ジョジョにおける、戦いの駆け引きについて。
荒木飛呂彦作品のルーツを探ると、
古くは武装ポーカー、魔少年ビーティーの時代から、戦いの駆け引きが描かれている。
トリック・手品による駆け引きが多く、ビーティーからジョセフに、その系譜が受け継がれている。
作中の超能力は、波紋からスタンドに代替わりするが、
それら超能力は、創作上のルール・SF的合理性に基づいており、
パズルを解くような、論理的証明の明快さをもって、バトルが描かれる。
ジョジョのスタンド使いたちは、理詰めの駆け引きで戦っている。
ゆえに、限定された状況下で、能力者同士が手持ちの能力を使って、ルールに則った力比べ・知恵比べを行う。
能力やシチュエーションは、駆け引きの妙を描くためには、シンプルかつ限定的な方が良い。
そうでないと、駆け引きの妙が際立ちにくく、スリルとサスペンスへの集中が崩れてしまうからである。
スタンドは空想の超能力であるが、「何でもあり」の状態になると読者が白けてしまう。
シチュエーションは大きく、ケレンミある展開であっても、戦いのルールは限定的・単純明快であるのが良い。
例として、2部 ジョセフとカーズの、崖から落ちる一瞬の戦い。
3部 ディオと承太郎の、時間を停める能力者同士の戦い。ボインゴの未来予知(運命論)がもたらす帰結。
4部・8部における、日常空間でのバトル。
7部でスタンド能力がシンプルな方向に回帰したのは、承太郎のセリフ「シンプルな奴ほど強い」に合致する。
また、よく指摘される所であるが、3~6部までのボスのスタンドは、時間を操作する能力である。
7部ボスのスタンドは平行世界を行き来する能力で、これは空間を操作する能力と言ってよい。
8部、9部ボスのスタンドが現れるなら、空間を操作する能力になっていくのではないかと思う。
時間と空間がこの世界(次元)を構成しており、
世界を支配しようとする敵に、人間たちが知恵と勇気で立ち向かうのが、ジョジョの戦いだからである。
ジョジョは、部ごとにリセットをかけることで物語のインフレーションを避けてきたマンガである。
しかし、3部から6部へとスタンドバトルが続く中で、スタンド能力のインフレーションが起きていった。
例として、5部~6部にかけて、これまで見られなかった「大規模殺戮系」のスタンドが登場する。
グレイトフルデッド、パープルヘイズ、グリーンデイ、シルバーチャリオッツレクイエム。
ボヘミアンラプソディ、ヘビーウェザー、C-MOON、メイドインヘブン。
D4C、D4Cラブトレイン。
これらスタンドを特徴付けるのは、それまでのスタンドの射程距離を越えて、
敵味方の関係なく、世界の広い範囲に影響を及ぼし、大規模殺戮を行いうる点である。
(3部 力、正義、パープルヘイズの扱いを迷ったが、上記の通りとした)
大規模殺戮系のスタンドにおいては、状況のインフレーション、パニック・被害の著しい拡大が起きている。
スタンドバトルが長く続き、これまでに無い展開をという所で、能力が半ばヤケクソ気味に複雑化していった嫌いもある。
6部の終盤 ヘビーウェザー~メイドインヘブンにかけての展開は、
描かれている異変の規模でいえばまさしく世界最大となるのだが、他の部に較べると、今一つ真実味にかける嫌いがある。
町内の一角で描かれた、4部ラストバトルの方が、迫力で上回る。
ジョジョから少し離れるが、しりあがり寿さんのマンガ「真夜中の弥次さん喜多さん」は、
作者の想像が及ぶ限りの奇想天外な展開が続き、主人公はリアルとフィクションの狭間をさまよう。
同シリーズ 弥次喜多in Deepまでは読んだのだが、
Deep後半 世界や経済を動かすトンデモない展開になっていくが、リアリティが薄れ、かえって読者の興味は萎えてしまった。、
弥次さん喜多さんラスト 二人が夜の遊園地に遊び、(作者が考える)想像の限りを楽しみ、ひっそり夜が明けるシーンがある。
リアルとフィクションの狭間で、作者の想像が及び、よく作りこまれた限りの所で、
作品の舞台は描かれ、戦いの駆け引きも描かれていくのだろう。