ジョジョ読者のブログ

ジョジョの奇妙な冒険の感想、批評、考察を書いています。

ドクタースランプ→ドラゴンボール→COWA!へと続く、鳥山明作品の大団円

私事ですが、この春に自宅を購入することになった。
30歳で結婚して、40歳で住処を固めてと、10年ごとに人生の節目が訪れている気がする。
(50歳で行方不明、60歳で白骨化した遺体が発見される、という展開にならないよう気をつけたい)

そんな折、ドラゴンボール連載30周年の記念本「超史集」が発売され、
鳥山先生が「(ドラゴンボールは)いつのまにか放っておけないほど好きな作品になっているのかもしれませんね」というコメントを寄せている。
個人的には大変な驚きであり、じんわりと嬉しくなるコメントで、衝撃の大事件だった。(極個人的には、鳥山先生のコメントと、マイホーム購入の時期が一致した奇縁に嬉しさを感じている)

この記事では、鳥山明作品の読書メモ、個人的な関わりを記していきます。


 ***


私のマンガ読書歴は、ドクタースランプ/ドラゴンボールジョジョと続き、鳥山先生には大きな影響を受けた。

2005年 鳥山明デザインの「QVOLT」という電気自動車が発表されたとき、東京のショールームに駆け付け、買おうかどうか真剣に悩んだことがある。
タカラのセールスマンが、もう少し営業上手で、電気自動車のメリットと楽しさを上手く伝えていたらこの車を買っていたと思う。
(恥ずかしい話だが、20歳すぎにドラゴンボールを中古本で買いそろえ通読し、感激のあまり鳥山先生にファンレターを書いたこともあった)


鳥山明作品は、物心ついた頃から身のそばにあり、ドクタースランプのコミックスが人生の最初期に読んだマンガ本である。
キャラクターの表情がとても愛らしく、ニコニコ笑った笑顔のかわいらしさは、他にたとえようがない。
(大人になって読み直して気づいたが)千兵衛さんはよい男で、動物を守るため真剣に怒り、仕事と人生の楽しみを両立させてもいる。
みどりさんが千兵衛さんに惚れて結婚するエピソードは、わずか4~5ページほどで描かれていたのだが、みどりさんのアラレたちを眺める視線がとても優しく、強く印象に残っている。

私にとって、ドクタースランプは「心の原風景」であり、てらわずに言えば「生きる喜び」「世界の美しさ、楽しさ」を伝えてくれたマンガである。


次いで始まったドラゴンボールは、孫悟空の成長譚、少年が大人へと成長する冒険物語である。
ドラゴンボールは連載1話からジャンプで読んでいたが、平成元年が始まる頃 悟空が大人になり、天下一武道会で優勝しチチと結婚した。
この時点でドラゴンボールは一度完結し、サイヤ人編からは、同じキャラクターと舞台を使った別のマンガが始まったと思っている。

鳥山先生は、ドラゴンボール連載時「次回の続きをどうするかはあまり考えずに、読者といっしょに、作者自身もワクワクして描きつづける」執筆スタイルをとっていたという。
ストーリーが展開していくワクワク感は、(個人的に)レッドリボン軍との戦い→天下一武道会→ピッコロ大魔王との戦いが最高潮で、
マジュニアが現れたくらいからは、話を畳みにかかっているというか、同じ展開の繰り返しになり始めているのをどう収束させるか、マンネリの予感が現れ始めていた。

サイヤ人編からは、牧歌的だった雰囲気をガラリと変えて、宇宙規模の戦いで戦闘描写も激しくなっていったが、
ドクタースランプ以来の読者だった私にはあまり馴染めず、悟空がラディッツと相打ちになって死んだり、天津飯がナッパに腕を切り落とされたシーンで微妙な違和感がしたものだった。
ベジータフリーザとの戦いは緊迫感がすごく、カッコいいシーンの連続に興奮して読んでいたが、ドラゴンボールは一番に追いかけるマンガでは無くなっていった。
平成元年初頭 サイヤ人の戦いが始まった頃に、ジョジョは3部が始まっており、承太郎の登場から、ジョジョにのめり込んで読むようになっていった。


鳥山先生が「大全集」のインタビュー等で述べているが、
自分の描くマンガは娯楽であり商業作品であり、読者(小学生男子)の要望に応えてドラゴンボールを描き続けていったとのことである。

ハリウッド映画に例えると、悟空が登場しチチと結婚するまでが「ドラゴンボール」。
サイヤ人の設定が追加され、フリーザとの戦いで悟空が宇宙一になるまでが「ドラゴンボール バトルヒーローズ」。
前作が好評を博したので、人造人間たちとの戦いをあらたに描いた続編が「ドラゴンボール バトルヒーローズ2」、
さらにその後 ブウとのエピソードを描いたのが「ドラゴンボール バトルヒーローズ3」。

サイヤ人~ブウ編までの展開は、ストーリーにあまり連続性が無く、
一本の長編小説というよりは、バトルヒーローの戦いと活躍を描いた、3本のアクション映画を観たような、そんな感覚がある。


鳥山作品には大きく2つの魅力があって、
1つはドクタースランプに代表される、ほのぼのとしたかわいい世界観の、(超史集 鳥山先生いわく)「地味なバカバカしさ」の集約されたもの。
もう1つは、カンフーアクションとAKIRAの超能力描写を組み合わせたかのような、疾走感あふれるスリリングなアクションである。

ドラゴンボールは連載30周年の今も、世界的に大きな人気を獲得し続けているが、
アクション要素のカッコ良さが人気を博していて、「地味なバカバカしさ」要素のほうは人気が薄いように思われる。

ドラゴンボール完結後 COWA!、カジカ、サンドランド、ネコマジン、ジャコ 一連の短編作品が発表されたが、
いずれも「地味なバカバカしさ」に重きを置いたもので、激しいカンフーアクションの応酬は影を潜めている。
キャラクターの輪郭も丸っこく、背が縮んでしまったので、
サイヤ人のアクションバトルに魅かれた読者には、何とも刺激が薄く、つまらない凡作群ばかり量産するようになってしまったと映るだろうと思う。


ジャコの発売時 短編コミックスが重版されたのだが、鳥山先生が帯コメントを寄せていて、
「(COWA!は)だれがなんといおうと すべての作品の中でいちばん大好きなマンガであります」と述べている。

自分もCOWA!には思い入れがあり、懐かしさと静かな感動を覚えていたので、このコメントは嬉しかった。

COWA!は、ドラゴンボール完結後 絵本作品を描きたいと思っていた鳥山先生が、
(ジャンプ編集部の、短編作品を連載せよとの要望に応じ)短編コミックで、絵本的表現を試みた作品である。

3人の子供モンスターとはぐれ者の大男が、一緒に旅をして、人間とモンスターの交流を深めるストーリーである。
丸山マコは元相撲取りで、対戦相手を勢い余って殺してしまい、世間が嫌になってはぐれ者になり、オバケたちの住むこうもり岬にやってきたという。
マコの身の上話を聞き終わったパイフーは、「やっぱ人殺しじゃん」とポツリと言う。

