う。

ゲームやマンガの感想は、根本的に、読者 個々人の自由な意思に委ねられるべきものですが、
世間のレビューサイト・口コミサイトが繁盛するのも、また一方で、人間社会の自然な意思形成なのだろうと思う。

ドクタースランプ→ドラゴンボール→COWA!へと続く、鳥山明作品の大団円

私事ですが、この春に自宅を購入することになった。
30歳で結婚して、40歳で住処を固めてと、10年ごとに人生の節目が訪れている気がする。
(50歳で行方不明、60歳で白骨化した遺体が発見される、という展開にならないよう気をつけたい)

そんな折、ドラゴンボール連載30周年の記念本「超史集」が発売され、
鳥山先生が「(ドラゴンボールは)いつのまにか放っておけないほど好きな作品になっているのかもしれませんね」というコメントを寄せている。
個人的には大変な驚きであり、じんわりと嬉しくなるコメントで、衝撃の大事件だった。(極個人的には、鳥山先生のコメントと、マイホーム購入の時期が一致した奇縁に嬉しさを感じている)

この記事では、鳥山明作品の読書メモ、個人的な関わりを記していきます。


 ***


私のマンガ読書歴は、ドクタースランプ/ドラゴンボールジョジョと続き、鳥山先生には大きな影響を受けた。

2005年 鳥山明デザインの「QVOLT」という電気自動車が発表されたとき、東京のショールームに駆け付け、買おうかどうか真剣に悩んだことがある。
タカラのセールスマンが、もう少し営業上手で、電気自動車のメリットと楽しさを上手く伝えていたらこの車を買っていたと思う。
(恥ずかしい話だが、20歳すぎにドラゴンボールを中古本で買いそろえ通読し、感激のあまり鳥山先生にファンレターを書いたこともあった)


鳥山明作品は、物心ついた頃から身のそばにあり、ドクタースランプのコミックスが人生の最初期に読んだマンガ本である。
キャラクターの表情がとても愛らしく、ニコニコ笑った笑顔のかわいらしさは、他にたとえようがない。
(大人になって読み直して気づいたが)千兵衛さんはよい男で、動物を守るため真剣に怒り、仕事と人生の楽しみを両立させてもいる。
みどりさんが千兵衛さんに惚れて結婚するエピソードは、わずか4~5ページほどで描かれていたのだが、みどりさんのアラレたちを眺める視線がとても優しく、強く印象に残っている。

私にとって、ドクタースランプは「心の原風景」であり、てらわずに言えば「生きる喜び」「世界の美しさ、楽しさ」を伝えてくれたマンガである。


次いで始まったドラゴンボールは、孫悟空の成長譚、少年が大人へと成長する冒険物語である。
ドラゴンボールは連載1話からジャンプで読んでいたが、平成元年が始まる頃 悟空が大人になり、天下一武道会で優勝しチチと結婚した。
この時点でドラゴンボールは一度完結し、サイヤ人編からは、同じキャラクターと舞台を使った別のマンガが始まったと思っている。

鳥山先生は、ドラゴンボール連載時「次回の続きをどうするかはあまり考えずに、読者といっしょに、作者自身もワクワクして描きつづける」執筆スタイルをとっていたという。
ストーリーが展開していくワクワク感は、(個人的に)レッドリボン軍との戦い→天下一武道会→ピッコロ大魔王との戦いが最高潮で、
マジュニアが現れたくらいからは、話を畳みにかかっているというか、同じ展開の繰り返しになり始めているのをどう収束させるか、マンネリの予感が現れ始めていた。

サイヤ人編からは、牧歌的だった雰囲気をガラリと変えて、宇宙規模の戦いで戦闘描写も激しくなっていったが、
ドクタースランプ以来の読者だった私にはあまり馴染めず、悟空がラディッツと相打ちになって死んだり、天津飯がナッパに腕を切り落とされたシーンで微妙な違和感がしたものだった。
ベジータフリーザとの戦いは緊迫感がすごく、カッコいいシーンの連続に興奮して読んでいたが、ドラゴンボールは一番に追いかけるマンガでは無くなっていった。
平成元年初頭 サイヤ人の戦いが始まった頃に、ジョジョは3部が始まっており、承太郎の登場から、ジョジョにのめり込んで読むようになっていった。


鳥山先生が「大全集」のインタビュー等で述べているが、
自分の描くマンガは娯楽であり商業作品であり、読者(小学生男子)の要望に応えてドラゴンボールを描き続けていったとのことである。

ハリウッド映画に例えると、悟空が登場しチチと結婚するまでが「ドラゴンボール」。
サイヤ人の設定が追加され、フリーザとの戦いで悟空が宇宙一になるまでが「ドラゴンボール バトルヒーローズ」。
前作が好評を博したので、人造人間たちとの戦いをあらたに描いた続編が「ドラゴンボール バトルヒーローズ2」、
さらにその後 ブウとのエピソードを描いたのが「ドラゴンボール バトルヒーローズ3」。

サイヤ人~ブウ編までの展開は、ストーリーにあまり連続性が無く、
一本の長編小説というよりは、バトルヒーローの戦いと活躍を描いた、3本のアクション映画を観たような、そんな感覚がある。


