ジョジョ読者のブログ

ジョジョの奇妙な冒険の感想、批評、考察を書いています。

河崎実のウルトラマン評論本と、アカテン教師梨本小鉄 教育教材の「第3の道」

きっかけがあって、年末くらいから本腰を入れて、教育関係の勉強をしています。

教育関係の本とは別に、ジョジョウルトラマンプロ野球なんかの趣味に触れたりもするわけですが、
ウルトラマンはなぜシュワッチと叫ぶのか?」という本を読んだ読書メモ、連想を記します。


 ***


ウルトラマンはなぜシュワッチと叫ぶのか?」 河崎実 著。

河崎氏は映画監督で、円谷プロ的特撮に、ロリコン、プロレスなど作者の趣味を加味したB級コメディ作品をたくさん撮っているそうです。

下らない、バカバカしいお笑い的な本だろうと思って読み始めたのですが、読書前の予想は半分当たって、半分違っていた というところです。

全8章から成り立っていますが、表題 ウルトラマンのシュワッチの謎そのものは、3章までで解明されます。
その後 4章~6章までが「お笑いとしてのウルトラシリーズ」を、放送当時のTV・マンガ事情とあわせて解説する内容で、(1976年生まれの私には)知らない事が多く、新鮮でした。
7章は、いわゆるウルトラシリーズウルトラマンシリーズ(新マン以降のシリーズ)の違いを概説するパートで、はっきりオタク向けですが、個人的には納得できる内容でした。

ウルトラマンはなぜシュワッチと叫ぶのか」の解は、端的には、シュワッチの声を演じた俳優 中曽根雅夫氏の熱演に尽きます。
また、河崎氏自身の映画観・人生観と相まって「お笑いとしてのウルトラマン」の語り口には説得力があり、
こういう下らない、しかし人生の真実を一面突いている「考察」(=映像作品であり、その批評)は、なかなか世の中に残っていかないのだな…と、改めて感じ入ったのでした。


以下、同書の読書メモ、連想の箇条書きです。

・シュワッチ=SHWACH 「SHWAAAA…」から変化して、シュワッチに到った。
ウルトラマンの飯島監督によると、「GWAAAAOR」「ZHWAAAA」などアメリカンコミックの擬音表現から、宇宙的な新ヒーローにふさわしい掛け声を模索したらしい。

・アメリカンコミックの擬音表現をとりいれたマンガで、私が浮かぶのは鳥山明ドクタースランプ、そしてジョジョである。
ジョジョの擬音表現は、直接にはホラー映画の効果音、ヘビメタロックのギュンギュン来る感じをマンガに取り入れたものであるが、
ポップでアメリカンなテイストが取り入れられている点が、三者に共通していると思う。

・中曽根雅夫氏の友人である田中信夫氏、ウルトラマンの脚本家である金城哲夫氏、そして円谷プロの円谷 皐社長は、玉川学園の卒業生である。
玉川学園では、学校全体で演劇に取り組む文化があり、田中氏らは芝居の魅力にハマっていた。

田中信夫氏は、かつてのジョジョのOVAでディオの役をやった声優さんである。
ウルトラマンジョジョの縁が何となく繋がっているようで、少し嬉しい。

・本書の7章にて、「初代ウルトラマン=圧倒的なカリスマ、神、キリストであり、ティガ=人間が修行して神(仏)になる、ブッダ」になぞらえる一文がある。
・年末年始 ウルトラマンアントラーメフィラス星人の話、新マン 悪魔と天使の間に…、エース 最終回を観ていて、同じ感想を思っていた。
 ウルトラマンが特別に宗教的な背景・示唆を示している訳ではないと思うが、そのときどきの作家さんのバックボーンがあり、滲み出るものの違いがあったのだと思う。


堺正章坂上忍のハッチャキダンスは、ジャケットを見ただけだが、いかにもウザい。
こういう感じのウザいテレビ番組と、お茶の水女子大学の系譜が監修・推薦する「おかあさんといっしょ」「しまじろう」のいずれか、2つしか存在しないならば問題だ。
幼児教材に「第3の道」は無いのだろうか。