これは強烈な皮肉で、

丸山マコの心情は、バトルヒーローとなった悟空たちのある種の真実を描いたものであり、
15年もの週刊連載を描きつづけて、「戦い」に疲れ果てた作者の真情でもある。

しかし、ここからがCOWA!の本編の始まりで、
マコとパイフーたちは、オバケ風邪から村の皆を救うため、一台の車に乗り込み旅に出発する。
ホームセンターのトンボの電飾を見つめるパイフーの純な視線、裏も表もなく明け透けでバカな子供たちの様子に、マコの心が少しずつほぐれていく。
魔女の住処を目指した冒険はやがて終局を迎え、パイフーは少しだけ成長し、マコと3人はたしかな友情を結ぶようになる。
村への帰路 マコが「おれたちは世界最強のチームだ」と宣言するシーンが印象深い。

ラストにひと悶着あって、子供モンスターの企みは破綻し、マコは騙されたような形にもなって、気まずく旅は終わってしまう。
そして最後、パイフーとホセたち、村の皆が心を合わせて、マコにひとつのプレゼントを贈るーー「ありがとう! マコリン!!」のメッセージを込めて。

とても感動的なシーンで、今 思い返すだけでも涙が出そうになってしまうのだが、
COWA!はとても良い作品で、戦いに疲れたはぐれ者が、いかにして自らの人生(幸せ、心の平穏、穏やかな生活)を取り戻すか その過程が描かれている。

鳥山明の心の叫びであり、ドクタースランプで描かれたペンギン村に、悟空やアラレが、「とりさ」自身がようやく帰ってこれた。
作品世界の大団円であり、鳥山明の創作作品はドクタースランプから始まって、ドラゴンボールの宇宙に拡がり、COWA!のオバケ岬に帰ってくるーー私は、そのように捉えている。


 ***


ーードラゴンボールは文字通りのモンスターコンテンツで、30年間 人気が衰えず、
最近では、鳥山明以外の人間が作者となり、ドラゴンボールスーパーの漫画・アニメを連載し続けている。

スターウォーズの新作シリーズが公開され、ジョージルーカスからディズニーへ、作品が他人の手に渡ったことを知った。
ドラゴンボールも、鳥山先生が死んだ後も何らかの形で他人に引継がれ、20年後50年後も新作が描かれ続けているのかもしれない。

しかし、マンガの作家性を求める自分としては、鳥山明のマンガ作品は、(当たり前だが)当人が考え描いたものでなければ意味が無く、
鳥山先生の創作世界は、大きくは、ドラゴンボール完結、COWA!とサンドランドを描いた辺りで老境に到り、その後 大きな新作・新展開が産み出されることはないだろうと思う。

ドラゴンボールは、アニメ・ゲームで新展開が続いているが、
20年後50年後まで続けていくつもりであれば、孫悟空に替わるあらたな主人公を産み出す必要があるだろう。
悟空が主人公の物語としては、マジュニアが魔族の敵ではなくライバルとなった天下一武道会、ブウをウーブ(初心)として弟子に迎えたラストで展開が極まっているからである。

ドラゴンボールスーパー アニメ版は、作画の出来が悪いということで(?)鳥山先生にも不評をかこっているが、
第6宇宙との争いに入ってからの展開はけっこう楽しみで、アニメの新編スタートを楽しみに待っている。
ストーリーの最後は、展開的にもテーマ的にも、悟空がウーブと旅立つ、冒険の初心への回帰が約束されているのだろう。

かつて、1980年代に発売されたドラゴンボールのムック本などで、
鳥山先生は「亀仙人のような、トボけた爺さんになりたい」「100歳まで生きるぞ!」とつぶやいていた。

ドラゴンクエストドラゴンボールの新作デザインはそこそこにして、鳥山先生には余生を充分に楽しんでいただきたい。
サンドランド ラオの坦懐を抱えつつ、亀仙人のように闊達自在な、楽しい人生を送ってほしいものだと思う。
鳥山先生には、今までたくさんのマンガを読ませていただきありがとうございました、と伝えたい。

ジョジョリオン 50話までの、ストーリーのアウトラインと、今後 気になる3つの「謎」

ゲームや映画の話題を離れて、ひさしぶりに、ジョジョリオンのことを書きます。

ウルトラジャンプ 最新号が発売され、吉良とジョセフミが過去に出会ったときの話を読んだ。
公園のベンチでジョセフミと吉良が語り合うシーンは印象深く、久しぶりに「カッコいい男の横顔」を拝んだ感じがした。

ジョジョの連載で、1話まるごとが過去の回想にあてられたことは珍しく、
他にはたしか、6部 ウェザーとプッチの過去を振り返る話くらいしか無かったかと思う。
過去のエピソードは(物語の展開上)すでに過ぎ去った出来事であり、簡潔な説明で、要点だけテンポよく抜き出していく描写が良い。

幼児だったジョセフミは母の愛に恵まれず、命を助けられたホリーさんを慕うようになり、
ホリーさんの命の危機に、(スタンド仲間として仲良くなった?)吉良と共に立ち向かう。
ジョセフミのセリフと言動、シャボン球スタンドを使って木の枝を接合するシーンに、
ジョセフ・ジョルノを思い起こさせる聡明さがあり、今後を期待させて盛り上がる感じになっている。


ジョジョリオンは連載50話達成、(ウルトラジャンプ掲載の最新話で)コミックス12巻までページ数が進んでいる。
物語が佳境に入りつつあり、クライマックスに向けて伏線を畳みはじめている。

ここで、これまでのストーリーのアウトラインを振り返り、描かれた「謎」(伏線、エピソードの積み重ね)を整理してみたいと思う。
手元にコミックスは置かず、うろ覚えの箇条書きで振り返っていきます。


ジョジョリオン 50話までの、ストーリーのアウトライン

・主人公、壁の目で康穂に発見される

・主人公は、吉良吉彰と関わりがあったらしいことが分かる。4玉は、二人の融合を示す

・主人公が、東方家に居候をはじめる

・ホリーさんは病気をしている。吉良の一族と東方家に、何か関わりがあったらしいことが分かる

・ジョニィと東方家の物語を知る。壁の目は、聖なる遺体のパワーが関わっているらしいことが暗示される

・東方家の嫡子たちが、石化病に襲われ、苦しんできたことが分かる

・岩人間 夜露が現れ、主人公・東方家と敵対していたことが明かされる

・東方憲助は家を守るため働いており、主人公の味方らしいことが示される

・ロカカカの実が登場し、東方常敏が岩人間と関わっているらしいことが示される

・ロカカカの実を巡って、主人公、東方家、岩人間の争いが始まる

・カレラが現れ、主人公の過去(吉良とジョセフミ、カレラの関わり)が明らかになり始める

・吉良とジョセフミ 主人公が壁の目に埋まり、記憶喪失となるまでの過去が明らかになり始める


ーーストーリーのアウトラインは、大体こんなところだったと思う。


ジョジョリオンで今後 気になる物語上の「謎」は、下記の3点です。

・主人公は何者なのか?
 吉良とジョセフミの過去と、2人が一つになったことの意味。

・東方家は石化病を克服できるのか?
 ロカカカの実と代々続く呪いの病は一体何なのか。

杜王町は震災から復興できるのか?
 壁の目が隆起した謎が明かされ、町の住民たちは平和で安心な暮らしを手に入れられるのか。


反対に、小ネタというか、これまでのエピソードごとにちりばめられてきた伏線で回収されないだろうもの、
謎が謎のままで残されるだろうもの、辻褄が合わないまま置いておかれるっぽいものを挙げていくと…

・桜次郎との戦いの最中、主人公の脳裏に蘇った「謎の男」

・吉良の住んでいたマンションで、桜次郎が女の子にSMプレーを仕込んでいたことの意図

・謎のマーク(出版社のマーク)が、吉良の死体や東方家に刻まれていたこと。誰が仕掛けたのか?