鳥山作品には大きく2つの魅力があって、
1つはドクタースランプに代表される、ほのぼのとしたかわいい世界観の、(超史集 鳥山先生いわく)「地味なバカバカしさ」の集約されたもの。
もう1つは、カンフーアクションとAKIRAの超能力描写を組み合わせたかのような、疾走感あふれるスリリングなアクションである。

ドラゴンボールは連載30周年の今も、世界的に大きな人気を獲得し続けているが、
アクション要素のカッコ良さが人気を博していて、「地味なバカバカしさ」要素のほうは人気が薄いように思われる。

ドラゴンボール完結後 COWA!、カジカ、サンドランド、ネコマジン、ジャコ 一連の短編作品が発表されたが、
いずれも「地味なバカバカしさ」に重きを置いたもので、激しいカンフーアクションの応酬は影を潜めている。
キャラクターの輪郭も丸っこく、背が縮んでしまったので、
サイヤ人のアクションバトルに魅かれた読者には、何とも刺激が薄く、つまらない凡作群ばかり量産するようになってしまったと映るだろうと思う。


ジャコの発売時 短編コミックスが重版されたのだが、鳥山先生が帯コメントを寄せていて、
「(COWA!は)だれがなんといおうと すべての作品の中でいちばん大好きなマンガであります」と述べている。

自分もCOWA!には思い入れがあり、懐かしさと静かな感動を覚えていたので、このコメントは嬉しかった。

COWA!は、ドラゴンボール完結後 絵本作品を描きたいと思っていた鳥山先生が、
(ジャンプ編集部の、短編作品を連載せよとの要望に応じ)短編コミックで、絵本的表現を試みた作品である。

3人の子供モンスターとはぐれ者の大男が、一緒に旅をして、人間とモンスターの交流を深めるストーリーである。
丸山マコは元相撲取りで、対戦相手を勢い余って殺してしまい、世間が嫌になってはぐれ者になり、オバケたちの住むこうもり岬にやってきたという。
マコの身の上話を聞き終わったパイフーは、「やっぱ人殺しじゃん」とポツリと言う。

これは強烈な皮肉で、

丸山マコの心情は、バトルヒーローとなった悟空たちのある種の真実を描いたものであり、
15年もの週刊連載を描きつづけて、「戦い」に疲れ果てた作者の真情でもある。

しかし、ここからがCOWA!の本編の始まりで、
マコとパイフーたちは、オバケ風邪から村の皆を救うため、一台の車に乗り込み旅に出発する。
ホームセンターのトンボの電飾を見つめるパイフーの純な視線、裏も表もなく明け透けでバカな子供たちの様子に、マコの心が少しずつほぐれていく。
魔女の住処を目指した冒険はやがて終局を迎え、パイフーは少しだけ成長し、マコと3人はたしかな友情を結ぶようになる。
村への帰路 マコが「おれたちは世界最強のチームだ」と宣言するシーンが印象深い。

ラストにひと悶着あって、子供モンスターの企みは破綻し、マコは騙されたような形にもなって、気まずく旅は終わってしまう。
そして最後、パイフーとホセたち、村の皆が心を合わせて、マコにひとつのプレゼントを贈るーー「ありがとう! マコリン!!」のメッセージを込めて。

とても感動的なシーンで、今 思い返すだけでも涙が出そうになってしまうのだが、
COWA!はとても良い作品で、戦いに疲れたはぐれ者が、いかにして自らの人生(幸せ、心の平穏、穏やかな生活)を取り戻すか その過程が描かれている。

鳥山明の心の叫びであり、ドクタースランプで描かれたペンギン村に、悟空やアラレが、「とりさ」自身がようやく帰ってこれた。
作品世界の大団円であり、鳥山明の創作作品はドクタースランプから始まって、ドラゴンボールの宇宙に拡がり、COWA!のオバケ岬に帰ってくるーー私は、そのように捉えている。


 ***


ーードラゴンボールは文字通りのモンスターコンテンツで、30年間 人気が衰えず、
最近では、鳥山明以外の人間が作者となり、ドラゴンボールスーパーの漫画・アニメを連載し続けている。

スターウォーズの新作シリーズが公開され、ジョージルーカスからディズニーへ、作品が他人の手に渡ったことを知った。
ドラゴンボールも、鳥山先生が死んだ後も何らかの形で他人に引継がれ、20年後50年後も新作が描かれ続けているのかもしれない。

しかし、マンガの作家性を求める自分としては、鳥山明のマンガ作品は、(当たり前だが)当人が考え描いたものでなければ意味が無く、
鳥山先生の創作世界は、大きくは、ドラゴンボール完結、COWA!とサンドランドを描いた辺りで老境に到り、その後 大きな新作・新展開が産み出されることはないだろうと思う。

ドラゴンボールは、アニメ・ゲームで新展開が続いているが、
20年後50年後まで続けていくつもりであれば、孫悟空に替わるあらたな主人公を産み出す必要があるだろう。
悟空が主人公の物語としては、マジュニアが魔族の敵ではなくライバルとなった天下一武道会、ブウをウーブ(初心)として弟子に迎えたラストで展開が極まっているからである。

