ジョジョ読者のブログ

ジョジョの奇妙な冒険の感想、批評、考察を書いています。

「運命」と戦う主人公たち ジョジョシリーズの通観、ジョジョリオンのクライマックス予想

実家に本を取りに行き、ジョジョ5部6部のコミックスなどを手元に取り寄せた。
5部コミックスを47巻から読み直して、5部文庫本あとがきなど周辺の資料を見返していた。

5部文庫本の作者あとがき、ジョジョメノンの作者インタビュー、4部リミックス本の巻末 吉良吉影の出自にまつわるインタビューなど。


5部文庫本のあとがきにて、1~3部、5部に到る作品のテーマが語られている。

3部のDIOは、高祖父(ジョナサン)あるいはそのひとつ上の世代から続く、「宿命」「因縁」の象徴として現れる。
承太郎は、DIO本人に出会ったことは無く、運命的に戦うことを義務付けられるが、一族の誇りを力に戦った という概説だった。

1部→2部→3部の三部作で、大きなひとつの物語、ジョースター家とDIOの対決を描いているのはご存じの通りである。

(ちなみに、5部コミックスを読み返していて、毎回毎回 バトルのたびに細かい展開、二転三転をよく考え続けてきたものだと感心している。
 1部から2部へのひっくり返し、純潔なジョナサンの次が破天荒なジョセフで、一族のルール(=1部での展開)をひっくり返していくのも痛快で、
 武装ポーカーや魔少年ビーティーの頃から一貫して、頓智やトリック、二転三転の駆け引き、クライマックスのどんでん返しが好きな作風だと思う)


3部以降 ラスボスは時間を操る能力者で、DIOからプッチ神父に到るまで、それぞれのやりかたで時を操り、主人公たちの行く手を阻む。
SFのアイデアをアラキ流にパワーアップさせていて面白く、端的にはAV機器の操作ボタンになぞらえることもできる。

5部 キングクリムゾンが登場するくだりを読んで(遅まきながら)気づいたのだが、
ラスボスたちの能力は、時間を操作するというSF的テーマに加えて、「運命」が主人公たちに襲いかかってくる、その象徴として描かれている。

メタ的に見て、ストーリー展開上 最大・最後の障害が「ラスボス」であり、
時間を操作し支配する能力は、作品世界(=運命)を支配する能力だからである。


ジャンプでの週刊連載を読んでいた当時から、
ジョジョのシリーズは4部以降は「外伝」、あるいはファーストシーズン(初期構想)が終わった後のシーズン2、3、4…が続いている気がしてきた。

実際、ジョナサンとDIOの対決から始まったストーリーは3部のラスト コミックス28巻でいったん幕を降ろしているのだが、
椛島編集に賛辞を届けるあとがきの後、幕間を挟んで、
29巻から杜王町の日常が静かに語られ、毎日の暮らしが幕を開けていく。

しかしながら、作者の中にあるテーマ、運命に立ち向かう主人公たちの物語としては、
1~3部のシーズン1を終えた後、4部、5部、6部、7部…と、首尾一貫して、人間たちの物語を描いてきた流れが見える。

たぶん、私がバオー来訪者ジョジョ1部を週刊連載で読んできた(古株の)読者で、
連載当時 ディオブランドーが登場した1部が小4、承太郎とDIOの決着が中3の終わりで、年令的に、少年マンガに最も熱中してハマり込む時期だった。

その頃の印象が強いため、4部5部以降はどうしても「外伝」感を感じてしまうが、
たとえば、私よりもっと若い方で、5部から読み始めた方は5部を基準に前後の物語を読みはじめるだろうし、7部や8部から読みはじめる方もある。
テレビアニメから興味を持ってシリーズ全巻を通して読んでいった方もあるだろうし、
このあたりの感想は、個々人の年令・状況・体験によって、さまざまに幅が出て違いがあるのだろう。


人間賛歌の物語は6部で時間軸が巻き戻り、7部以降の月刊誌連載が続いている。

7部 ヴァレンタイン大統領のスタンド能力は、時間テーマからは外れて、パラレルワールドを操作する能力になっている。

メタ的に見て、AV機器的な時間テーマはネタが尽きており、
物理的世界=作品世界=「運命」をつかさどる究極の能力を、時間テーマ以外の、物理学のさまざまなエッセンスから求めているのだと思う。

私自身 宇宙の仕組みや素粒子の構造を探るような物理の先端分野に疎く恐縮ですが、
「時間」と「空間」が物理的世界を構成する根本の要素であり、
このあたりから元ネタをとって、マンガ的にパワーアップしたスタンド能力が最後に現れてくるのではないか と思う。


8部 ジョジョリオンは、収穫へのカウントダウンがはじまり、
目下 つるぎの行動の謎を巡って、ストーリーが折りたたまれはじめた最中である。

ジョジョリオンのいわゆるラスボス(=スタンド能力を使って戦う、定助の最後の対戦相手)は、
岩人間の医院長、常敏のいずれか、あるいはその両方だろう。

ただし、いわゆるラスボスとのスタンドバトルが終われば物語が解決するかというとそんなことは無く、
ジョジョリオンの主眼は「家族」と「街」を描くことにあり、「現代日本の家族」と「一族の誇り」が回復されるまでは、物語が意味をもって終わることが出来ない。

ストーリー上の最大・最後の障害は、定助たち3人チーム(康穂と豆ずくさん)の未来、東方家と吉良家の未来、呪いの病を誰がどのように克服していくのか である。
主人公たちの生き方を含めて、杜王町の行く末に明るい希望が見えるまでは、ストーリーを閉じることができないだろう。


ウルトラジャンプの最新号 つるぎが血まみれのノリスケをどこかに隠そうとしているシーンは、
「誰がノリスケを殺した(殺そうとした)のか!?」が伏せられており、様々な予想、ミスリードを導入している。

わたし個人の予想では、つるぎがノリスケを殺したのではなく、
何かしら、さまざまな事件、岩人間の医院長とのロカカカ争奪、ホリーさん・吉良との因縁、常敏一家と主人公の争い、ノリスケ夫婦の不和、街と生家を巡るいろいろなウラオモテみたいなものが重なり合って、
さまざまな事情と行く末の果てに、上記のつるぎのシーンに到達するのでは と思う。
(月刊誌連載で、このシーンに到達するまで、1年後、2年後 3つくらいのエピソードを経て、2021年までには到達するんだろうか… しばらく先の話である)

今の折りたたまれた、さまざまな因縁が重なった状況は、
糸がからまって毛玉になったような、あるいは、一枚の紙から折り紙が折りたたまれたような、原型の見えない、複雑怪奇な状況である。

定助と康穂たちの行動が、状況を進めて、ものごとの解決に向かっていくと思うが、
シャボン玉に隠された「超ひも理論」の謎は、どこかの段階で、意味をもって現れストーリーを動かし、ときほぐすのでは と思う。
スタンドバトルの大技として使われるかもしれないし、
こんがらかった状況、キャラクターたちの生命や死、置かれた状況を解決する、なにがしかの超能力を発揮するのではないか と予想している。

ただし、どうやってストーリーやキャラクターたちがラストまで推し進んでいくのか、予想はつかない。
二転三転のひっくり返し、チープなトリックや頓智問答が好きな作風であり、
「魔法の剣」や「超常的な奇跡」に頼らず、主人公たち人間の、現実的な努力にそって解決されると思うので、落しどころが楽しみである。