 
・この本を読んでいて、(人名の勘違いがきっかけだが、)春日井恵一 著 「アカテン教師梨本小鉄」というマンガを思い出した。

・はじめ、ゴージャスアイリンなんかも掲載していたジャンプ増刊号に、梨本小鉄の読みきりが載っていた。
運動音痴なメガネ、野球部のマネジャーをやっていた(?)男子学生がいて、「僕だって、本当は野球チームに入って活躍したいんですよ!」みたいなことを言って泣く。
その涙と絶叫の表情、小鉄が反省してひとりつぶやくシーンをよく覚えている。

・梨本小鉄は、その後 週刊少年ジャンプに連載開始となり、最終回が、修学旅行に行く話だったと思う。
生徒たちが見る夢の中で、小鉄坂本龍馬となり「日本の未来は明るいぜよ!」と大笑していた、その一コマをよく覚えている。

・「天に向かってつばを吐け!」と小鉄がつばを吐き、天からつばがついに落ちてこない。小鉄は天に赦されている というシーンがあった。

どういう意味で作者(=小鉄)は天につばを吐いたんだろうかと、今になって考える。

 


ーー梨本小鉄あたりの思い出をふり返ると、ほかに、当時の増刊号に、カマキリが巨大化して暴れるのと戦う話。
ゴージャスアイリンで大女が登場して、ネコを鉢植えに植えたり、男の顔を舌で舐めまわす気持ち悪さに、嫌悪感を感じた記憶がある。

梨本小鉄に限らず、男塾、北斗の拳、聖闘士聖矢、キン肉マンなんかの作品でも、心にひっかかるシーンというのがいくつかある。

聖闘士聖矢でシャカの術にかかった聖矢が、(仏教的な観点で)己の犯してきた罪をふり返る、一枚の扉絵。
キャプテン翼 フランス代表のキャプテンがドリブルしながら、ノートを破られるなどのイジメを受けるも、サッカーチームで友だちで得たことをふり返るシーン。

ほかにも、これらのマンガを手元に置いて読み返せば、「こんなことがあった」「このシーンを読んでこんなことを考えた」「これを読んでた当時、身近でこんなことがあった」
と思い返すことが沢山あるのだろう。

(少年ジャンプと離れてしまうが、)小学6年生くらいのとき、
学年誌か何かで「沢田ユキオが描いた、虹色に変化するビックリマンの7皇子」みたいなイラストグラビアを眺めていた。
そのそばで母親が誰かと「そろそろ、子ども達をどこの中学にやるか、受験のことを考えないといけないわね」みたいなことを話していて、
ビックリマンのグラビアを観て過ごしてるような子供時代は間もなく終わってしまうのか、と急に愕然としたことを思い出す。


何だかんだ言って、それから30年くらいが経ち、40歳を過ぎた今になって私はウルトラマンのDVDをじっくり観はじめたり、
沢田ユキオは当時から変わらず30年間、コロコロコミックに「スーパーマリオくん」を描き続け、ビックリマンジョジョも、なんだかんだで命脈を保ち今に到る。

おかあさんといっしょ」と「ハッチャキダンス」に続く「第3の道」、
私の場合は梨本小鉄でありジョジョであり、あまり上品でもなく元気一辺倒でもない、バロックな世界観をもって歩んできたのだと思う。

ジョジョの野球チームを、2017年のプロ野球選手に例える

2013年の秋 「理想のベストナイン」という記事で、ジョジョシリーズの主人公たちで野球チームを組んでみたことがあった。
(他愛の無いヒマつぶし。プロ野球がオフシーズンになると、こういう空想遊びで野球的な楽しみを充たしているようです)


1番センター ジョルノ .300 10HR

2番セカンド ジョニィ .272 5HR

3番サード 承太郎 .320 40HR

4番キャッチャー 仗助 .280 28HR

5番ファースト ジョナサン .260 42HR

6番レフト ポルナレフ .275 12HR

7番ショート シーザー .250 4HR

8番ライト ジョリーン .242 2HR

9番DH エンポリオ .234 0HR

 

投手 ジャイロ

投手 ジョセフ

 

控え イギー、早人、ルーシー、億泰

 

そして今、2017年シーズンのプロ野球選手(実在の選手)を、上記の野球チームに当てはめてみることを考えました。

だからどうだと言うことは全く無いのですが、野球チームの実在像の、リアリティを高める気がしないでもありません。

また、4番キャッチャーに当てはまる野球選手が現役で見当たらないため、一人だけ、OB選手を採用しています。ご容赦ください。

 