・虹村さんは、何を狙って東方家に潜入していたのか。ホリーさんと東方家にどんなトラブルがあったのか?

・康穂が新聞記事で読んだ、宝石を持ったまま海岸に流れ着いた幼児の謎

・東方家の地下室で、ジョセフミは過去に軟禁されていたのか?つるぎちゃんと面識はあったのか

・夜露が死の間際「定助は東方家に裏切られて死ぬ」と吐き捨てたが、夜露は何を知っていたのか


ーー書き出しながら振り返っていくと、
つるぎちゃんが登場し、夜露が現れたあたりがストーリーの組換えポイントで、
1エピソードごと・連載1話ごとに、話のつながりがおかしく、前後が繋がらないところがあった。

地下室の扉から、つるぎの母らしい人が覗き込んでいる / 夜露の目からサランラップ / 康穂はどのように夜露に監禁され、1~2日 どのように過ごしていたのか など。

ジョジョの過去のエピソードでいうと、
SBR 2ndレースに突入してスタンド使いが現れ始めたあたり、ポルポが自分の指を食っていたあたり、レッドホットチリペッパーを倒した後の空虚感など、
ストーリーの流れがまだ出来上がっていなくて、キャラクターがどこに行くのか 読んでいて掴めず、エピソードがバラバラに散らかっている感じがしたものだった。

SBRなどは、少年ジャンプでの連載(4巻 オコエモバとの戦いまで)が終わって、ウルトラジャンプに移籍するにあたり、
明らかにストーリーを組み換えて(聖なる遺体と大統領の設定を追加し)、グッと面白くなって続きが再スタートした。


荒木先生は、連載漫画はときに間違えるのも味のうちとして、
ミュージシャンのライブ演奏や日記執筆と同じように、月々の漫画連載を描きつづけているとのことで、
物語の完結後 結果的に、回収されない伏線があったり、エピソードの辻褄が微妙に繋がらなかったり、放置された箇所が出てきてしまうのは、これはしょうがないことだろうとも思う。

マンガの創作に限らず、日々の生活や仕事に敷衍して考えても、
ある日 思いついた着想や考え、ある日に発言し実行した仕事が、未来永劫 追加・訂正を加えず正しいままであり続けるということは無い訳で、
人間の仕事は、どんなものでもトライアンドエラーの連続であるだろうとは思う。

ジョジョリオンは、2時間映画でいうと、1時間10分くらいを過ぎて、
物語の設定が出そろい、キャラクターの考え方も理解できて、主人公たちの行く末に興味・愛着がだんだん湧いてきたくらいの時点だと思う。
ストーリーの幹がグググッと盛り上がって、枝葉末節を精緻に作り込みながら、クライマックスに導いていってくれることを期待したい。

ウルトラジャンプを毎月買うかは分からないけど、コミックスはだいたい発売時に買って読んでいきたいと思っています。

ゲームプレイの略歴と、ノスタルジーの検証

自分自身の好み・体験を振り返ろうということで、
私自身が遊んできたゲームの略歴を、まとめてみました。

年代順に、自分で買って遊んだソフトを箇条書きで並べています。
カッコ綴じになっているのは、友達から借りて遊んで、印象に残っているソフトです。

自分の遊んできたゲームを振り返る中で、懐かしい気持ちが湧きますが、
ジョジョを含めて「思い出のマンガ/ゲームは、ノスタルジーがあるから魅力的に思うのか?」と考えました。
年代一覧の後に、自分の連想を記しています。


 ***


任天堂との出会い ~1985年以前

ゲーム&ウォッチファミコンドンキーコングが近所で流行していたが、
液晶の小さな画面、黒っぽいモニタになじまず、自分ではやらなかった。

横井軍平氏のパズル「テンビリオン」が祖父の家にあり、時々いじって遊んでいた。


●1985年

クリスマス前後 親に、ファミコン本体と、キン肉マン・マッスルタッグマッチを買ってもらう。
父親の趣味で、同時にエキサイトバイクを入手した。

キン肉マンをはじめて起動したとき、緊張し、神聖な感じがしたが、
2016年の今も、あたらしくゲームを始めるときのワクワクした感じ、神聖な感じは変わっていない。


キン肉マン・マッスルタッグマッチ

エキサイトバイク

スーパーマリオブラザーズ

オバケのQ太郎・ワンワンパニック

忍者じゃじゃ丸くん

ハイパースポーツ

ジッピ―レース


●1986年

グーニーズ

忍者ハットリくん

アトランチスの謎影の伝説マイティボンジャック

ドラゴンクエスト

魔界村悪魔城ドラキュラ、1942)

スーパーチャイニーズ

じゃじゃ丸の大冒険

がんばれゴエモン高橋名人の冒険島迷宮組曲

プロ野球ファミリースタジアム

水晶の龍


●1987年

ドラゴンクエスト

エスパードリーム

もえろツインビー

ウルトラマン・怪獣帝国の逆襲

ドラえもんキングコング2、アルゴスの戦士

夢工場ドキドキパニック

ファンタジーゾーン、アルマナの奇跡、聖闘士聖矢、女神転生

SDガンダムスクランブルウォーズ

マイクタイソン・パンチアウト

(上海、ブロックくずし)

ファミスタ'87

1987年頃のクリスマスに、「おえかき せんせい」の最新版を買ってもらった。
タッチペンで描いた絵をテレビに映し出すことができ、データ保存はできなかったが、繰り返しモニターに絵を描いた。


●1988年

ドラゴンクエスト

ナゾラーランド第3号

バイオミラクル・ぼくってウパ

妖怪道中記ドラゴンボール・大魔王復活)

ファイナルラップ

スーパーマリオブラザーズ

桃太郎電鉄忍者龍剣伝テトリス

ロックマン


●1989年

ワギャンランド

MOTHER

スプラッターハウス

ふぁみこんむかし話遊遊記


●1990年

ドラゴンクエスト

ドクターマリオ

ロックマン

F-ZERO


●1991年

いただきストリート

ウルトラマン SFC版)

シムシティ

ファイナルファンタジー4)

ゼルダの伝説 神々のトライフォース

ファミコンジャンプ


●1992年

(ストリートファイタ-2)

