ジョジョ読者のブログ

ジョジョの奇妙な冒険の感想、批評、考察を書いています。

Wrapped in Grey  「疑惑の影」に見る、杜王町の面影

連休の間に、親戚からディープな人生相談を受けることがあった。
当事者ではないので結論を決めることはできず、客観的な意見やアドバイスは行ったものの、
トラブルがどう収束するかは、当事者同士にゆだねることしかできない。
何とも苦しい、やきもちした気持ちになった。

人生相談を受けた日の夜、たまたま借りていた「疑惑の影」、
ヒッチコック監督がお気に入りであったという映画を観ることにした。

(マーニー、泥棒成金、疑惑の影と観てきたが、ハリーの災難と泥棒成金は対になるような映画、
南フランスロケの話、イギリス郊外の田舎の話と、ご当地紹介の趣ある喜劇で楽しめた)


「疑惑の影」(Shadow of a Doubt)は、1940年代のサンタ・ローザを舞台にした、家族の物語である。
ヒッチコック監督がこの映画をお気に入りだというのは、
アメリカに渡ってきて、はじめて納得できるシナリオライターと組んで仕事をできたこと、
人生の上り調子の機運をガッチリ掴むことができたろう充実作であること、
犯人探しのサスペンスと家族の物語がキッチリ描けたことにあるようである。

物語の主人公はYoung Charlie, Uncle Charlie 2人のチャーリーである。
(「映画術」でヒッチコックが述べたように)人間は黒と白にハッキリ分かれるものではなく、「灰色」の中にいる。
ヤングチャーリーの中に、死んだアンクルチャーリーの記憶は、ずっと生き残り続けるはずだという。

アンクルチャーリーが折りに触れて話す「金持ちの女はブタだ」「この世は地獄だ」などの発言は、ギョッと耳を疑う強さがあるが、一片の真実を含んでいる。

物語の最後 教会の定型弔辞が唱えられる中、ヤングチャーリーと恋人が問答し、恋人の発言が物語を総括する。(日本語字幕はまったくの誤訳をしていた)

 well, it's not quite as bad as that.
 but sometimes it needs a lot of watching.
 it seems to go crazy every now and then, like your Uncle Charlie.


映画を観ていただければ分かるのだけど、
1940年代前半 第二次世界大戦の真っ只中の、アメリカの片隅の田舎町で、
ときには人間はおかしくなるし、(ヒッチコックアンクルチャーリーであるような)辛らつな社会批評も巷間に溢れていた。

モノクロ映画の、光と影のコントラストが、ドラマチックに場面を演出している。

アンクルチャーリーは、後にサイコのノーマンベイツの原型となったとも言われている。
ヒッチコック監督の映画で、悪役を主役にしたのは上記2本のみ)
ヒッチコック監督は、悪役を通り一遍に描くことはしたくないと言い、
この映画では、主人公たちの家族(メガネの妹、お人よしの母、主人公)、サスペンスマニアの隣人、そしてアンクルチャーリーと、
多くのキャラクターに、人間的な、リアルな造形を与えることに成功していると思う。

「小さな静かな田舎町に、殺人鬼がやってくる」というのが本映画のコンセプトだそうで、
これは遠く、「新興住宅街の杜王町に殺人鬼が潜んでいる」ジョジョ4部の源流と捉えることもできそうだ。


it seems to go crazy every now and then という呟きは、正直なところ、私も週に1回くらいは呟いている気がする。
愚痴なのか批判なのか、その手の呟きは70年前から変わらずあって、白と黒 両方のバランスをとることが難しい。

私の親戚の人生相談も、願わくばバランスをとって、豊かなグレー色の生活の中に事態が収まってほしいと願う。
白黒付けることがすべての問題の解決法ではないし、矛盾を抱えながら曖昧な状況下を生きねばならないこともある。
Let's go crazy とかつてプリンスは歌ったが、
実生活でkeep going crazyすることは難しいし、プリンスも舞台を降りた時は、地道に研鑽を積んだり、地味な生活を送っているのだと思う。
嘘をつかず、狂ってしまうこともなく、何とか誠実に穏やかに、少しズルく生きていきたいものだ。