 

1番センター ジョルノ = 桑原(横浜)

2番セカンド ジョニィ = 銀次(楽天

3番サード 承太郎 = 中村(西武)

4番キャッチャー 仗助 = 城島(漁師から現役復帰)

5番ファースト ジョナサン = マレーロ(オリックス

6番レフト ポルナレフ = 吉田正尚オリックス

7番ショート シーザー = 大和(阪神→横浜)

8番ライト ジョリーン = 松本剛日本ハム


先発投手 ジャイロ = 則本(楽天

先発投手 ジョセフ = 山岡(オリックス

 抑え投手 定助 = 糸井(日本ハム時代の二刀流)

 

  以 上

ウルトラジャンプ2018年1月号を読んだ、大まかな感想

ウルトラジャンプ 2018年1月号が発売され、買って読んだ。

東方家の敷地で、最後の戦いのエピソードが始まった感じで、ロカカカ収穫までの時間表示が、いかにもアラキマンガっぽい、理詰めの盛り上げ方な感じがする。(植物鑑定人のリフトで、ポールの番号順にストーリーが進むのも、同じ感じだった)

今月号のエピソードは、SBRでウェカピポとマジェントが戦い始めたとき、ジョニィが謎の男に銃撃されたときくらいに似ている感じがして、だとすればあと2~3年、2020年になるくらいまで、ジョジョリオンの連載が続くんだろうか?

もうちょっとコンパクトにまとまるかもしれないけど、敵としての岩人間は、プアートムともう一人、吉良家と因縁のあるキャラが最後に出て、そいつと東方家と定助が三つ巴で最後に争うんじゃないか? と予想をしている。 でも、そんな展開にたどり着くまで、あと1年近くかかるかもしれない。

 

ウルトラジャンプと一緒に発売された、ジョジョリオン17巻 巻頭のはしがき(作者のエッセイ)。ホラー映画と人間文化の発達(?)を絡めた分かるようで分かりづらい内容で、荒木先生自身の「ホラー映画を観続けてマンガを描いてきたこと、ホラー映画を座右の銘としてきた人生」の理論武装なんだろうと思う。

2018年の夏 東京でジョジョの原画展があらたに開催されるそうで、新作原画が描き下ろされるらしい。ジョジョリオンが完結するくらいに、この原画展の描き下ろしを含めたイラストブックが発売される気がする。

 

--しかしながら、ジョジョの1~4部くらいをジャンプで読んでいたときに、30年後 ジョジョがここまで生き残って、原画展をやったりイラストブックが続々発売される事態になっているとは想像もつかなかった。20~30年後の未来は「読めない」わけで、よくも悪くも、未来は拡がりのあるものだと感じる。

怪獣図解入門とドラえもん、ジョジョ 「データベース」の子ども文化

切通理作氏の著書で「怪獣少年の復讐」という本があり、ときどき読み返している。
特撮関係者へのインタビューを一冊の本にまとめたもので、第2期ウルトラシリーズ、1970年代の特撮・子ども文化に興味ある方には、なかなか面白い本である。

同書の4章では、小学館学年誌(小学2年生などのシリーズ)を取材し、当時の編集者にインタビューを行うくだりがある。
当時の大人たちが怪獣やマンガを有害とみなし、子どもたちの成長を心配する様子が掘り起こされ、なかなか面白い。
今で言うと、任天堂の新作ゲームやヒカキンのyoutubeうごくメモ帳で遊ぶとバカになるのか?と心配するようなもので、親と子、学校と子どもの世相は変わらないものだ と思う。

 

私のウルトラシリーズへの愛着は、「コロタン入門百科シリーズ18 怪獣図解入門」で始まっている。
怪獣図解入門は、講談社小学館の少年誌からスピンアウトするかたちで生み出されたそうで、同書の著者 大伴昌司氏によるはしがきが懐かしい。

大伴氏のはしがきでは、(うろ覚えによると)
「怪獣は実際に存在するものではありません。しかし、皆さんに想像する楽しみに触れてもらいたいと思い、怪獣のしくみを考えた図解を載せています。想像する楽しみを味わってください」
という趣旨のことばが述べられていた。

