ジョジョ読者のブログ

ジョジョの奇妙な冒険の感想、批評、考察を書いています。

水木しげるの遠野物語

ジョジョとほとんど関係のない話題になり、すみません。水木しげるさんのマンガについて触れた記事です)


年末年始 仕事と家事が落ち着いて、ゆっくり趣味、本を読む時間がとれている。

映画「怪獣大戦争」 X星人の優れた未来感覚、土屋氏の熱演、いわくいいがたい宇宙音・宇宙演出を楽しんだり、水木しげる遠野物語を読んでいた。


水木しげる先生のマンガは、鬼太郎以外の地味なものが好きで、水木先生の飄々とした人生観、虚実あいまじるオカルトのウソを楽しみつつ読んでいる。

水木しげる遠野物語 作者が84~85歳のころ 晩年を迎えたときに描かれたもので、その筆致、民話の味わいを楽しみ読んだ。


私の習慣として、一冊の本やマンガ、映画を読み終わった後、インターネットであちこちのレビューを巡り、よしあしの感想を訪ねるクセがある。
映画を観終わった後 いっしょに観にいった人と映画の感想を語りあうようなもので、自分が読んだ、観た体験を他の人と共有し楽しむ。また、自分の知らない補足情報、発見や示唆を得たいからである。

遠野物語 amazonの感想を読んでいて、オヤと思ったのが、
水木プロのアシスタントが回顧録(のマンガ本)を出しており、どうもこれらによると、晩年の水木先生はあまり絵を描いておらず、プロダクションのチーフアシスタントたちがおおむね多数を描いていたらしい ということだった。

私自身は、遠野物語の絵と描写、原作をなぞり東北の田舎を旅する枯れた味わいに感動していたので、水木先生がこの本を描いていない? ウソだったのか、感動を返せ! となった。


ゴルゴ13や本宮ひろしが作画をアシスタントに任せているという話は有名だし、ドラゴンボールやプレイボールの新作も、元の作者ではない他人が描いている。
プロダクションチームがマンガを作ることを否定するものではない。

しかし、水木先生の魅力、本質は「絵」にあると私は思っており、
(老齢を迎えた今 生活の楽しみとして)「ガリガリ君がスキです。冷たくておいしい」とうそぶきつつも、根本 ウソをつかない誠実な人だろう と水木先生を見ていたので、
ジョジョコミックの読者コーナーよろしく「大人はウソツキだ!」と、作者に裏切られた読者のような気持ちになってしまったのだった。

ーー冷静になってコミックを見返すと、遠野物語の表紙、カラーイラストのはしばしに「MS」というサインが入っていることを思い出した。

ほかならぬ、Mizuki Shigeru 水木先生が自筆で描いたという、作者のサインである。

遠野物語 表紙のカバーイラストは、遠野を歩く水木先生を、河童や猿、妖怪たちが取り囲み、石の裏からざしきわらしがそっと覗きこむ という可愛らしいイラストである。
作中 女の子のざしきわらしを大きく描いたイラストがあり、とても可愛らしく、この絵も水木先生に違いない と信じることにした。


マンガ制作において、どこまで水木しげる本人が関わり、どこから先を他人(アシスタント)に任せたのか。
たしかな証拠、資料が無く、憶測を述べることしか私はできない。

遠野物語の企画については、現地の観光協会か何かとコラボして制作されたと思しいが、
遠野の民俗伝承に興味を持ち、現地へ取材に行き、マンガのネームを割ったところまでは、水木先生が行った。そのことは間違いないだろう。

水木しげるが取材にも行かず、チーフアシスタントがネームを割ってマンガを描くとなると、
それは一年前の夜 紅白歌合戦でAI美空ひばりが「お元気でしたか」と視聴者に語りかけ、ビートたけしがむせび泣いた、何とも締まらないあの泥仕合と同じレベルに、水木さんが地の底に堕してしまうことになる。
そんなことはない と信じたい。

つげ義春の回想で、水木しげるの妖怪画 点描を来る日も来る日も描かされ、綿密な背景を描くのが大変だった と聞いたことがある。

昔からの作品も、晩年の遠野物語も、水木しげるの背景画 写真をもとに描き起こしたであろうリアリティ、ペンと紙の素材特性を活かしきった見事な描写、
ストーリーを基軸にした手塚治虫流マンガとはまた異なる、一枚のペン画が連作していくような、まさに紙芝居が進化発展したような、水木マンガのそんな凄みは、プロダクション全体の合作、労力の結晶によるものだろう。
あんなに手の込んだイラスト、コマの集まりであるマンガを、ひとりの作者で〆切までに毎週描くことはとてもできない。

