ジョジョ読者のブログ

ジョジョの奇妙な冒険の感想、批評、考察を書いています。

水木しげるの猫楠

水木しげる先生のマンガで、もう1本 記事を投稿します。年末年始 ふだん溜まっていて、なかなか読めなかった本、調べごとに手を出しています)


水木しげる「猫楠」を読んだ。

南方熊楠の生涯をネコの語り部から眺めて描写したもので、自分的には、岸大武郎てんぎゃん」のその後をやっと読めた、という思いだった。

てんぎゃんは、ジョジョをてがけた椛島編集と岸先生による熊楠を描いた偉人伝マンガ(?)だが、ジャンプで人気を得るには至らず、たしか20週で連載終了したと記憶している。
子供のときに天狗と出逢い、ゲロを吐く奇癖があり、海外に修行に出たあたりで連載が終わった。

岸先生のマンガはチャレンジングで、椛島編集の手引きもあったと思うが、恐竜大紀行、てんぎゃん 今でいう「○○年早かった」企画で連載マンガを描いていて、
これで人気を取るのは難しかったんじゃないか と、(連載当時から)30~40年が経った今となっても、同じことを思う。

少年ジャンプの盛衰はともかくとして、南方熊楠 青年時代のその後、日本に戻ってオッサンになって、結婚して子供をもうけ、死ぬまでの生涯を、同居するネコの観点から描いたのが「猫楠」である。


猫楠の読後感としては、なんともいえない悲しさ、わびしさがある。
南方熊楠さんのひとり息子 熊弥が高校受験に出発し、旅先で病気となり、病気の療養に家族が苦心する「第15話 大いなる哀しみ」。

それまでの14話が、熊楠の常人離れしたエピソード。豪傑めいた、やや下品な素振りと奇行。その裏腹の繊細さ、興味ある学問への集中と粘着。
猫や妖怪、幽霊を織り交ぜてのオカルティックな世界観、死生観を織り交ぜたもので、奇人よりのちょっとかわった偉人伝、明治大正の豪傑物語を読んでいるような風合いがあった。

すこし浮世離れた、「ふつうとは違う人たち」「昔の時代の、よくもわるくも豪快な人たち。人情もの」を読んでいるつもりでいたので、
この15話 熊楠と息子さん、奥さんと妹さん ご家族の苦労、苦心が描かれた一話には驚かされたし、涙は出ないが、何とも複雑な感傷を得た。

熊弥が暴れ、(親子でともに描いてきただろう)粘菌の彩色画をビリビリに破き、熊楠は涙する。妹の文江は、それがはじめてみた父の涙だった --というエピソードなのだが、
ギョッとさせられ、悲しむより先に呆気にとられ、事実の残酷さに打ちのめされた。


水木しげる遠野物語 Amazonの感想を読んでいると、ひとつひとつのエピソードに起承転結が無い、話が短すぎる、ヤオイ、話づくりが雑で絵と噛み合っていない… という意見があった。
もともとが遠野地方に伝わる素話、民間伝承、(話づくりのプロではない)おじいさんおばあさんが考えた民話なのだから、山無し落ち無し意味無しになっても仕方ないだろう と私は思うが、
近現代 エンターテインメントの発達した現代に住む私たちは、首尾よくじょうずに整えられた物語に慣れ親しみ過ぎて、荒っぽい現実、物語の素朴な原初のかたちーー口承で伝わる素話、ただのまったくの事実ーーから遠ざかってしまったのかもしれない。

水木しげる 2020年末に読んだ2つのマンガ 遠野物語と猫楠は、ただのまったくの事実、現実に存在する荒っぽいリアリティを、あらためて私に突きつけるものだった。


さきほど テレビで黒柳徹子を取材したドキュメンタリー(プロフェッショナル 仕事の流儀)をやっており、
黒柳徹子は、本当のことを喋りたい。徹子の部屋でもゲストと真心こもったほんとうの話し合いを交わし、それを視聴者に観ていただきたい と意気込んでいたが、
一方で、テレビ番組を作る以上 企画編集の意図があり、ひとさまに観ていただく見世物として、面白おかしく、視聴率も伴って仕上げなければならないことをよく理解していた。

ジョジョの荒木先生に言わせると、リアリティとファンタジーの境目、
ジョジョリオン25巻のはしがきで述べていた)作者である自分が描きたいことと、読者に伝えねばならない読ませたい事柄、商業出版のさまざまな制約 2つの狭間、矛盾である。


荒木先生は、ホラー映画とサスペンス映画を扱った2つの新書を出している。

自分が観た映画の感想をカテゴリー別に語るゆるい本だが、その中でときどき、真実に触れる鋭い言葉を述べている。

「人はなぜ物語を求めるのか。ホラーやサスペンス映画があるのは、現実がホラーとサスペンスだからであり、現実からの逃避、そして、映画を観終わった後、人はふたたび現実に戻る」
という趣旨のことを、新書本で述べていた。

※いま 新書本が手元に無いため、文章表現までは不確かですが、そんな趣旨のことを述べていました。


猫楠を読んで、家族の幸せ 心身の健康を、自分も含めて大切にしようと思う、そんな年末の一日でした。