ドラゴンボールスーパー アニメ版は、作画の出来が悪いということで(?)鳥山先生にも不評をかこっているが、
第6宇宙との争いに入ってからの展開はけっこう楽しみで、アニメの新編スタートを楽しみに待っている。
ストーリーの最後は、展開的にもテーマ的にも、悟空がウーブと旅立つ、冒険の初心への回帰が約束されているのだろう。

かつて、1980年代に発売されたドラゴンボールのムック本などで、
鳥山先生は「亀仙人のような、トボけた爺さんになりたい」「100歳まで生きるぞ!」とつぶやいていた。

ドラゴンクエストドラゴンボールの新作デザインはそこそこにして、鳥山先生には余生を充分に楽しんでいただきたい。
サンドランド ラオの坦懐を抱えつつ、亀仙人のように闊達自在な、楽しい人生を送ってほしいものだと思う。
鳥山先生には、今までたくさんのマンガを読ませていただきありがとうございました、と伝えたい。

ジョジョリオン 50話までの、ストーリーのアウトラインと、今後 気になる3つの「謎」

ゲームや映画の話題を離れて、ひさしぶりに、ジョジョリオンのことを書きます。

ウルトラジャンプ 最新号が発売され、吉良とジョセフミが過去に出会ったときの話を読んだ。
公園のベンチでジョセフミと吉良が語り合うシーンは印象深く、久しぶりに「カッコいい男の横顔」を拝んだ感じがした。

ジョジョの連載で、1話まるごとが過去の回想にあてられたことは珍しく、
他にはたしか、6部 ウェザーとプッチの過去を振り返る話くらいしか無かったかと思う。
過去のエピソードは(物語の展開上)すでに過ぎ去った出来事であり、簡潔な説明で、要点だけテンポよく抜き出していく描写が良い。

幼児だったジョセフミは母の愛に恵まれず、命を助けられたホリーさんを慕うようになり、
ホリーさんの命の危機に、(スタンド仲間として仲良くなった?)吉良と共に立ち向かう。
ジョセフミのセリフと言動、シャボン球スタンドを使って木の枝を接合するシーンに、
ジョセフ・ジョルノを思い起こさせる聡明さがあり、今後を期待させて盛り上がる感じになっている。


ジョジョリオンは連載50話達成、(ウルトラジャンプ掲載の最新話で)コミックス12巻までページ数が進んでいる。
物語が佳境に入りつつあり、クライマックスに向けて伏線を畳みはじめている。

ここで、これまでのストーリーのアウトラインを振り返り、描かれた「謎」(伏線、エピソードの積み重ね)を整理してみたいと思う。
手元にコミックスは置かず、うろ覚えの箇条書きで振り返っていきます。


ジョジョリオン 50話までの、ストーリーのアウトライン

・主人公、壁の目で康穂に発見される

・主人公は、吉良吉彰と関わりがあったらしいことが分かる。4玉は、二人の融合を示す

・主人公が、東方家に居候をはじめる

・ホリーさんは病気をしている。吉良の一族と東方家に、何か関わりがあったらしいことが分かる

・ジョニィと東方家の物語を知る。壁の目は、聖なる遺体のパワーが関わっているらしいことが暗示される

・東方家の嫡子たちが、石化病に襲われ、苦しんできたことが分かる

・岩人間 夜露が現れ、主人公・東方家と敵対していたことが明かされる

・東方憲助は家を守るため働いており、主人公の味方らしいことが示される

・ロカカカの実が登場し、東方常敏が岩人間と関わっているらしいことが示される

・ロカカカの実を巡って、主人公、東方家、岩人間の争いが始まる

・カレラが現れ、主人公の過去(吉良とジョセフミ、カレラの関わり)が明らかになり始める

・吉良とジョセフミ 主人公が壁の目に埋まり、記憶喪失となるまでの過去が明らかになり始める


ーーストーリーのアウトラインは、大体こんなところだったと思う。


ジョジョリオンで今後 気になる物語上の「謎」は、下記の3点です。

・主人公は何者なのか?
 吉良とジョセフミの過去と、2人が一つになったことの意味。

・東方家は石化病を克服できるのか?
 ロカカカの実と代々続く呪いの病は一体何なのか。

杜王町は震災から復興できるのか?
 壁の目が隆起した謎が明かされ、町の住民たちは平和で安心な暮らしを手に入れられるのか。


反対に、小ネタというか、これまでのエピソードごとにちりばめられてきた伏線で回収されないだろうもの、
謎が謎のままで残されるだろうもの、辻褄が合わないまま置いておかれるっぽいものを挙げていくと…

・桜次郎との戦いの最中、主人公の脳裏に蘇った「謎の男」

・吉良の住んでいたマンションで、桜次郎が女の子にSMプレーを仕込んでいたことの意図

・謎のマーク(出版社のマーク)が、吉良の死体や東方家に刻まれていたこと。誰が仕掛けたのか?

・虹村さんは、何を狙って東方家に潜入していたのか。ホリーさんと東方家にどんなトラブルがあったのか?

