ドラゴンクエスト2(ファミコン版)を、発売当時以来 29年ぶりに再プレイした。
実家に眠っていた古いファミコンカセットを探し出し、カセット端子の汚れを取り除き、
中古品のファミリーコンピュータ(本体)を購入し、ようやくプレイすることができた。
子供のときに遊んでいたカセットが、(もう無くなっていると思っていたのだが)実家に眠っていて、
青い紙箱の中には、プラスチックの容器にカセット、取扱説明書、パスワードのメモ書きまでが残っていた。
ファミコン 端子の汚れは、「クレ エレクトロニッククリーナー」(接点復活剤)を綿棒に浸し、やさしく磨き上げることでクリーニングできる。
アナログ電波のチャンネルを介して、テレビモニターにファミコンの映像と音声が流れ始めたとき、とても不思議な感じがした。
30年近く前の電子製品が、まだ壊れずに動いていて、一瞬のうちに「今」と「昔」が繋がった感じがして、
ファミコンカセットを大切に取り扱っていた、昔の自分にありがとう、という気持ちだった。
(ジョジョのコミックス 12巻以降を発売時に買い揃えて、大半は実家の本棚に眠っている。
30年近く前のマンガ本になるが、これらの本やゲームを、さらに30年後 再び眺めることもあるのだろうか?)
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ドラクエ2をスタートし、2週間くらいかけてクリアしたが、とても面白かった。
小学4年生で初めてプレイした時は、シドーを1度か2度倒したことはあったものの、
とても難しく、敵が強すぎて、めったにクリアできるものではない、と思っていた。
今回は、インターネットで「水の羽衣が2着作れる」という攻略情報を利用したこともあったが、
それ以外は、昔の記憶を頼りにしつつ、自分で謎を解き、じっくりレベルを上げながら冒険を進めていった。5つの紋章の隠し場所など、昔の記憶を、けっこう覚えていたのが意外だった。
(後日 サマルトリアの王子にミンクのコート/まほうのよろいを装備させて、ハーゴンの神殿の戦いに挑んだが、無事 クリアすることができた。Lv44,39,32まで上げていたので、地力が上がっていたようだった)
船を手に入れて海に出たとき、ものすごい解放感があり、
ロンダルキアへの洞窟を抜けて、真っ白な高原に出てきたときも、「ああ!」という感動があった。
敵キャラが強く、命のやり取りをしている緊張感があり、
目的地までの行路が絶妙に難しく設定されているので、要所要所を突破したときに「やった!」という達成感があり、その積み重ねで最後までプレイできた。
あらすじ的な意味のストーリーは単純で、戦闘画面のグラフィック・SEも簡素なものだが、
シンプルであるがゆえに、プレイヤーが個々に想像力を膨らませ楽しむ余地がある。
ファミコンソフトの名作は、お寺の石庭、抽象絵画のようなシンプルさと奥深さを持っていて、
ビシッと決まった、ひとつの宇宙を形作っている。
ゲームデザイナーとプレイヤーの知恵比べ、イタズラの掛け合いのような面白さで成り立っており、
今 遊んでも、100年後の人が遊んでも楽しめるだろう、普遍的な面白さを備え持っていると思う。
ーージョジョベラー 荒木先生の発言によれば、「ヒットアルバムの法則」(?)と呼ぶべきものがあり、
あるアルバムが「名盤(=最も売れたアルバム)」となったのは、「その一つ前のアルバム」が優れた作品で、多くのファンに次作への期待を抱かせたからだという。
ドラクエ2は、まさに「その一つ前のアルバム」で、2が大ヒットを記録した後、次作のドラクエ3は、まさに社会現象と呼ぶべき、人気のピークを迎えた。
ドラクエ1→2→3の制作期間の短さ、連打・連打・連打で畳みかける密度の濃さに、驚かされる。
ジョジョ1→2→3部にも共通する所があるが、作者が若く、ジャンル自体が草創期にあり、自由な実験を思い切ってやりきったような、
そんな進取の気風に満ち溢れた、奇跡のような連作が、ジョジョでありドラクエであったと思う。
2016年の今 ジョジョもドラクエも、多くのファンを持つ「名作」として、一定のポジションを獲得しているが、
願わくば、発売当時(執筆当時)の息吹をそのままに、制作者の叩き付けた筆致をそのままに、長く楽しめるカタチで残していってほしいものだと思う。
ドラクエ2でいえば、グラフィック・戦闘バランスなどを変更したSFC版は、やはり初代とは別物だし、
ジョジョのコミックスで、政治社会・宗教上のよほどの事情などが無い限り、単行本の内容は書き換えず、執筆時のままで刊行してほしい。
絵画や小説、交響曲が長く繰り返し楽しまれ続ける仕組みが出来上がっているように、
マンガやゲームも、現代の娯楽、新たなメディアとして、長く、繰り返し楽しまれる仕組みが出来上がってほしいものだと思う。
(WiiUのヴァーチャルコンソールや、マンガ喫茶などは、ゲームやマンガの「図書館」として、昔の名作を繰り返し楽しめる、文化的に意義ある施設・サービスだと思う)