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ジョジョ読者のブログ

ジョジョの奇妙な冒険の感想、批評、考察を書いています。

「雨ニモマケズ」と、クレイジーダイヤモンド

自分の好きな詩のひとつに、宮澤賢治の詩「雨ニモマケズ」がある。
青空文庫より全文を引用させて頂くと、下記の通り。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/45630_23908.html


雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル

一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ

野原ノ松ノ林ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ

東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ

ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

南無無辺行菩薩
南無上行菩薩
南無多宝如来
南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼仏
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩



宮澤賢治がこの詩を手帳に書いたのは、
石灰工場の技師となりセールスに東京を走り回っていたが肺を悪くし、花巻に戻った頃だという。

現代でいうサラリーマン的な生活を経験しながらも、まだ彼の詩や芸術活動への評価が全くない時期で、
自分で自分を励ますために、ノートに書き綴った断片が「雨ニモマケズ」なのだろう。

この詩で今、改めて頷かされるのが、
「欲は無く、決して怒らず」「北に喧嘩や訴訟があれば、行ってつまらないからヤメロと言い」
という一節だ。

大人になって、民事訴訟の原告や被告を経験してみて分かった事ですが、
たしかに喧嘩や訴訟はつまらないもので、本来 回避すべきものです。

時間や労力をかけて争いを収めようとする訳ですが、
本来であれば、日ごろから円満に生活を送り、円滑な取引を行い、訴訟が起こらない状態=平和を保たなければならない。
平和が崩れて争いが起きた時に、法律に則って争いを解決する選択肢として、訴訟は存在するに過ぎません。

雨ニモマケズ」は、人生に少しくたびれた30~40代の人が読むと心に沁みる詩だと思う。

注文の多い料理店銀河鉄道の夜は、小学生の子供にも分かるけど、同時に薄らと得体の知れない気味悪さも持っていて、
やはり子供から大人まで、幅広い年代が様々な楽しみかたをできるのが名作の条件なのだろう。



ジョジョの話から逸れてしまってすみません。


雨ニモマケズ」から連想して思うのが、承太郎とジョウスケの違い、あるいは1~3部と4部の違いです。

雨ニモマケズ」は、日常の応援歌と言ってもよく、中島みゆきの歌のような泥臭い面持がある。
ジョジョ4部は日常の中の非日常を描いた作品で、主人公のジョウスケは基本的に、平和を愛する小市民だ。

ジョウスケは小遣いかせぎにイカサマやギャンブルをやってのけるが、法律に反することはしない。
吉良を倒す時も、スタンド使いとして勝負には打ち勝ったものの、吉良を絶命させたのは救急車の事故だった。

ジョウスケのスタンド クレイジーダイヤモンドは、承太郎いわく「世界でもっとも優しい能力」で、
壊れた物を直し、怪我した人を元気にすることができる。
だが、自分の傷を治すことはできず、失われた生命を取り戻すことはできない。
ジョウスケというキャラクターは、どこまでも日常の倫理・価値観に基づいており、ゆえに「親しみやすい、いいヤツ」なのである。


一方 承太郎がユーラシア大陸を旅する3部、あるいは1~3部までのサーガは、
日常を描いた4部とは異なり、正義と悪の対決を描いた、非日常の神話である。

承太郎とその一行には、「DIOを倒して、世界を救う」という大義があり、その目的は正しい。
しかし、道中 やむを得ないとは言え、インド人医師が女帝の巻き添えになったり、運命の車輪戦でトラックを横転させたりしている。
トラック横転に、承太郎は「知らんぷりしてりゃあいいんだよ。放っときな…」とうそぶくが、よくよく考えると、この発言はあり得ない。

承太郎のスタープラチナはボコボコに相手をぶん殴る能力で、殴った相手は再起不能になる。
スタンド使いの戦いは法律を超えた出来事であり、世界を救うという大義はあるが、「喧嘩や訴訟はヤメロ」どころの話では無い。


アクション映画や冒険映画を見れば血湧き肉躍るが、
映画館を出た観客が殴り合いを始めて良い、ということにはならない。

日常と非日常は絡み合いながらも分離するような微妙な関係で、
平和な世界に生きる日常と、非常事態のサバイバルでは、規範や行動が異なってくるのだろう。