スーパーマリオカート

ドラゴンクエスト

ファイナルファンタジー


●1993年

ジョジョの奇妙な冒険 SFC版

スーパーファミスタ


●1994年

スーパーファミスタ

MOTHER2


●1995年

実況パワフルプロ野球

クロノ・トリガー


●1996年

実況パワフルプロ野球

1996年 スーパーマリオ64、アークザラッド2が発売された辺りでゲームから離れる。
家族が上記タイトルをプレイしていたが、自分もやってみようとは思わなかった。


●1999年

ジョジョの奇妙な冒険 プレイステーション




●2013年

子供が6歳になった年、ニンテンドー3DSを買い与える。

ルイージマンション


●2014年

ポケットモンスターY、妖怪ウォッチ1・2、ソニックロストワールド 子供のヘルプに入る)


●2015年

子供がWiiUを入手。ヴァーチャルコンソールで、レトロゲームを再プレイし始める。

MOTHER1・2(再プレイ)

リンクの冒険

スーパーマリオメーカー

ロックマン2(再プレイ)

MOTHER3


●2016年 1月まで

ドンキーコング

ゼルダの伝説

ゼルダの伝説 神々のトライフォース(再プレイ)

エスパードリーム(再プレイ)

 
スーパーマリオUSA(ドキドキパニックの再プレイ)


 パルテナの鏡


悪魔城ドラキュラ


 ***


ーー以上です。

振り返って見ると、自分の好みはいたって普通で、
「マリオ」と「ドラクエ」、レースゲーム、野球ゲーム、ジョジョなどのキャラクターゲームである。

キン肉マンを楽しみ、オバQに引っかかったことで、以降 クソゲーには注意し、
ファミコン通信の情報を頼るなどして、慎重にゲームを選ぶようになった。

1985~1995年に、40本くらいのソフトを買っているが、
(小遣いを含めて)親のお金で買ってもらっており、両親にはあらためて感謝しなければならない。

「マリオ」と「ドラクエ」、両者の含む内容を解きほぐすと、
横井軍平宮本茂に引継がれる、アクションの操作性とパズル的な謎解き、対人対戦を楽しむアクションゲーム。
堀井雄二鳥山明のつくりだした、物語に入り込んで体験するRPGということになるのだろう。



ゲーム略歴を書き起こして気づいたのだが、自分の「ゲーム選択の基準」には2つあり、
ドクタースランプ/ドラゴンボールに連なる「かわいいキャラクター・世界観のもの」、
ジョジョ系譜にある「ホラー、オカルト、ロックのテイストが入ったカッコいい、恐ろしい感じのもの」。

自分のマンガ読書歴はドクタースランプ/ドラゴンボールジョジョと続いていったので、
マンガの好みとゲームの好みが、およそピッタリ一致しているのが面白かった。
人間の人格・精神性は幼少期に養われて、根本の人格はよくも悪くもずっと変わっていないのかもしれない。



私自身は1976年生まれで、1980年代 小学生の時が、もっともゲームに熱中していた。
中学→高校に進学し、1996年に成人するときまでに、段階的にゲームから離れていったように思う。

ゲーム略歴を見ると、平成以降 ゲームのプレイ本数が減り、遊んだのはシリーズものばかりになる。
表を見ていると、テレビゲームのシリーズ化・マンネリ化に飽きていった記憶が蘇る。


ーージョジョを含めて「思い出のマンガ/ゲームは、ノスタルジーがあるから魅力的に思うのか?」、
いわゆる思い出補正はどのくらい強いものなのか、という問いであるが、
私自身は、思い出補正=ノスタルジーの有無と、作品の面白さは全くの別物だと思う。

レトロゲームーードンキーコングスーパーマリオブラザーズゼルダの伝説ロックマン2etcーーを遊んでみて、
2016年の今 はじめてプレイしたものも、20数年ぶりにプレイしたものもあるが、
それぞれのゲームの面白さは、「今、プレイしている瞬間」に感じるもので、ゲームプレイの瞬間瞬間にしかゲームの面白さは生じ得ない。

ファミコン時代の「名作」ゲームは、グラフィックやSEが素朴、ボリュームが少ないなどの難点はあるが、
そんな難点をいつのまにか忘れて、ゲームの世界にプレイヤーを引きずりこむ術に長けている。

横井氏がアイデアマン、オモチャづくりの稀代の名人であり、
宮本氏が工業デザイナーのセンスと知識をもって、ゲームシステム・ゲームデザインをしっかり作り込み、
「ストーリーでは無く、ゲームで勝負する」「資金量ではなく、アイデアで勝負する」ところにファミコン時代の任天堂の強みがあった。


ゲームでもマンガでも、あるいは小説や映画、スポーツやレクリエーションでも同じだと思うが、
人間の行為は、今 その瞬間にそれを行い、それを楽しむものである。

今 なにかをしている瞬間に、過去や未来のことをあれこれ考える余裕は無く、
目の前にある対象に取り組む、頭の中に今あるものを外に描き出す、その連続こそが人生なのだろうと思う。

ジョジョゼルダドラクエ マンガ・ゲームの傑作は、いつ読んでも(プレイしても)面白い。
昔読んで面白くなかったものが、今読んで感想が変わることはあまり無い。

自分の子供を見ていても、子供の直観は鋭く、だいたいの場合は正しい。
宮本茂氏は、かつて松本人志との対談で、
「子供はバカじゃない。知識の量が足りないだけで、彼らにはちゃんと知性がある」と語り、
(「ゲームは女子供を適当にだまして売りつけるようなものだろ?」という)社会の無理解に憤っていた。

宮本茂は、本気で子供のためにゲームを作っている、この人たちの作るゲームはやはり信頼できる、と思った瞬間でした。


ゲーム・マンガは、基本的に子供のためのもの、あるいは子供の心を持った大人に向けた娯楽・文化なのだろうと思います。

40近い中年の自分が、マンガやゲームの感想を大っぴらに語るのは、少し気恥ずかしい思いもあるのですが、
昔を懐かしみながら、また未来への憧れを常に抱きながら、ゲームやマンガにこれからも触れ合っていきたいと思っています。

 

 

追伸:

今更ですが、任天堂の開発史についてご存じない方もあるかと思います。

任天堂の元社長 山内 溥氏の語録(http://crossing.blog.eonet.jp/blog/yamauchi.html

)、

横井軍平 - Wikipedia牧野武文氏による一連の著作がおススメです)、

宮本茂松本人志のインタビュー 書き起こし(http://blog.livedoor.jp/zot3six/archives/6324546.html)です。

各リンクをご参照いただけましたら幸いです。

 

MOTHER3 「END?」でそのまま終わってほしかったクソゲー

(本記事は、ジョジョとほぼ全く関係ない内容になっており、すみません。
否定的な感想を含むので、糸井重里氏とMOTHERシリーズの熱心なファンの方にもあまりお薦めではありません)


***


WiiUのヴァーチャルコンソールでMOTHER3をプレイし、クリアまで遊んだが面白くなかった。

ラスト 物語が終わったところで「END?」の文字が出て、画面が進まなくなる。
十字キーを操作すれば先に進むようになっているのだが、ゲームボーイアドバンスと違って、あいにくwiiUには、2つの方向キーがある。
円盤型の方向キーをふだん使って、(旧来の)十字キーを使うことが無かったので、意識に無く、全くここから進めなくなった。