・康穂が新聞記事で読んだ、宝石を持ったまま海岸に流れ着いた幼児の謎

・東方家の地下室で、ジョセフミは過去に軟禁されていたのか?つるぎちゃんと面識はあったのか

・夜露が死の間際「定助は東方家に裏切られて死ぬ」と吐き捨てたが、夜露は何を知っていたのか


ーー書き出しながら振り返っていくと、
つるぎちゃんが登場し、夜露が現れたあたりがストーリーの組換えポイントで、
1エピソードごと・連載1話ごとに、話のつながりがおかしく、前後が繋がらないところがあった。

地下室の扉から、つるぎの母らしい人が覗き込んでいる / 夜露の目からサランラップ / 康穂はどのように夜露に監禁され、1~2日 どのように過ごしていたのか など。

ジョジョの過去のエピソードでいうと、
SBR 2ndレースに突入してスタンド使いが現れ始めたあたり、ポルポが自分の指を食っていたあたり、レッドホットチリペッパーを倒した後の空虚感など、
ストーリーの流れがまだ出来上がっていなくて、キャラクターがどこに行くのか 読んでいて掴めず、エピソードがバラバラに散らかっている感じがしたものだった。

SBRなどは、少年ジャンプでの連載(4巻 オコエモバとの戦いまで)が終わって、ウルトラジャンプに移籍するにあたり、
明らかにストーリーを組み換えて(聖なる遺体と大統領の設定を追加し)、グッと面白くなって続きが再スタートした。


荒木先生は、連載漫画はときに間違えるのも味のうちとして、
ミュージシャンのライブ演奏や日記執筆と同じように、月々の漫画連載を描きつづけているとのことで、
物語の完結後 結果的に、回収されない伏線があったり、エピソードの辻褄が微妙に繋がらなかったり、放置された箇所が出てきてしまうのは、これはしょうがないことだろうとも思う。

マンガの創作に限らず、日々の生活や仕事に敷衍して考えても、
ある日 思いついた着想や考え、ある日に発言し実行した仕事が、未来永劫 追加・訂正を加えず正しいままであり続けるということは無い訳で、
人間の仕事は、どんなものでもトライアンドエラーの連続であるだろうとは思う。

ジョジョリオンは、2時間映画でいうと、1時間10分くらいを過ぎて、
物語の設定が出そろい、キャラクターの考え方も理解できて、主人公たちの行く末に興味・愛着がだんだん湧いてきたくらいの時点だと思う。
ストーリーの幹がグググッと盛り上がって、枝葉末節を精緻に作り込みながら、クライマックスに導いていってくれることを期待したい。

ウルトラジャンプを毎月買うかは分からないけど、コミックスはだいたい発売時に買って読んでいきたいと思っています。

ゲームプレイの略歴と、ノスタルジーの検証

自分自身の好み・体験を振り返ろうということで、
私自身が遊んできたゲームの略歴を、まとめてみました。

年代順に、自分で買って遊んだソフトを箇条書きで並べています。
カッコ綴じになっているのは、友達から借りて遊んで、印象に残っているソフトです。

自分の遊んできたゲームを振り返る中で、懐かしい気持ちが湧きますが、
ジョジョを含めて「思い出のマンガ/ゲームは、ノスタルジーがあるから魅力的に思うのか?」と考えました。
年代一覧の後に、自分の連想を記しています。


 ***


任天堂との出会い ~1985年以前

ゲーム&ウォッチファミコンドンキーコングが近所で流行していたが、
液晶の小さな画面、黒っぽいモニタになじまず、自分ではやらなかった。

横井軍平氏のパズル「テンビリオン」が祖父の家にあり、時々いじって遊んでいた。


●1985年

クリスマス前後 親に、ファミコン本体と、キン肉マン・マッスルタッグマッチを買ってもらう。
父親の趣味で、同時にエキサイトバイクを入手した。

キン肉マンをはじめて起動したとき、緊張し、神聖な感じがしたが、
2016年の今も、あたらしくゲームを始めるときのワクワクした感じ、神聖な感じは変わっていない。


キン肉マン・マッスルタッグマッチ

エキサイトバイク

スーパーマリオブラザーズ

オバケのQ太郎・ワンワンパニック

忍者じゃじゃ丸くん

ハイパースポーツ

ジッピ―レース


●1986年

グーニーズ

忍者ハットリくん

アトランチスの謎影の伝説マイティボンジャック

ドラゴンクエスト

魔界村悪魔城ドラキュラ、1942)

スーパーチャイニーズ

じゃじゃ丸の大冒険

がんばれゴエモン高橋名人の冒険島迷宮組曲

プロ野球ファミリースタジアム

水晶の龍


●1987年

ドラゴンクエスト

エスパードリーム

もえろツインビー

ウルトラマン・怪獣帝国の逆襲

ドラえもんキングコング2、アルゴスの戦士

夢工場ドキドキパニック

ファンタジーゾーン、アルマナの奇跡、聖闘士聖矢、女神転生

SDガンダムスクランブルウォーズ

マイクタイソン・パンチアウト

(上海、ブロックくずし)

ファミスタ'87

1987年頃のクリスマスに、「おえかき せんせい」の最新版を買ってもらった。
タッチペンで描いた絵をテレビに映し出すことができ、データ保存はできなかったが、繰り返しモニターに絵を描いた。