水木先生の描く人物 背景とは対照的に、間の抜けた、勢いのあるいきいきした描線で描かれているが、ゆでたまご先生にも通じる、何ともいえない味。
マンガは(かつて)紙にGペンで描くものだったが、書道で筆跡に人を現わすのと同じく、マンガの描線に、まさに、水木しげるが現れている。

遠野物語 大きな決めゴマ、主だった人物は水木しげるが描き、こまごました人物、小さなコマはチーフアシたちが皆で描いたのでは と類推しているが、事実はどうだろうか。
水木マンガの人物画 チーフアシたちがタッチを似せて、かなりの程度 水木しげるに似せて描き込んでいると思うので、それはそれで、技芸の伝承として大したものだと思う。


長々と描いてきたが、私は基本、マンガは一世一代、作者本人にしかそのマンガは描けないものだと思っている。

理由は単純で、絵にしてもストーリー作り、アイデアにしても、その人にしか出せない個性、その日その時その場で生み出された瞬間こそが、オリジナルだと思うからである。

ジョジョを描く荒木先生も、「人物はぜったいに自分で描く。これは譲れない」と、(たしか、4部~5部くらいを連載していた頃だと思うが)何かのインタビューでてみじかに答えていた。

ジョジョ5部のテレビアニメ 作画を見ると、かなり原作の画風に近く、もしかしたら荒木先生より絵がじょうずなアニメーターさんが作画をしているかもしれない。
昨今 NHKで放映された「岸辺露伴は動かない」の実写ドラマも演者の熱演があり、なかなか面白いそうである。

ーー片意地を張っているわけではないが、私はこれらに食指が伸びない。

「長谷川和夫 認知症の第一人者が認知症を患い、「悲愴」を聴きながら家族と共に老いを過ごし、死を迎え入れるドキュメンタリー」

「強度行動障害の子供さんがいる一家が、福祉施設にわが子を入所させるにいたるまでを取材したドキュメンタリー」

円山応挙伊藤若冲の描く動植物画を比較して鑑賞する美術番組」

怪獣大戦争

プロ野球SP 伝説の好プレー珍プレー一挙公開!! 2020」

これらはテレビの番組表を見てオッと思ってすぐ見たり、録画したり、感動したが、岸辺露伴~はもとより見ようとも思わなかった。

それは、これらメディアミックスが荒木先生の作品ではなく、ジョジョを題材にした、他の作家たちの作品だからである。


プロ野球珍プレー好プレー集を見ていて納得いかなかったのは、ガルベスが審判にボールを投げつけ、吉原が止めにはいりひじ打ちされた映像を紹介して、
「(今では許されないことだが、)平成の時代 プロ野球には、荒くれ者たちが多かった」と、ヤンキーのヤンチャを振り返る風の〆としていたことだ。

1998年当時もガルベスの暴挙ははっきりと暴挙であり、長嶋監督が頭を丸めて、当の審判、プロ野球へ謝罪の意を表したものだった。

また最近 プロ野球の記事を読んでいて感心したのは、清原が巨人へのFA移籍を考えていたとき、さる仲介者を通じて巨人サイドに伝えられたのが、
「一塁でのレギュラーポジションを確約してくれたら、西武から巨人へのFA移籍を宣言したい。(落合と一塁のレギュラー争いをすることは避けたい)」
というものだった。

当時も今も残念に思うのが、このときの清原にもうすこし男気があったら、落合と清原で巨人の4番5番を担い、2人にまた別の道、松井を含めた巨人軍にもう少し別の未来があったのではないか ということだ。

また、最近読んだ記事では、ダイエーホークスのフロントマンだった瀬戸山氏が、中内オーナーの男気、南海ホークスを買収し、根本、王たち尽力のもと、負け犬軍団が常勝軍団に生れ変わっていった過程も興味深く読んだ。


30年前 昭和から平成に移り変わった頃 巨人は強く、王さんはかっとばせキヨハラくんに登場する冴えないオー監督で、南海ホークスあぶさんだった。

30年が経ち、読売新聞はすっかり老人向けの広告情報誌となり、巨人人気は凋落、王さん率いるホークスが球界の王者として君臨している。水島先生も漫画家引退を発表し、しずかな余生を過ごされている。


ーーあまりにも余談が長くなってしまったが、昭和は遠くなりにけり と物思いにふける、2020年の暮れである。