ーー後にインターネットで攻略情報を検索して、エンディングクレジットを観るにいたったのだが、
「END?」マークでゲームが突然終わったほうが、いっそスッキリしてクソゲーの〆にふさわしかったかも、と今になっては思う。


「終わりよければすべて良し」が物語の基本だと思うが、MOTHER3はその逆を行き、終盤のやっつけ具合がひどかった。
ラストバトルの窮地に、それまで姿を見せなかった父親がいきなり飛び込んできたり、挙句の果てにはアンドーナツ博士まで飛び込んできて、ストーリーを真面目に考えているようにはとても思えなかった。
ゲーム全体で見ても、1~3章がとにかく退屈でプレイするのが辛く、4章から面白くなり始めるが、ドラクエ風の普通のRPGになってしまっている。

MOTHER1は、現代もののRPGをつくったところが革新的で、面白かった。
MOTHER3は、1の持っていた自らの強み・よさを、自らで打ち消したようにしか見えない。

MOTHER3のラスト 2からの繋がりが示され、1・2を匂わす演出がある。
しかし、3の物語と有機的につながっているとはいいがたく、感情移入がしづらい。
MOTHER1・2が懐かしければ、そっちのゲームを再プレイすればいいよ、と思う)

のっぽの男が世界の真相を語りだす場面で、エリックサティの曲をそのまんま使う陳腐な演出にもガッカリした
音楽・SEへのこだわりが、MOTHERリーズの独自性・魅力のキモだったはずなのに…。


皮肉ではなく、MOTHERの成功は、糸井氏のコピーライターとしての才能ゆえで、
MOTHER1は現実のアメリカをベースにした身近な物語だからこそ、現実世界の商品に軽妙なコピーをくっつける、氏のくすぐりのセンスが生きたのだと思う。
MOTHER3は、それまでと違ったものを作ろうとして、すべてが裏目に出てしまったと感じる。

MOTHER3が開発中止になったときの、宮本・岩田・糸井 三氏の対談が、糸井氏のサイトに残されている。(https://www.1101.com/nintendo/nin13/nin13_2.htm
「失敗を振り返り、分析する」同対談が、後に出来上がったゲーム本編よりも遥かに面白く、多くの示唆に富んでいたのは皮肉だし、残念だった。

糸井氏の発言・仕事にはアマチュアリズムへの賛美、自由な立場で物事を発想することの楽しさが現れている。
それはそれでいいのだが、宮本・岩田 両氏のゲーム製作への姿勢とは異なっているし、
同じお金を支払って遊ぶ身からすれば、素人の余興ではなく、プロの職人が作りこんだゲームで楽しく遊びたい。
MOTHER3は僅か500円のキャンペーン価格で遊べたので、値段分は楽しめたし、あまり文句ばかりを言う筋合いでもないけど……いろいろな意味で、残念なゲームだった。


商売の訓話で、「三代続けば末代続く」「三代続けば、家が潰れる」という。
事業経営・相続の難しさ、相続税への嘆き節でもある。

MOTHERは、三代続くことができなかった。
ドラクエは1,2,3でステップアップし不朽の名作となった。
ジョジョも、1,2,3で三部作のサーガを完結させ、30年近く一定以上の面白さをキープし続けている。

マンネリに見えて、一定のクオリティを維持し、長く続けることは難しい。
鈴木慶一氏が、最近のインタビュー(http://www.cinra.net/interview/201409-adanza)で、
「マンネリになるのは、新しいものを入れてないから。勉強し続けていれば、いくつになっても曲は書ける」と話していた。
日々生まれ変わっているその若さ、職人の探究心を見習いたいものだと思う。

 

ーーしかしながら、MOTHER3は20数年ぶりに掴まされた、久しぶりのクソゲー体験だった。小学生のとき バンダイに「オバケのQ太郎 ワンワンパニック」を掴まされたのと同様の悲しみと怒りが、胸の中に湧き上がってくる。

この心の傷は、「ゼルダの伝説 神々のトライフォース」を再プレイしてやり込むしかない。いやな記憶を上書きするしかない……と考えている、正月休みである。

「リンクの冒険」と「スーパーマリオメーカー」 / ジョジョのメディアミックスを概観する

引き続きヴァーチャルコンソールでレトロゲームをやり込んでいて、
最近は「リンクの冒険」と「ロックマン2」をプレイしていた。

リンクの冒険は、小学生当時 ビックリマンワールドと並ぶくらいの「やってみたかったが、結局買わないで素通りしたソフト」で、
今回 はじめてプレイしてみると、難しく、しかし下突きを覚えたくらいから異様に面白く、大神殿までクリアした。

WiiUヴァーチャルコンソールには、「どこでも保存/復元」というマルチセーブ機能が付いているので、
こまめに保存することで、ゲームの難所のみを繰り返しプレイし、突破口を見出すことができる。

アクションゲームの場合、ゲームオーバーになるたびにスタートからやり直すのは(時間・労力・眼精疲労に)つらいので、
マルチセーブをこまめに行いながら、アクション上の難所をクリアしていった。

大神殿のボルバが一番の難敵で、シューティング系のゲームは苦手なので苦労した。
ズルいとは思うが、ナイスプレイ(=ノーミスで、相手に1ダメージを与える)のたびに小まめにセーブして、
相手の体力が半分くらいになったところで、あとは普通に戦って倒すことができた。
影リンクは、攻略サイトの情報を見ていたこともあったが、
画面の左端に影リンクが飛び込んたところを、下突きすることでハメ込んだ状態になり、初対戦で倒すことができた。
(後日 影リンクともう一度戦ってみたが、4回めくらいの対戦で、二度目の勝利を収めることができた)


……小学生なみのゲームの感想文を書いているが、リンクの冒険は、それくらい、頭が真っ白になるような面白さがあった。
リンクの剣と盾を使ったアクションがカッコ良く、敵との戦い(アクション操作)がとにかく面白い。

ディスクシステムのゲームなので、テキストがカタカナ表示だったり、容量が少ないゆえの粗はあるものの、
マリオとリンク、2つのキャラクター・システムが重ならないように、それぞれ絶品のアクションゲームを仕立てあげていった、
宮本茂任天堂開発チームは、ゲーム界における「神の仕事」を行ったと、いくら褒めても褒め足りないくらいにスゴイと思う。

(ヴァーチャルコンソールで、あとは本当は「夢工場ドキドキパニック」があればプレイしたかったのだが、
キャラクタと音楽を一部差し替えの「スーパーマリオUSA」しか配信されていないのが残念)