●1988年

ドラゴンクエスト

ナゾラーランド第3号

バイオミラクル・ぼくってウパ

妖怪道中記ドラゴンボール・大魔王復活)

ファイナルラップ

スーパーマリオブラザーズ

桃太郎電鉄忍者龍剣伝テトリス

ロックマン


●1989年

ワギャンランド

MOTHER

スプラッターハウス

ふぁみこんむかし話遊遊記


●1990年

ドラゴンクエスト

ドクターマリオ

ロックマン

F-ZERO


●1991年

いただきストリート

ウルトラマン SFC版)

シムシティ

ファイナルファンタジー4)

ゼルダの伝説 神々のトライフォース

ファミコンジャンプ


●1992年

(ストリートファイタ-2)

スーパーマリオカート

ドラゴンクエスト

ファイナルファンタジー


●1993年

ジョジョの奇妙な冒険 SFC版

スーパーファミスタ


●1994年

スーパーファミスタ

MOTHER2


●1995年

実況パワフルプロ野球

クロノ・トリガー


●1996年

実況パワフルプロ野球

1996年 スーパーマリオ64、アークザラッド2が発売された辺りでゲームから離れる。
家族が上記タイトルをプレイしていたが、自分もやってみようとは思わなかった。


●1999年

ジョジョの奇妙な冒険 プレイステーション




●2013年

子供が6歳になった年、ニンテンドー3DSを買い与える。

ルイージマンション


●2014年

ポケットモンスターY、妖怪ウォッチ1・2、ソニックロストワールド 子供のヘルプに入る)


●2015年

子供がWiiUを入手。ヴァーチャルコンソールで、レトロゲームを再プレイし始める。

MOTHER1・2(再プレイ)

リンクの冒険

スーパーマリオメーカー

ロックマン2(再プレイ)

MOTHER3


●2016年 1月まで

ドンキーコング

ゼルダの伝説

ゼルダの伝説 神々のトライフォース(再プレイ)

エスパードリーム(再プレイ)

 
スーパーマリオUSA(ドキドキパニックの再プレイ)


 パルテナの鏡


悪魔城ドラキュラ


 ***


ーー以上です。

振り返って見ると、自分の好みはいたって普通で、
「マリオ」と「ドラクエ」、レースゲーム、野球ゲーム、ジョジョなどのキャラクターゲームである。

キン肉マンを楽しみ、オバQに引っかかったことで、以降 クソゲーには注意し、
ファミコン通信の情報を頼るなどして、慎重にゲームを選ぶようになった。

1985~1995年に、40本くらいのソフトを買っているが、
(小遣いを含めて)親のお金で買ってもらっており、両親にはあらためて感謝しなければならない。

「マリオ」と「ドラクエ」、両者の含む内容を解きほぐすと、
横井軍平宮本茂に引継がれる、アクションの操作性とパズル的な謎解き、対人対戦を楽しむアクションゲーム。
堀井雄二鳥山明のつくりだした、物語に入り込んで体験するRPGということになるのだろう。



ゲーム略歴を書き起こして気づいたのだが、自分の「ゲーム選択の基準」には2つあり、
ドクタースランプ/ドラゴンボールに連なる「かわいいキャラクター・世界観のもの」、
ジョジョ系譜にある「ホラー、オカルト、ロックのテイストが入ったカッコいい、恐ろしい感じのもの」。

自分のマンガ読書歴はドクタースランプ/ドラゴンボールジョジョと続いていったので、
マンガの好みとゲームの好みが、およそピッタリ一致しているのが面白かった。
人間の人格・精神性は幼少期に養われて、根本の人格はよくも悪くもずっと変わっていないのかもしれない。



私自身は1976年生まれで、1980年代 小学生の時が、もっともゲームに熱中していた。
中学→高校に進学し、1996年に成人するときまでに、段階的にゲームから離れていったように思う。

ゲーム略歴を見ると、平成以降 ゲームのプレイ本数が減り、遊んだのはシリーズものばかりになる。
表を見ていると、テレビゲームのシリーズ化・マンネリ化に飽きていった記憶が蘇る。


ーージョジョを含めて「思い出のマンガ/ゲームは、ノスタルジーがあるから魅力的に思うのか?」、
いわゆる思い出補正はどのくらい強いものなのか、という問いであるが、
私自身は、思い出補正=ノスタルジーの有無と、作品の面白さは全くの別物だと思う。

レトロゲームーードンキーコングスーパーマリオブラザーズゼルダの伝説ロックマン2etcーーを遊んでみて、
2016年の今 はじめてプレイしたものも、20数年ぶりにプレイしたものもあるが、
それぞれのゲームの面白さは、「今、プレイしている瞬間」に感じるもので、ゲームプレイの瞬間瞬間にしかゲームの面白さは生じ得ない。

ファミコン時代の「名作」ゲームは、グラフィックやSEが素朴、ボリュームが少ないなどの難点はあるが、
そんな難点をいつのまにか忘れて、ゲームの世界にプレイヤーを引きずりこむ術に長けている。

横井氏がアイデアマン、オモチャづくりの稀代の名人であり、
宮本氏が工業デザイナーのセンスと知識をもって、ゲームシステム・ゲームデザインをしっかり作り込み、
「ストーリーでは無く、ゲームで勝負する」「資金量ではなく、アイデアで勝負する」ところにファミコン時代の任天堂の強みがあった。