切通氏の著書によると、
少年誌が育んだ「怪獣図解」の手法、キャラクターをデータベースにまとめ「リアリティ」と「キャラ」を立たせる創作手法は、
その後の子ども文化ーー小学館と藤子先生による「ドラえもん」の秘密道具の体系化、リカちゃん人形のキャラクターづくりetcーーに活かされていったそうである。


そこで、話はジョジョである。
インターネットのいろんな感想を読んでいると、「ジョジョのスタンドはドラえもんのパクリ」、「ドラえもんの秘密道具に、スタンドのアイデアの源流が隠されている」みたいな意見を読むことがある。
私は荒木先生でも集英社の編集者でもないので、創作の舞台裏は分からないが、たぶん、荒木先生が直接にドラえもんからスタンドのアイデアを拝借したことは殆ど無いと思う。

荒木先生が影響を受けたとするなら、藤子マンガそのものよりも、小学館講談社の子ども雑誌、1960~70年代の子ども文化全体に影響を受けたと考えるほうが自然である。
ジョジョのスタンド、スタンド使いと能力を網羅したり、スタンド使いを仮想対戦させる遊びがあるが、個人的には、ウルトラマン仮面ライダーなど、昭和の特撮のキャラクターを網羅する遊びに似たところを感じる。

また、荒木先生はどちらかと言えば、藤子F不二雄よりも、藤子不二雄Aに近しい資質を感じる。
億泰がイタリア料理を食べて「ンマーーイ」と叫ぶのはA先生の影響だし、A先生のブラックでちょっと気持ち悪い作風は、荒木先生に通じるものを感じる。
「魔太郎が来る!!」というA先生のマンガがあり、まだ読めていないのが残念だが、わりと直系で、魔少年ビーティーやディオの造形に繋がっているのではないか と思う。

「絵本」としてのウルトラマンタロウ

ジョジョに殆ど関係のない話題ですみません。円谷特撮、ウルトラマンタロウを視聴した感想の記事です)


ウルトラマンタロウ DVDボックスを購入し、1年近くかけて全53話を視聴した。

ウルトラマンシリーズを視聴するのは「老後の楽しみ」で、各シリーズのDVDをあちこちバラバラに観てはいたが、
第1話から最終話まで、全話を通して視聴したのはタロウが初めてだった。

ウルトラマンタロウは荒唐無稽なおとぎ話で、アラビアンナイトや桃太郎のような、子供に分かりやすい、明るく楽しい「現代のおとぎ話」を目指して製作されたそうである。
そして、その試みは実際に成功している。
私の皮膚感覚では、今なお ウルトラマンシリーズの1番・2番人気は初代マンとセブン、3位がタロウ、4位が現行の最新作という按配で、幼児の支持は分厚い感じがする。
タロウが製作された1973年は、私(1976年生まれ)が生まれ育った時代にほぼ近く、幼い頃の原風景を観る面白さもあり、全話 概ね興味深く視聴することができた。

タロウの第1話 東光太郎がアストロモンスに飛び乗って振り落され、アイタタタで済まされるシーン。
シンドバッドが怪鳥の足にしがみつき空を飛ぶ、冒険物語の明朗さに付いていけるかどうかで、タロウを観れるかどうかの分かれ道になっている。

(荒木先生曰く、)物語にはリアリティーとファンタジーの境界線がある。
クリントイーストウッドの映画は綿密なリアリティ描写の中にファンタジーを宿らせるが、タロウは違う。
ウルトラマンタロウは「絵本」であり、特撮と人情ドラマと親子の情愛を合体させた「動く絵本」がウルトラマンタロウなのである。

絵本、ファンタジーとしてのリアリティを追求し、子どもにとっての真実、物語の筋道を描き出そうとしたのがウルトラマンタロウである。

タロウの1話と最終話は対になっていて、ウルトラの母からバッジを譲り受けた東光太郎が、母にバッジを返し、再び旅立つところで物語が終わる。
(昔から、怪獣図鑑を読んでいて)なぜタロウ最終回の敵はサメクジラなのか、テキトウで間に合わせのような怪獣が最後の敵なのはなぜか? 疑問に思っていた。
しかし、1話から最終話まで通して視聴して、白鳥家の船に乗ってやってきた光太郎と白鳥健一のドラマを観てはじめて納得を得、最終回のドラマにいたく感動した次第である。