最近は、子供とWiiUを奪い合って遊ぶ休日なのであるが、
子供は「スーパーマリオメーカー」を入手し、ゲームコースを作ることに熱中している。

スーパーマリオメーカーでは、4つの2Dマリオゲーム(スーパーマリオ、マリオ3、スーパーマリオワールド、newスーパーマリオ Wii)をベースに、ゲームコースを設計・遊ぶことができる。
4つのマリオで、ゲームのグラフィック・SEは大幅に向上しているが、ゲームシステムやアクションの面白さは、初代から一貫して変わっていない。
1985年 黄色いパッケージのスーパーマリオブラザーズが、いかに完成度の高いゲームソフトだったかを思い知らされる。
小学生当時 「キンタマリオ」のギャグ、「1-1で秘密の土管をくぐると、ワールド9に行けるらしい」という噂に熱中した身にとっては、
30年後 マリオが現役の人気ゲームで、子供がゲームコースをデザインしてインターネットに公開して遊べるようになるとは思ってもいなかった。

 

コースデザインは、(プレイヤーを取り囲む)時間や空間を操作し設計する作業ともいえ、

DIOやプッチ神父、大統領らの悪役が夢見た「神の視点」は、ゲームマスターの箱庭づくりの中に、部分的に実現されているのかもしれないと思う。

 

テレビゲームやパソコンの進化発展を見ると、
人類の未来は発展途上で、まだまだ明るい未来があるのだなという気がしてくる。

 

 

 ***

 


ーージョジョとほぼ全く関係のない記事を書いてきてしまい、すみません。

以下、ジョジョのメディアミックスについて、ゲームを中心に連想することろを記していきます。


最新作 アイズオブヘブンは、あまり面白そうなゲームではないが、
グラフィックだけ凝っていて、ゲーム(アクションの操作性)そのものが、もっさりして面白くなさそうなのがダメなんだと思う。

承太郎やDIOが、原作の画風を残しつつ3Dキャラになっているのは良く出来ていると思うが、
ゲームの面白さは、美麗なグラフィックや声優の演技、しょうもない(と言っては失礼か?)原作再現風のギミックとは別のところにあるわけで、
松山洋は、かつてジョジョのRPGをクソゲーと嘆いていたが、「岸部露伴のコスプレをしたアンタに言われたくないよ」と私は思う。

スーパーファミコンで発売されたジョジョのRPGは、あまりゲームそのものの出来は良くなかったが、
当時少なかったジョジョのメディアミックス製品で、3部の旅を追体験するものとして、けっこう楽しめたものだった。
ジョジョのはじめての単独ゲーム化だったので、思い入れをもって遊んだものだった。

ジョジョのメディアミックスで、2010年以降に出たアニメやゲームは、正直なところ、私自身の好みではなく、ひとつも買っていない。
ルーブル美術館とコラボしたくらいから、集英社ジョジョを随分持ち上げているな、ジャンプ系メディアミックスの種が尽きたので持ち上げてるのかなと思うのだけど、
最近につくられたゲームやアニメは、雰囲気がどうにも軽いというか、ホラー映画・オカルト・ロックミュージックのテイストが無くなってるので興味をそそられない。

最近に出たジョジョ商品(?)だと、やはり、荒木飛呂彦が描いたジョジョリオン11巻が、432円で新作を読めていちばん面白かった。
アイズオブヘブンを数千円出して買うくらいなら、ジョジョリオンを1~11巻まで買って読んだほうがよっぽど楽しめる。
8巻 岩人間との初戦くらいまでがかなりダルイのだけど、あらき100%さんの展開予想をヨコに置きながら、あれこれ展開予想を考えつつ読んでいくと、もっと楽しめるかもしれない。


ジョジョのメディアミックス、
2015年12月の現時点で、個人的ベストスリーは以下の通り。

1位 エジプト編のOVA
絵柄は原作と異なっているが、アニメーションの演出がカッコいい。
ンドゥール・ダービー・DIOの全6巻で、3巻・5巻がとくにお気に入り。5巻のDIOの、夜間飛行の浮遊感がとても良い。
自分に100億円(?)の資産があれば、当OVA並みのクオリティで、ジョジョ 1~3部までのアニメ化・映像化を製作させるのに……と妄想してしまう。

2位 カプコン格闘ゲーム
キャラクターのアクションがカッコいい。
3部のストーリーを、敵を漏らさず、追体験できる丁寧な作り込みも良い。

3位 SFCのRPG
このゲームが発売された当時、周りに友達が少なかったので、家でゲームをよくやっていた。
ジョジョ 3部の連載が終わった後に発売されたゲームで、3部のキャラクター(=仮想の友達?)と再び巡り合えたような感覚で、嬉しく遊んでいた。
キャラクターのバストアップしか映らないのが息苦しかったが、原作の旅を再体験できるだけで当時は面白かった。

次点 ファミコンジャンプ
最強の7人というサブタイトルで、7人の主人公の一人が承太郎だった。
ファミコンジャンプ1は、自分はプレイしていないので)はじめてゲームになったジョジョが、このゲームだった。
ストーリーは忘れてしまったが、7人のジャンプキャラ それぞれに見せ場があって、けっこう面白かった記憶がある。
荒木先生がデザインした「サボテンの敵キャラ」がヘンテコな出来で、鳥山明ドラクエはすごい才能なのだ、と妙に納得した記憶がある。


ジョジョ3部の連載当時を思い返すと、2015年の今 ジョジョがまだ連載が続いていて、多方面から高い評価を受ける作品になっているとは思いもしなかった。
荒木先生の努力・筆力の賜物だと思うけれども、25年~30年、ひとつの仕事を続けることの大切さ・偉大さを痛感する。

ゆでたまごも、キン肉マンの新作を描き続けていて、けっこう面白い。
ゆでたまごキン肉マン荒木飛呂彦ジョジョ、水島真司はドカベン
ペンが走る限り、一世一代の傑作を描きつづけてほしいと、エールを送りたくなる。

宮本茂も、マリオとゼルダ任天堂ブランドのゲームを心行くまで、好きなものを作り続けてほしものだと思う。

なぜ、ゲームは面白いのか? 「MOTHER2」への、微妙な感想

今 このブログを更新するのであれば、2015年12月17日発売「ジョジョの奇妙な冒険 アイズオブヘブン」を語るのが本来のはずである。

しかし、私はプレイステーション4を持っていないし、そもそもこのゲームを買うつもりが無い。
新品で買えば7500円、プレステ本体を一緒に買えば45000円近い買い物になってしまうが、
このゲームのために、それだけのお金を払う見返りがあるとはとても思えない。

……というわけで、WiiUのヴァーチャルコンソールで、MOTHER2が926円で配信されており、
価格の安さに釣られて、またMOTHER1の余韻を味わいたい思いから、これを購入し、プレイした。

以下、MOTHER2 1994年以来の再プレイの感想と、あれこれの連想を記していきます。


 ***


ヴァーチャルコンソールで、かつてやり込んだゲームを再プレイしていて思うのが、
「ゲームはなぜ面白いのか?」ということだ。

なぜ、ゲームは面白いのか?
どこが、どのように面白いのか。
どこがどうなるとクソゲーになるのか。

アクションゲーム、シューティングゲームパズルゲーム、RPGと、ジャンルによって楽しみの質は違う。
共通して言えることは、テレビゲームは、現実世界の遊びをコンピュータに落とし込んだもので、
リアルとファンタジーを行き来する隙間に、ゲームならではの「体験する楽しみ」が体感・表現できるところだと思う。