ゲームでもマンガでも、あるいは小説や映画、スポーツやレクリエーションでも同じだと思うが、
人間の行為は、今 その瞬間にそれを行い、それを楽しむものである。

今 なにかをしている瞬間に、過去や未来のことをあれこれ考える余裕は無く、
目の前にある対象に取り組む、頭の中に今あるものを外に描き出す、その連続こそが人生なのだろうと思う。

ジョジョゼルダドラクエ マンガ・ゲームの傑作は、いつ読んでも(プレイしても)面白い。
昔読んで面白くなかったものが、今読んで感想が変わることはあまり無い。

自分の子供を見ていても、子供の直観は鋭く、だいたいの場合は正しい。
宮本茂氏は、かつて松本人志との対談で、
「子供はバカじゃない。知識の量が足りないだけで、彼らにはちゃんと知性がある」と語り、
(「ゲームは女子供を適当にだまして売りつけるようなものだろ?」という)社会の無理解に憤っていた。

宮本茂は、本気で子供のためにゲームを作っている、この人たちの作るゲームはやはり信頼できる、と思った瞬間でした。


ゲーム・マンガは、基本的に子供のためのもの、あるいは子供の心を持った大人に向けた娯楽・文化なのだろうと思います。

40近い中年の自分が、マンガやゲームの感想を大っぴらに語るのは、少し気恥ずかしい思いもあるのですが、
昔を懐かしみながら、また未来への憧れを常に抱きながら、ゲームやマンガにこれからも触れ合っていきたいと思っています。

 

 

追伸:

今更ですが、任天堂の開発史についてご存じない方もあるかと思います。

任天堂の元社長 山内 溥氏の語録(http://crossing.blog.eonet.jp/blog/yamauchi.html

)、

横井軍平 - Wikipedia牧野武文氏による一連の著作がおススメです)、

宮本茂松本人志のインタビュー 書き起こし(http://blog.livedoor.jp/zot3six/archives/6324546.html)です。

各リンクをご参照いただけましたら幸いです。

 

MOTHER3 「END?」でそのまま終わってほしかったクソゲー

(本記事は、ジョジョとほぼ全く関係ない内容になっており、すみません。
否定的な感想を含むので、糸井重里氏とMOTHERシリーズの熱心なファンの方にもあまりお薦めではありません)


***


WiiUのヴァーチャルコンソールでMOTHER3をプレイし、クリアまで遊んだが面白くなかった。

ラスト 物語が終わったところで「END?」の文字が出て、画面が進まなくなる。
十字キーを操作すれば先に進むようになっているのだが、ゲームボーイアドバンスと違って、あいにくwiiUには、2つの方向キーがある。
円盤型の方向キーをふだん使って、(旧来の)十字キーを使うことが無かったので、意識に無く、全くここから進めなくなった。

ーー後にインターネットで攻略情報を検索して、エンディングクレジットを観るにいたったのだが、
「END?」マークでゲームが突然終わったほうが、いっそスッキリしてクソゲーの〆にふさわしかったかも、と今になっては思う。


「終わりよければすべて良し」が物語の基本だと思うが、MOTHER3はその逆を行き、終盤のやっつけ具合がひどかった。
ラストバトルの窮地に、それまで姿を見せなかった父親がいきなり飛び込んできたり、挙句の果てにはアンドーナツ博士まで飛び込んできて、ストーリーを真面目に考えているようにはとても思えなかった。
ゲーム全体で見ても、1~3章がとにかく退屈でプレイするのが辛く、4章から面白くなり始めるが、ドラクエ風の普通のRPGになってしまっている。

MOTHER1は、現代もののRPGをつくったところが革新的で、面白かった。
MOTHER3は、1の持っていた自らの強み・よさを、自らで打ち消したようにしか見えない。

MOTHER3のラスト 2からの繋がりが示され、1・2を匂わす演出がある。
しかし、3の物語と有機的につながっているとはいいがたく、感情移入がしづらい。
MOTHER1・2が懐かしければ、そっちのゲームを再プレイすればいいよ、と思う)

のっぽの男が世界の真相を語りだす場面で、エリックサティの曲をそのまんま使う陳腐な演出にもガッカリした
音楽・SEへのこだわりが、MOTHERリーズの独自性・魅力のキモだったはずなのに…。


皮肉ではなく、MOTHERの成功は、糸井氏のコピーライターとしての才能ゆえで、
MOTHER1は現実のアメリカをベースにした身近な物語だからこそ、現実世界の商品に軽妙なコピーをくっつける、氏のくすぐりのセンスが生きたのだと思う。
MOTHER3は、それまでと違ったものを作ろうとして、すべてが裏目に出てしまったと感じる。

MOTHER3が開発中止になったときの、宮本・岩田・糸井 三氏の対談が、糸井氏のサイトに残されている。(https://www.1101.com/nintendo/nin13/nin13_2.htm
「失敗を振り返り、分析する」同対談が、後に出来上がったゲーム本編よりも遥かに面白く、多くの示唆に富んでいたのは皮肉だし、残念だった。

