ジョジョ読者のブログ

ジョジョの奇妙な冒険の感想、批評、考察を書いています。

岡田あーみんとさくらももこ りぼんマンガの思い出

漫画家のさくらももこさんが亡くなって驚いた。
53歳で乳がんで亡くなられたということだが、(10才ほど若い)自分たちの家族も、健康管理と余命に気をつけなければ と思う。

 

もう1つ、別の意味で驚いたのは、さくらももこさんが亡くなった今年のお盆頃、
実家の本棚からジョジョ1~4部を取り出したとき、岡田あーみんの「お父さんは心配症」1~6巻を発見。
2004年頃に買ったきり読んでいなかった「お父さんは心配症」を読んで、
さくらももことあーみんの合作(昔 かすかに読んだ記憶がある)を読んで、さくらももこの意地悪な観察眼を思い出していた、まさにそのときに訃報が入ったからだった。

ーーこのブログを書いていて、デビッドボウイとプリンス、水木しげるさんなど、
ブログの記事を書き込んだ直後くらいに、取り上げた方が亡くなることが続いた。

何かしらの霊的な力、オカルト的な働きがあるのだろうか?と訝しんだが、
冷静に考えると、これは、取り上げた方が有名・高名な方で、名作と呼ばれる作品を作り、年をとっていた方が多かったためである。
東村アキコとか西川史子とかは死んでないので、やはり、年を取るにしたがって、自分を含めて人間は死に近づいていくのだろう。


(ほとんどジョジョに関係が無いので)このブログに書こうかどうかと思っていたのだが、「お父さんは心配症」は、なかなか面白いギャグ漫画だった。
昔 妹が買っていた「りぼん」を読んでいて、覚えているのは、岡田あーみんさくらももこ、ねこねこファンタジア、星の瞳のシルエット
浦川まさるという作家が里見八犬伝をなぞらえたようなマンガを描いていて、「手の温かい人は心が冷たいというけど、ウソやな…」と彼氏役が呟いたシーンを覚えている。
矢沢あいは、天使なんかじゃないの冒頭は面白かったが、基底にあるヤンキー体質が、自分の肌には合わなかった。
茶畑るりの4コママンガは、さくらももこやあーみんには劣ると思いながら、14歳の連載開始を眺めていた。
…描きはじめると、けっこう思い出してきた。

昔のりぼんで、岡田あーみんさくらももこギャグマンガは抜きん出て面白かった。
さくらももこは、小市民的な素朴さを打ち出しながら、醒めた観察眼、底意地の悪さが滲み出るのが面白さだった。
さくらももこは、自分の妹に筆跡が似ていて、顔だちも何となく似ているので、悪くは言えないが、身近に居た妹の何とも言えない「女らしさ」を宿している… そんな作家だった。


岡田あーみんのマンガは、私個人の好みだが、さくらももこと較べても、かなり面白い。
赤塚不二夫しりあがり寿と並んで、「面白いギャグマンガ家の個人的トップスリー」である。

ママはテンパリスト東村アキコなど、岡田あーみんに影響を受けたギャグマンガ家は、私と同世代、30~40代くらいのギャグマンガ家には多いのではと思う。

昔のりぼんでも読んで、今回 よく覚えていたのは、「岡田あーみんの好き放題劇場」である。
どう面白いかは説明しにくいのだが、リボンマスコットコミック 心配症の6巻に収録されているので、よかったら読んでほしい。

ただし、作者のあーみん本人は、好き放題劇場のようなハチャメチャな殴り書きだけを褒められるのは不本意だったようで、
後のルナティック雑技団のような、ストーリーとギャグが噛み合った、しっかりとした少女漫画を描くのが、作家としての目標だったようである。
お父さんは心配症も、作者の意図としては、山本周五郎のような人情物語を目指して描きはじめたとのことで、頷ける所がある)

岡田あーみんのマンガが面白いのは、ハチャメチャで破壊的なだけではなく、
作者本人の生真面目さが滲み出ているというか、
作者のナイーブさ、純粋さ、「人間愛への志向」が作品の基底にしっかり描かれているところである。


ーー半ばむりやりに話題をジョジョに繋げると、
岡田あーみん荒木飛呂彦の両者で、作家の資質に、重なるところがあると思う。

荒木飛呂彦はホラーとサスペンスのマンガを描いているが、美しい人間愛や正義の力強さだけでなく、人間社会の「酷い現実、見にくいほうの真実」に目を向けている。
岡田あーみんのマンガは一見 荒唐無稽で、人間社会の酷さを描いているが、大らかな人間愛で作品世界を包み込んでいる。

どこに視点を向けるかの違いで、
人間社会の現実に目を向けた後、荒木飛呂彦はホラーとサスペンスを描くことを選んだ。岡田あーみんはギャグを描くことを選んだ。ということなのだろう。