最近の遊園地で、妖怪ウォッチやハリーポッターなど、作品世界に入り込んで体験できるアトラクションが人気を博している。
しかし、作品世界に入り込んで体験できる楽しみは、RPGをはじめとするテレビゲームのほうが遥かに洗練された手法で提供している。


ゲームの面白さの本質は、遊びの面白さであり、人間関係の面白さに繋がっている。
鬼ごっこやドッヂボールが面白いのと同様に、テレビゲームは面白い。

ことはゲームに限らないのだが、漫画やアニメ、ドラマを観ていて、
「作者の人生経験・哲学が陳腐だから、こんなモノを観ていてもしょうがない」と思うことがある。

面白いゲームを作るには、ゲームだけではなく、
様々なジャンルの娯楽・文化に触れたり、ゲーム以外の要素をゲームに落とし込むことが必要なのだろう。


***


MOTHER2をプレイした感想は、一言でいえば微妙だった。
MOTHER1が面白かったので、その余韻を味わいたくて最後までプレイしたというのが本当のところだった。

(糸井氏によれば、MOTHER1・2のモチーフは、スティーブン・キングの「スタンドバイミー」「タリスマン」、スピルバーグをはじめとするアメリカ映画のエッセンスを詰め込んだというから、
ジョジョの冒険物語が好きな人には、MOTHERシリーズは相性が良いかもしれません。)


2は、1と較べて明るく派手、けばけばしい作品世界になっていて、
サイケデリックなデコレーションとハリウッド映画的演出が、やや鼻につく時がある。

糸井氏のテキスト・くすぐりが上滑りを起こしている場面も多く、
「寄り道の遊びに力を入れる前に、もっとゲームシステムを練り込んでくれよ」と言いたくなる場面も少なくない。


MOTHER2は、MOTHER1とストーリー的には繋がっておらず、
スーパーファミコンでリメイクされた「1」の改訂版、あるいは補完を施した完全版のような趣がある。

MOTHER1は1980年代のアメリカを舞台にした物語で、2はイーグルランドという(アメリカっぽい)架空の国を舞台にした物語である。
個人的には、1のほうが好みで、リアリティに寄ったファンタジーの中で、主人公がリアルに成長し、他人と触れ合っていく様子を体感できた。


MOTHER2で良いシーンだと思ったのは、
メガネの男の子が、首長竜の背中に乗って旅だっていくシーン(ウィンターズの音楽がとても良い)。
ランマの王子が、「無」を体得するための修行を行うシーンも印象深く、面白かった。

マジカントに着くまでの展開がどうにも単調・冗長だったのだが、
主人公が自らの心を見つめ直す、その場所がマジカントというあたりから盛り上がってきた。
2のテーマ曲が流れる中で、パパとママが主人公の出生を祝福するシーンは、明らかに泣かせにかかっているが、それでもとても良いシーンだった。


ゲームのエンディングで、
主人公たちの幸せな家族ーーパパやママが子供を待っている。子供を中心に、人間たちの繋がりが有るーーと、
ポーキー一家、ギーグとの対照が描かれる。

ポーキー・ピッキーの行く末は、捉えようによっては悲惨だが、
人間世界(大人たちのつくる社会)のありようをとらえた、糸井氏なりのリアリズムなのだろう。
自分自身も、糸井氏の娘さんと同じく(?)、親が離婚し、父親に会わない環境で育った人間なので、
MOTHER1・2の家族のありようには唸らされるものがあった。

MOTHER2はエンディングにたどり着くまでの過程が一本道で、あまり面白くないのだが、
ハリウッド映画のラスト20分のような、一気呵成の盛り上がりを見せてくれるので、
やっぱりゲームは、最後までがんばって遊ぶものだと思う。

ギーグとのラストバトルでは、子供が側にて、テレビ画面に「いのり」、一緒に盛り上がる感じが面白かった。
母からの手紙で、「グーギ」と呼び間違える適当な感じにウケて二人で笑っていた。


ーーちかぢかにヴァーチャルコンソールで、MOTHER3が配信開始されるそうである。
702円で購入できるとあって、クソゲーっぽい匂いを感じながらも購入して、クリアするまで遊んでしまうのだろう。

(この記事では否定的な物言いが多かったのですが)
コピーライターとして、糸井重里のテキストには魅力があり、ゲーム中 たびたびニヤッと笑ったり、ハッと気づかされたりした。

1994年にMOTHER2を初めてプレイした時以来、
(ゲームの出典は忘れてしまったのに)頭の片隅に残っていたセリフを、最後にご紹介させて頂きます。


「おれは敵じゃない。ただのもぐらさ。敵の見分け方を教えてあげよう。
 いかにも敵らしいやつは見ればわかる。

 人間の姿の敵は、えらく顔色が悪いからそれを注意すればいい。
 …でも、逃げてばっかりいたんじゃ、強くはなれないよ」

 せつめいモグラ

27年ぶりにプレイした、「MOTHER」の思い出

極個人的に、私の中で、ジョジョと極めて近しい位置にあるゲームということで、MOTHERのことを書きます。
(この記事で触れるのはMOHTER1、ファミコンで発売されたシリーズ初代作についてです)


MOTHERは平成元年の夏休みに発売されたゲームで、
究極ハリキリスタジアム平成元年版の広告と共に、ファミコン雑誌で紹介されていたのを覚えている。

ジョジョの第3部が始まったのが平成元年の春休みで、
MOTHERの主人公 4人を、じょうたろう、ジョナサン、ホリィ、ジョセフと名付けてプレイしたものだった。

夏休みにゲームに没頭している姿を見て、兄からは「オタク族の休日」などと揶揄されたのだが、
傍目には、TVモニターの前で茫然自失しているように見えるのも確かだが、
TVモニターの中の、作品世界の中に、ドップリと入り込んで、ゲームをプレイしていた。


MOTHERをクリアした前後に、関連グッズが発売され、
MOTHERのサウンドトラック(はじめて買ったCDだった)、MOTHER百科という単行本を買った。

それまで、ファミコン神拳ドラクエの攻略本などは買うことはあったが、
自分で選んで買った、初めての「大人っぽいアイテム」で、中学1年生なりの背伸びをした買い物だった。


大人になってからはゲームをやらなくなり、ファミコンは実家のどこかに眠ってしまって、
MOTHERのサウンドトラックのみを、ipodで時々聴く状態となっていた。

最近になって、子供のWiiU ヴァーチャルコンソールで、ファミコンの旧作が復刻していることを知り、
WiiUでMOTHERを600円で購入、27年ぶりにプレイしたのだが……これが面白かった。


平成元年 中学1年生でプレイしたときは、ストーリーの意図がよく分からず、
ラストの畳みかける展開に感動したものの、なぜギーグが歌でやられたのか、意味が分からないままだった。

大人になって、時間のある休日に、テキストをしっかり読みながらプレイしていくと、
MOTHERのゲーム画面に隠されたストーリー、テーマ、モチーフの造形が浮かび上がってくるようで、
とても大切に、昔読んだ絵本を読み直すようにして、じっくりプレイすることができた。