糸井氏の発言・仕事にはアマチュアリズムへの賛美、自由な立場で物事を発想することの楽しさが現れている。
それはそれでいいのだが、宮本・岩田 両氏のゲーム製作への姿勢とは異なっているし、
同じお金を支払って遊ぶ身からすれば、素人の余興ではなく、プロの職人が作りこんだゲームで楽しく遊びたい。
MOTHER3は僅か500円のキャンペーン価格で遊べたので、値段分は楽しめたし、あまり文句ばかりを言う筋合いでもないけど……いろいろな意味で、残念なゲームだった。


商売の訓話で、「三代続けば末代続く」「三代続けば、家が潰れる」という。
事業経営・相続の難しさ、相続税への嘆き節でもある。

MOTHERは、三代続くことができなかった。
ドラクエは1,2,3でステップアップし不朽の名作となった。
ジョジョも、1,2,3で三部作のサーガを完結させ、30年近く一定以上の面白さをキープし続けている。

マンネリに見えて、一定のクオリティを維持し、長く続けることは難しい。
鈴木慶一氏が、最近のインタビュー(http://www.cinra.net/interview/201409-adanza)で、
「マンネリになるのは、新しいものを入れてないから。勉強し続けていれば、いくつになっても曲は書ける」と話していた。
日々生まれ変わっているその若さ、職人の探究心を見習いたいものだと思う。

 

ーーしかしながら、MOTHER3は20数年ぶりに掴まされた、久しぶりのクソゲー体験だった。小学生のとき バンダイに「オバケのQ太郎 ワンワンパニック」を掴まされたのと同様の悲しみと怒りが、胸の中に湧き上がってくる。

この心の傷は、「ゼルダの伝説 神々のトライフォース」を再プレイしてやり込むしかない。いやな記憶を上書きするしかない……と考えている、正月休みである。

「リンクの冒険」と「スーパーマリオメーカー」 / ジョジョのメディアミックスを概観する

引き続きヴァーチャルコンソールでレトロゲームをやり込んでいて、
最近は「リンクの冒険」と「ロックマン2」をプレイしていた。

リンクの冒険は、小学生当時 ビックリマンワールドと並ぶくらいの「やってみたかったが、結局買わないで素通りしたソフト」で、
今回 はじめてプレイしてみると、難しく、しかし下突きを覚えたくらいから異様に面白く、大神殿までクリアした。

WiiUヴァーチャルコンソールには、「どこでも保存/復元」というマルチセーブ機能が付いているので、
こまめに保存することで、ゲームの難所のみを繰り返しプレイし、突破口を見出すことができる。

アクションゲームの場合、ゲームオーバーになるたびにスタートからやり直すのは(時間・労力・眼精疲労に)つらいので、
マルチセーブをこまめに行いながら、アクション上の難所をクリアしていった。

大神殿のボルバが一番の難敵で、シューティング系のゲームは苦手なので苦労した。
ズルいとは思うが、ナイスプレイ(=ノーミスで、相手に1ダメージを与える)のたびに小まめにセーブして、
相手の体力が半分くらいになったところで、あとは普通に戦って倒すことができた。
影リンクは、攻略サイトの情報を見ていたこともあったが、
画面の左端に影リンクが飛び込んたところを、下突きすることでハメ込んだ状態になり、初対戦で倒すことができた。
(後日 影リンクともう一度戦ってみたが、4回めくらいの対戦で、二度目の勝利を収めることができた)


……小学生なみのゲームの感想文を書いているが、リンクの冒険は、それくらい、頭が真っ白になるような面白さがあった。
リンクの剣と盾を使ったアクションがカッコ良く、敵との戦い(アクション操作)がとにかく面白い。

ディスクシステムのゲームなので、テキストがカタカナ表示だったり、容量が少ないゆえの粗はあるものの、
マリオとリンク、2つのキャラクター・システムが重ならないように、それぞれ絶品のアクションゲームを仕立てあげていった、
宮本茂任天堂開発チームは、ゲーム界における「神の仕事」を行ったと、いくら褒めても褒め足りないくらいにスゴイと思う。

(ヴァーチャルコンソールで、あとは本当は「夢工場ドキドキパニック」があればプレイしたかったのだが、
キャラクタと音楽を一部差し替えの「スーパーマリオUSA」しか配信されていないのが残念)


最近は、子供とWiiUを奪い合って遊ぶ休日なのであるが、
子供は「スーパーマリオメーカー」を入手し、ゲームコースを作ることに熱中している。

スーパーマリオメーカーでは、4つの2Dマリオゲーム(スーパーマリオ、マリオ3、スーパーマリオワールド、newスーパーマリオ Wii)をベースに、ゲームコースを設計・遊ぶことができる。
4つのマリオで、ゲームのグラフィック・SEは大幅に向上しているが、ゲームシステムやアクションの面白さは、初代から一貫して変わっていない。
1985年 黄色いパッケージのスーパーマリオブラザーズが、いかに完成度の高いゲームソフトだったかを思い知らされる。
小学生当時 「キンタマリオ」のギャグ、「1-1で秘密の土管をくぐると、ワールド9に行けるらしい」という噂に熱中した身にとっては、
30年後 マリオが現役の人気ゲームで、子供がゲームコースをデザインしてインターネットに公開して遊べるようになるとは思ってもいなかった。