1年間の連続ドラマのあいだに光太郎とタロウは成長し、健一君は声変わりし、そしてTVを観ている視聴者も(一年分)大きくなった。
そしてウルトラの母を演じるペギー葉山が優しく諭したとおり、光太郎は最後に、「生きる歓び」を自分で見つけ、掴み出したのである。
光太郎が健一の模範となり、タロウと別れ、タロウが地球から宇宙へ再び飛び出していくシーン。
特撮シーンは第1話のものの再使用なのだが、脚本の妙で、「オギャー」と正面に飛び出してくるタロウがとても晴れ晴れしいラストショットであった。

うろ覚えの記憶なのだが、ペギー葉山さんという歌手は、たしかひらけ!ポンキッキなどにも出演していて、子供向けの歌番組で歌唱を披露していたと思う。
(最近に亡くなられたとき、ドレミの歌を日本語向けに翻訳・歌手として歌っていたと聞いて、その功績を今更ながら知った)

タロウの全てが優れているという訳ではなく、ポリバケツで水をぶっかける特撮シーンには興ざめしたし、
全53話のうち 40%くらいはあまり面白くない話で、オカリヤンの話を観ているときに途中で眠ってしまい、巻き戻す気力が湧かなかったのも事実である。
しかし、概ね 全体としては面白く、一冊の絵本としてTVドラマシリーズを描き切ったまとまりの良さ、「どこに筋を通すか」で一本筋を通しきった漢気に感服している次第である。


ーー最後に、年寄りの繰り言めくが、昭和の頃の特撮ドラマは「大人が子どもに向けて作っている」感があり、安心感をもって視聴することができる。
そうでないドラマが悪い、一律にダメという訳ではないのだが、
子供向けの作品として、「大人の確かな視座」が無いものはどうにも違和感があり、個人的には遠ざけてしまう。

「誰が、誰に向けて何を語るか」というのは物語を成り立たせる根本的要素で、まさにセンテンスの骨格である。
翻って、ジョジョの物語は誰から誰に向けて何を語る物語なのか?
私自身の人生や仕事は誰に向かって、何を語る物語なのか? --そのように、連想が拡がる膨らみを、ウルトラマンタロウは持っていると思う。

「貧弱!」「貧弱ゥ!」 ディオの叫びと「学問のすすめ」

ジョナサン・ジョースターは1868年、明治元年の生まれである。

荒木飛呂彦の漫画術」p92によれば、ジョナサンとディオの1部は1888年、ジョセフの2部が1938年、そして第3部が1988年の話と、50年刻みで100年の時を駆ける3部作が描かれているとのこと。

 

最近、自分自身の足元の振り返りを兼ねて、福沢諭吉の「福翁自伝」、「学問のすすめ」を読み返している。

学問のすすめ」は全17編から成り、青空文庫というwebサイトで無料で読むことができます。けっこう過激な物言いもあって面白く、よかったら初編だけでも読んでみてください。(下記 リンクを張っています)

 

第3篇を読んでいたところ、ジョジョの1部を連想させるくだりがあり、面白かったので下記のとおり 引用いたします。

「貧弱!」「貧弱ゥ!」というディオの叫び声は、荒唐無稽なばかりではなく、19世紀末の近代における帝国主義の争い、「人類を超越し、支配しようとした」DIOの在り様を端的に象徴していたのかもしれない……そんなイメージを重ね合わせています。

 

 

福沢諭吉 学問のすすめ

 

(第三篇)


 およそ人とさえ名あれば、富めるも貧しきも、強きも弱きも、人民も政府も、その権義において異なるなしとのことは、第二編に記せり〔二編にある権理通義の四字を略して、ここにはただ権義と記したり。いずれも英語のライト、right という字に当たる〕。今この義をおしひろめて国と国との間柄を論ぜん。国とは人の集まりたるものにて、日本国は日本人の集まりたるものなり、英国は英国人の集まりたるものなり。日本人も英国人も等しく天地の間の人なれば、互いにその権義を妨ぐるの理なし。一人が一人に向かいて害を加うるの理なくば、二人が二人に向かいて害を加うるの理もなかるべし。百万人も千万人も同様のわけにて、物事の道理は人数の多少によりて変ずべからず。今、世界中を見渡すに、文明開化とて文学も武備も盛んにして富強なる国あり、あるいは蛮野未開とて文武ともに不行届きにして貧弱なる国あり。一般にヨーロッパ・アメリカの諸国は富んで強く、アジヤ・アフリカの諸国は貧にして弱し。されどもこの貧富・強弱は国の有様なれば、もとより同じかるべからず。しかるにいま、自国の富強なる勢いをもって貧弱なる国へ無理を加えんとするは、いわゆる力士が腕の力をもって病人の腕を握り折るに異ならず、国の権義において許すべからざることなり。


