ジョジョ読者のブログ

ジョジョの奇妙な冒険の感想、批評、考察を書いています。

文学的に面白かったマンガ アシュラ、捨てがたき人々、罪と罰

むかしのジャンプマンガ、少年マンガを紹介するYouTubeがあって、ときどき観ている。
そこから興味を持って読んだマンガがいくつかあって、デビルマン魁!男塾、ルリドラゴン、そしてジョージ秋山の諸作品を最近に読んだ。

ジョージ秋山先生のマンガでいちばんさいしょに見たのは、海人ゴンズイ。異様な絵柄と、得体の知れない気持ち悪さがあって、印象に残っていた。
情報によると、アラレちゃんの連載が終わってゴンズイが始まり、ゴンズイが終わった次週から、ドラゴンボールの連載が始まったらしい。
そういわれると、なんとなく、ゴンズイの連載が終わって、また鳥山先生のマンガが始まるのか、と小学校低学年の当時 思った記憶があるような…。
ジャンプの巻末予告に、龍が中国風の傘を指して珠に乗っている、ドラゴンボールの予告が載っていたのは、覚えている。
荒木先生のバオー来訪者が始まるときも、巻末予告におどろおどろしいイラストが載っていて、鬼才と紹介されていたような、そんな印象がある。

ゴンズイ、バオー、ゴージャスアイリン。 こどものときに読んで、ストーリーや設定の詳細は覚えていないが、絵、場面場面のインパクトを覚えていたり、キャラクターの哀愁、骨格を覚えていたりする。


ジョージ秋山先生のマンガを、kindleの電子本にて、アシュラ、銭ゲバ、告白、捨てがたき人々、浮浪雲の順番で読んでいった。

はじめ 描写のドギつさ、ネガティブなテーマや雰囲気にひかれて読んだが、描写のうまさ、語り口のうまさに魅きこまれて、どんどん読んでいった。

たとえば、銭ゲバ水俣病の患者さんの顔を、見開きでいきなり載せたりするところがあって、アシュラの冒頭もそうだが、いわゆる露悪的な描写、インパクトの強い描写は、読者を選ぶ。
小学生2~3年生の頃にアシュラや銭ゲバを読んでいたら、たぶん、受け入れなかったと思う。
いまは大人になっているので、こういう残酷描写、セックスとバイオレンス、社会のあれこれの描写について、意味、リアリティを理解しながら読むことができる。

アシュラ、銭ゲバ、告白、捨てがたき人々を読んだなかで、いちばん面白かったのはアシュラ。
完結編までを含めて読んで、物語の後味がいちばん良かった、ハッピーエンドに終わったのが、アシュラである。
浮浪雲 1巻は、アシュラ本編から完結編にいたるまでのミッシングリンク、作者の心境の変遷をたどる補足資料として読んだ。)

はぐれ雲1巻1話 安直なハッピーエンドというわけではなく、ポジとネガが合い混ぜになって、そのなかを、達観した主人公が生きている という体裁になっている。
若いカップルの男女が出てきて、ふたりのなれそめにウソがあり、真実が合い混ざっている。男をねらうヤクザが、アシュラの父親と同じ風体をしていて、主人公の雲に、これは悪として、切り殺される。
(アシュラにつなげて、こじつけ、深読みをするのは間違っているかもしれないが、)はぐれ雲の主人公 雲は、作者の分身、理想的な人格像であり、雲が太夫を成敗したところで、アシュラ本編の落とし前をつけた節もあったのかもしれない と思う。

はぐれ雲はたしかに面白く、主人公の人物像が練り込まれていて、主人公がしだいしだいに動きだし、生き生きした人物になっていくのが、1巻を読んでいてよく分かる。
全部を読むと100巻超で、あぶさんと同じくらいある。エッセイ的な趣があり、終りがないマンガで、全巻を読むのはウルトラマンシリーズ全視聴と同じくらい大変だ… という心境である。


アシュラは完結編を含めて、一個のお話としてまとまった感じで、アシュラと七郎が坊主になって旅立っていくラスト、最後の2ページの描写が良い。
(電子本におまけとして付いていた)アシュラ外伝 2ページの小品で、いつに描かれたものか分からないが、作者がアシュラちゃん呼びしているところからも、愛着がうかがえる。

アシュラは、貧困や飢饉、生き抜くことの厳しさを描いているだけでなく、父と母、親と子の根源的な人間関係を描いている。
愛情を与えられなかったこどもがいかにして人となるか という物語を描いており、令和の現代 きわめて現代的な話でもある。

後年の作品 捨てがたき人々 でスゴイと思ったのは、京子と町工場のオッサンに助けられた主人公が、涙を流して感動しながら、その後、めだって更生するわけではなく、人が変わったようにまじめに働くわけでもない。
奥さんとにこやかに食卓を囲むこともありつつ、ふつうに、それまでと同じようにクズなふるまいをして、そのまま罰せられることもなく、父と同じ過ちを犯し、なお、そのままで生きていく…。
主人公をクズと言ってしまうことは簡単だが、やはり、身につまされるところがある。

アシュラ、捨てがたき人々 いずれも尻切れトンボのように物語が終わり、宗教家になっていくのか?、夫婦で一生を添い遂げていくのか? と思わせつつ、肩透かしのように終わって、理想的なハッピーエンドには至らない。
しかし、キャラクターの造形にリアリティがあり、作者の分身であるような、血肉が籠っているので、マンガのストーリーは終わっても、キャラクターはまだそこにいる。 そんなマンガになっているのだろう。


わたし個人として、ジョージ秋山のマンガは、やっぱり、いわゆるこども向きではなく、PTAの人たちが薦めるマンガには思われない。
ゴンズイもアシュラも、やっぱり気持ち悪さがあるのだが、しかし、アシュラは何とも言えないかわいさ、けなげさ、ノラネコのような可愛らしさがある。

いま 中庭にノラネコがやってきていて、カメのエサの食べ残しを食べあさる。水槽の中に腕をつっこみ、にぼしをかき集め、食べ尽くす。
何をやっているのか となるのだが、冷静に考えれば、ノラネコに邪気は無い。ただ、目の前にある食べ物を食べ、生きようとしているだけである。
ノラネコと飼いネコの違いは何か、ネコとその他の生き物の違いは何か。人間が生きているのは、どのていどの意味でネコと、カメと違うのか… そんなことを考えざるを得ない。

アシュラ、捨てがたき人々、その他のジョージ作品には、そんなことを考えさせる深みがある。
作中で描かれる説法を鵜呑みにはしないが、文学、哲学、宗教のエッセンスが入っていて、とても面白いマンガだった。


ちなみに、わたしのkindle 電子本の本棚には、ジョージ秋山マンガの他に、女子プロ野球マンガ カリンのマウンド、漫画太郎先生 罪と罰 が入っている。
カリンのマウンドは、巨漢の女子高生チームと戦う話あたりで、続きを読むのがしんどくなり、続巻を買っていない。
画太郎 罪と罰も、ドストエフスキー原作のエッセンスのみを抽出したようなマンガで、メチャクチャな節もあるが、面白い。主人公の女性が女力士に説教するシーンがクライマックスなのだが、素直に感動した。

アシュラ、罪と罰の2冊は、落ち込んだとき、人生の深淵を見つめ直したいときに読むと良い一冊だと思う。 暗さの中に元気をもらえる、そんな作品である。