 

コースデザインは、(プレイヤーを取り囲む)時間や空間を操作し設計する作業ともいえ、

DIOやプッチ神父、大統領らの悪役が夢見た「神の視点」は、ゲームマスターの箱庭づくりの中に、部分的に実現されているのかもしれないと思う。

 

テレビゲームやパソコンの進化発展を見ると、
人類の未来は発展途上で、まだまだ明るい未来があるのだなという気がしてくる。

 

 

 ***

 


ーージョジョとほぼ全く関係のない記事を書いてきてしまい、すみません。

以下、ジョジョのメディアミックスについて、ゲームを中心に連想することろを記していきます。


最新作 アイズオブヘブンは、あまり面白そうなゲームではないが、
グラフィックだけ凝っていて、ゲーム(アクションの操作性)そのものが、もっさりして面白くなさそうなのがダメなんだと思う。

承太郎やDIOが、原作の画風を残しつつ3Dキャラになっているのは良く出来ていると思うが、
ゲームの面白さは、美麗なグラフィックや声優の演技、しょうもない(と言っては失礼か?)原作再現風のギミックとは別のところにあるわけで、
松山洋は、かつてジョジョのRPGをクソゲーと嘆いていたが、「岸部露伴のコスプレをしたアンタに言われたくないよ」と私は思う。

スーパーファミコンで発売されたジョジョのRPGは、あまりゲームそのものの出来は良くなかったが、
当時少なかったジョジョのメディアミックス製品で、3部の旅を追体験するものとして、けっこう楽しめたものだった。
ジョジョのはじめての単独ゲーム化だったので、思い入れをもって遊んだものだった。

ジョジョのメディアミックスで、2010年以降に出たアニメやゲームは、正直なところ、私自身の好みではなく、ひとつも買っていない。
ルーブル美術館とコラボしたくらいから、集英社ジョジョを随分持ち上げているな、ジャンプ系メディアミックスの種が尽きたので持ち上げてるのかなと思うのだけど、
最近につくられたゲームやアニメは、雰囲気がどうにも軽いというか、ホラー映画・オカルト・ロックミュージックのテイストが無くなってるので興味をそそられない。

最近に出たジョジョ商品(?)だと、やはり、荒木飛呂彦が描いたジョジョリオン11巻が、432円で新作を読めていちばん面白かった。
アイズオブヘブンを数千円出して買うくらいなら、ジョジョリオンを1~11巻まで買って読んだほうがよっぽど楽しめる。
8巻 岩人間との初戦くらいまでがかなりダルイのだけど、あらき100%さんの展開予想をヨコに置きながら、あれこれ展開予想を考えつつ読んでいくと、もっと楽しめるかもしれない。


ジョジョのメディアミックス、
2015年12月の現時点で、個人的ベストスリーは以下の通り。

1位 エジプト編のOVA
絵柄は原作と異なっているが、アニメーションの演出がカッコいい。
ンドゥール・ダービー・DIOの全6巻で、3巻・5巻がとくにお気に入り。5巻のDIOの、夜間飛行の浮遊感がとても良い。
自分に100億円(?)の資産があれば、当OVA並みのクオリティで、ジョジョ 1~3部までのアニメ化・映像化を製作させるのに……と妄想してしまう。

2位 カプコン格闘ゲーム
キャラクターのアクションがカッコいい。
3部のストーリーを、敵を漏らさず、追体験できる丁寧な作り込みも良い。

3位 SFCのRPG
このゲームが発売された当時、周りに友達が少なかったので、家でゲームをよくやっていた。
ジョジョ 3部の連載が終わった後に発売されたゲームで、3部のキャラクター(=仮想の友達?)と再び巡り合えたような感覚で、嬉しく遊んでいた。
キャラクターのバストアップしか映らないのが息苦しかったが、原作の旅を再体験できるだけで当時は面白かった。

次点 ファミコンジャンプ
最強の7人というサブタイトルで、7人の主人公の一人が承太郎だった。
ファミコンジャンプ1は、自分はプレイしていないので)はじめてゲームになったジョジョが、このゲームだった。
ストーリーは忘れてしまったが、7人のジャンプキャラ それぞれに見せ場があって、けっこう面白かった記憶がある。
荒木先生がデザインした「サボテンの敵キャラ」がヘンテコな出来で、鳥山明ドラクエはすごい才能なのだ、と妙に納得した記憶がある。


ジョジョ3部の連載当時を思い返すと、2015年の今 ジョジョがまだ連載が続いていて、多方面から高い評価を受ける作品になっているとは思いもしなかった。
荒木先生の努力・筆力の賜物だと思うけれども、25年~30年、ひとつの仕事を続けることの大切さ・偉大さを痛感する。

ゆでたまごも、キン肉マンの新作を描き続けていて、けっこう面白い。
ゆでたまごキン肉マン荒木飛呂彦ジョジョ、水島真司はドカベン
ペンが走る限り、一世一代の傑作を描きつづけてほしいと、エールを送りたくなる。

宮本茂も、マリオとゼルダ任天堂ブランドのゲームを心行くまで、好きなものを作り続けてほしものだと思う。