 近くはわが日本国にても、今日の有様にては西洋諸国の富強に及ばざるところあれども、一国の権義においては厘毛の軽重あることなし。道理にもとりて曲をこうむるの日に至りては、世界中を敵にするも恐るるに足らず。初編第六葉にも言えるごとく、「日本国中の人民一人も残らず命を棄てて国の威光を落とさず」とはこの場合なり。しかのみならず、貧富・強弱の有様は天然の約束にあらず、人の勉と不勉とによりて移り変わるべきものにて、今日の愚人も明日は智者となるべく、昔年の富強も今世の貧弱となるべし。古今その例少なからず。わが日本国人も今より学問に志し気力をたしかにして、まず一身の独立をはかり、したがって一国の富強を致すことあらば、なんぞ西洋人の力を恐るるに足らん。道理あるものはこれに交わり、道理なきものはこれを打ち払わんのみ。一身独立して一国独立するとはこのことなり。

ジョジョリオン 2017年11月号の感想、今後の先読み

ウルトラジャンプ 2017年11月号、ジョジョリオンの最新話を読んだ。
岩人間・岩ペットとの決着、プアートムが出てきたところまでの話で、今後の伏線がいろいろと張られた話だった。

ドロミテ、アーバンゲリラとソラティド、プアートムと明らかに「異形」のキャラクターが続々と現れていて、
物語のテンション的に、(作者の表現意欲も)高まってきている感じがする。際どいところ、嫌な感じをうまく織り込んであると思う。

アーバンゲリラのセリフで、「半分 吉良吉影、半分 東方定助…」というセリフがあって、
(メタ的に見ると)主人公の定助はベースが定助(≒ジョセフミ)で、そこに吉良の過去が重なっている、というイメージなんだろう。
これからの展開で、吉良家の謎、「医者」としての仕事と「長生きすること」「病を治すこと」の根幹が問われる展開になりそうで、楽しみである。


もう1つ、いかにもクライマックスに向けて仕込まれてきた伏線として、豆銑さんが「シャボン玉の正体、能力の本質はひも」と気づいた場面があった。

ラストのクライマックス、岩人間の最後の一人(プアートムの後にもう1人出る、強そうな奴?)、常敏や憲助らとの争いで、
主人公のスタンドが何かとんでもない、素粒子物理学のエッセンスを詰め込んだ、チートな能力が覚醒する前振りなのだろうか。

ジョジョのラストバトルは、たぶん「究極の戦い」を意図して描かれてきた節があって、2部のラストで究極の生物が覚醒する展開に始まり。
3部~6部で時を操るスタンドが最後に登場するのは、「物理的な現実世界で、時間を操る者が一番スゴイ」と考えたからだろう。
7部以降のシリーズでは、次元の狭間、黄金比の無限の回転が現れたりと、アイデアを変えたところで、究極の能力を描こうとしているのだと思う。


8部の展開で、一つ残念なのは、カレラと常秀、虹村さん辺りに活躍の機会が無さそうなところだろうか。
虹村さんはホリーさんの復活を受け止める役、常秀やダイヤは東方家の融和を見届ける役割が残されていそうだが、カレラはもう登場の機会が無いかもしれない。

ジョジョリオンの展開は、「カレラが持っていた1枚の写真」がキーになって、一気に面白くなってきたと思うので、
このあたりの伏線・キャラクターが蔑ろになってしまうのは、何となく残念だ。
次のプアートムの話では、(ウルトラジャンプの巻末予告によれば)康穂が中心になって活躍するらしいので、ここで、康穂とカレラが絡んでくるのかもしれない。
プアートムもそうだが、下品でヤンキーなキャラが面白いので、カレラや常秀にもう一花、出番があると嬉しい。