個人的に、ファミコンのシンプルな画面構成や電子音が好きで、
80年代後半~90年代前半くらいのファミコン/スーパーファミコンのグラフィック・音声は、心にグッとくるものがある。

自分がゲームを熱中して遊んだノスタルジーだけではなく、
テレビゲームがグググッと盛り上がっていった時代の高揚感と、クリエイティビティの高まりを、感じることができるからだろう。

27年ぶりにプレイして、最も感慨深かったのは、「主人公と女の子が告白するシーン」で、
中学生のときは、女の子の問いかけに適当に返事をしてしまって、そのままシーンが通り過ぎてしまい、後からやり直すのも大変でそのままだった。
ホーリーローリーマウンテンの山小屋のシーンであるが、今回はたまたま子供が横におり、
主人公と女の子がFallin' Loveに乗せて踊るシーンを観ながら、子供は「面白い」と呟いていた。

ちなみに、今回の主人公4人の名前は、とものり マリアンヌ メガネ ヤンキー である。


27年ぶりにプレイして、感慨深かったもう一つのことは、
MOTHER百科を読み返してみて、中学生当時は訳の分からなかったコラムやレビューの意味が、ほとんど手に取るように理解できたことだった。
初読当時 高橋源一郎糸井重里が何を言っているのか分からなかったが、今ではよく分かった。

MOTHER百科に、(ページ順で)最初にコメントを寄稿しているのが橋本治で、
初めて読んだとき、「不細工な顔の男が、訳の分からない、分かったような分からないことを言っている」と困惑した。
しかし、この本を読みとおした後、いちばん印象に残っていたのが橋本治でもあった。
後年 たまたま書店で購入した「蓮と刀」をきっかけに橋本治にハマっていったのだが、
MOTHER百科の時点で因果が芽生えていたような気がする。

MOTHERのシナリオ、テキストを書き、ゲームの全体像を企画したのは糸井重里だが、
橋本治糸井重里は仲が良かったらしく、MOTHERのセリフやくすぐりにも、橋本治っぽいユーモアを感じるところがある。

リメイク版のMOTHEにのみあるエンディングシーン、
女の子が主人公に「私たちのあいさつは「さよなら」じゃなく、「またね」だね!」とあいさつするのだが、
これは、橋本治桃尻娘からセリフを取っている。2人の友情の証と言えるだろう。


MOTHERは、ゲームシステムやゲームバランスなどを見ると、
粗があるというか、現代ゲームの親切設計・誰でもクリアできるユニバーサルデザインではない。

主人公がほどよく弱く、仲間たちはあまり役に立たず、
ヤンキーやロボットは異様に強いがリタイアしてしまうし、最後の宇宙生物たちはとてつもなく強い。

これは、「子供は弱い。世界は大きい」というようなテーマが裏にあると思われ、
一概にゲームバランスが悪いと責めるのは片手落ちだろう。

個人的には、MOTHERはフィールドがとても広く、リアルな拡がりを感じられたのがとても心地よかった。
初プレイ当時の前後 アメリカ大陸を旅行していたので、アメリカの風土の拡がりをリアルに感じられたこともあったのだろう。

レベル上げをやらないと展開が詰まってしまうのだが、
フィールドマップを歩くのが心地よく、音楽が軽快で美しいため、地道な作業を楽しんで行うことができた。
マザーズデイの北、いちばん北まで歩くと断崖があり、海が広がっているのだが、
(ゲーム上 何の意味もない)断崖と海の広がりに、無性に感動した。
ゲームの作品世界に浸っていたいという意味で、MOTHERはとても心地よい、いい雰囲気を作っていたと思う。


MOTHERの音楽を手掛けたのは、鈴木慶一田中宏和の二人で、
この二人の手がけたMOTHERの音楽・SEは、ゲーム史上ナンバー1と言ってよい輝きだと思う。

鈴木慶一はXTCの大ファンらしく、
やはり後年 ロクニシコージのマンガをきっかけにXTCにハマったのだが、今思えばMOTHER近辺から始まった縁でもある。

(ついでに、今思い返したのだが、ロアルドダールの「チョコレート工場の秘密」が、はじめてお気に入りとなった小説で、
ダヴィンチのインタビューで荒木先生が同書をお気に入りにあげていたり、
ティムバートンが同作を取り上げて、手の込んだ映画を作ってくれたのは、嬉しい気持ちがしたものだった)


ーー音楽の好みであったり、好きな物語の種類であったり、どういうメッセージを求めているかなど、
人間の人格は、(こと私自身においては)中学生の頃から、現在まで変わっていないのだと思わされた。

糸井重里のインタビューを読んでいると、
MOTHERでお父さんが家におらず、電話の向こうからだけ語り掛けてくるのは、
糸井氏自身が離婚をしており、離れて暮らす娘に向けたメッセージが、MOTHERというゲームであったかららしい。

MOTHERというゲームは「お母さんのようなゲーム」を目指して作られ、
母のような温もり、暖かさを表現すると共に、未来のゲームクリエイターが創作の原点(母胎)となるようなゲームを目指したのだという。

有名な話であるが、田尻智がMOTHERに感動し、ニンテンそっくりのサトシが活躍するゲームを作った。
自分の場合は、ゲームクリエイターの道には進まなかったのであるが、
今 こうして振り返ると、自分自身の人格形成にあたって、大きな影響、方向づけを与えられていたような気がする。

ジョジョもそうなのだが、自分の人生に影響を与えた座右の書はあって、
宗教的な信心ではなく、自分の心を見つめ直す鏡として、これらのマンガ・ゲームを、改めて側に置いておきたいものだと思う。


最後に、MOTHERというタイトルの由来について。
お母さんのようなゲーム、お母さんと暮らしてきた故郷、母なる星の地球、ギーグが乗ってきたマザーシップ。
このあたりの意味が混成されて、全体を象徴するものとして、MOTHERというネーミングが付けられたようである。

ファミコンの電源を入れると(バーチャルコンソールを起動させると)、
黒い画面にクレジットが入り、エイトメロディーズのイントロと共に、地球が回りだすタイトルロゴが現れる。
宇宙空間にMOTHERの地球が浮かんでいるようであり、
これは、かつてマリアが宇宙船から見た地球、プレイヤーが眺めるMOTHERの宇宙世界を表しているのだろう。


MOTHERは、1980年代のアメリカを舞台に、超能力をもった少年が友達をつくり、旅を行う物語である。
ジョジョの第3部も、現代(1980年代)を舞台に、超能力をもった主人公が仲間と共に旅をする話で、両者の物語はよく似ている。

インターネットのレビューなどを読んでいると、最近のマンガ読者・ゲーマーの方(10~20代の方)は、
1980年代前後の風俗・文化は知らず、古臭いチープなものとして敬遠される傾向があるとのこと。

自分が年を取ったのだなと思いますが、「自分が生まれた年代より以前の風俗・文化」、マンガやゲームにもよいものは沢山ありますので、
ジョジョは読んだけどMOTHERは知らない、という方は、何かの機会にプレイしてみることをお薦めいたします。
600~5000円くらいの、お金を払ったモトは取れると思います。