ジョジョ読者のブログ

ジョジョの奇妙な冒険の感想、批評、考察を書いています。

カメ飼育 5年間の履歴と、随想

 

今年で5年くらいになるのであるが、自宅の中庭でカメを飼っている。
最初は近所を歩いていたイシガメを捕まえたのがきっかけで、
その後 ホームセンターでアカミミガメを2匹飼って、これを長く育てることになった。

「日本イシガメのよもぎさん」のような気の利いたウィット、カメの写真などは何も無く、私がカメを飼ってきた履歴、随想を記します。


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・今朝 カメの水槽を掃除して、あれこれの整美をしていて気づいたのだが、カメの世話は「土いじり」や「盆栽」と似ている。
土いじりや盆栽、限られた空間に宇宙を見出す楽しみであり、自然と人の調和、エコロジーの体現である。

ジョジョ57巻 コミックスのはしがきで、荒木先生が庭の土いじりにはまっていて、ネコのウンコが嫌いだ というくだりがある。
クリスチャン・ディオールも土いじりにはまっていて、デザインの仕事が一段落した後、庭の手入れをしないではいられなかったらしい。


・カメというのは、ものを言わない。もしかすると人間には聴こえない超音波的な信号で会話しているかもしれないが、人間には「沈黙の生物」である。
カメをつまみあげたり、驚かせたときだけ「フーッ」と鼻息を鳴らすが、それ以外に物音を立てることは無い。静かな生物である。

・カメはとても怖がりで、専守防衛、甲羅に閉じこもって身を守ることで進化した生物である。
 カタツムリと似ていて、両方を飼育したことのある私は、ひきこもり的な精神性の生物なのであろう。

・カメは変温動物で、ヘモグロビンが無いため、血は赤くない。しかし、「爬虫類が冷血で感情が無い」みたいなイメージは只の偏見、誤りである。
 冬場 カメを、40度くらいのお湯が入ったバケツに入れると、まったり、とても気持ち良さそうにジッとしている。
 爬虫類も哺乳類も、基本 20~28度くらいの、温かな気温が大好きである。

 

・ペット業者が、コイのエサみたいな乾燥飼料を、カメのエサと称して販売している。それはそれで良いかもしれないが、当方では与えていない。
・煮干しとオキアミ(または干しエビ)、ちんげん菜。1週間に1~2回 サーモンなどの切り身を与えている。

・赤ちゃんカメのとき、ペットショップで買った「ミルワーム」という蛆虫みたいな幼虫を与えていたが、(私自身が)気持ち悪いので止めにした。
・人間が食べて美味いと思うものは、だいたい、カメも美味いと思って食べている気がする。
・カメの5歳が、人間の何歳に相当するか分からないが、サーモンやちんげん菜など、甘みのある食べ物を好んで食べている。


・自宅の中庭にトロ舟を置き、これに水を張り、カメは水の中で暮らしている。日向ぼっこができるよう、スロープを工夫すると良い。
・冬場 熱帯魚用のヒーターを4本くらい設置して、水を20度くらいまで温めている。水は比熱容量が高いので、外気より温かく、快適である。


ーー残念ながら、上記の飼育情報は、現時点でほとんど意味が無い。

なぜならば、アカミミガメ(ミシシッピアカミミガメミドリガメ)はアメリカ産の外来種で日本の自然を乱すとして、飼育禁止の方向で法制化が進んでいるためである。
アカミミガメもイシガメも、生態は変わらない気がするが、とにかく、これから先の日本で、アカミミガメを飼うことは少なくなっていくと思う。

・数年前 自動車で田んぼの脇を走っていると、大きな石コロみたいなものが道路を塞いでおり、違和感を感じた。
よく見ると巨大なアカミミガメで、体長30cm以上の大物、道路わきの田んぼが住宅地に開発途中で、住処を追われ彷徨っていたらしい。

クルマに曳かれて死にかねなかったので、自分の自動車に乗せ、近所の適当な川に連れていってカメを逃がした。
その後 どこで生き延びているのか、見かけたことは無い。

出川哲郎の「VSリアルガチ危険生物」というTV番組で、多摩川外来生物を捕獲して、自然環境の保護、(人間に翻弄される)外来種の哀れさを描くコーナーがある。
巨大魚を狙って網をしかけて、アカミミガメが引っかかることがしばしばある。ペットとして飼われた外来種が捨てられ、河川で生き延びているのである。

漁をてがける動物学者の真摯さに敬意を感じるが、鈴木奈々のリアクションが嘘くさいのに呆れている。


福沢諭吉の「学問のすすめ」 末尾に、こんな一節がある。

「人類多しといえども、鬼にもあらず蛇にもあらず、ことさらにわれを害せんとする悪敵はなきものなり。
 恐れはばかるところなく、心事を丸出しにしてさっさと応接すべし。
 ゆえに交わりを広くするの要は、この心事をなるたけ沢山にして、多芸多能一色に偏せず、さまざまの方向によりて人に接するにあり。

(中略)

 世界の土地は広く、人間の交際は繁多にして、三、五尾の鮒が井中に日月を消するとは少しく趣を異にするものなり。人にして人を毛嫌いするなかれ。」


この一節を読むと、引きこもり的気質から脱して「よーし、やるぞ!」と元気を誘発される。

自宅の中庭で飼っているカメは「井中の鮒」であるが、しかしよくよく考えてみると、中庭のカメが何を思って生きているのか、人間には分からない。
カメにはカメの、カメなりの幸せがあるのではないか とそんなことを思う。


大島弓子綿の国星」というマンガがある。
浪人生の青年が、(女の子の姿で描かれる)飼いネコのありように心洗われ、「ぼくはネコの視線で世界を見ていたのだ」と目を開くくだりがある。

けだし、ペットというものは何か具体的に生活の役に立つものではなく、あまり可愛くもなく、世話に手間のかかることが多い。
しかしながら、ペットの価値は実用性・経済性・合理性にあるのではなく、
社会生活から溢れだした非合理性、平々凡々と日向ぼっこを終日続けているような、何も考えず、何も進歩のない(ように見える)その暮らしぶりに、
何かを思い出し、拾い出しているのだと思う。