ジョジョとほとんど関係ない話題で恐縮ですが、映画「海獣の子供」を観に行った。
宇宙が人の形(頭があって、胴体や手足がある)になって、宇宙=人=地球を表現するのは陳腐でどうかと思ったが、全体的に映像が凝っていて、どこまで凄いモノを見せるのか?みたいな意味で、満足感のある映画だった。
映画のラスト 海から光が立ちあがって、キラキラと空に立ち上っていくところ。
主人公達が空から地上に落ちてくるところで見えた、海の緑っぽい色合いとキラキラした小波がとても美しかった。
小学校高学年の子供と観たのだが、
クジラの体内でのシーンは精子と卵子が結合して、受精卵から命が産まれたのを意味してるのだろうか? と話してきたのに、すこし驚いた。
空君が光になって海に消えていったのは、E=mc2を意味していると思うが、映画を観た直後 子どもに、あのシーンは相対性理論から来ていて、光が現れたり消えたり入れ替わったりして、理科や科学を習っていけば分かるが……と説明したが、よく分からない説明だった。
隕石のかけらを女の子が託されるくだりは、ジブリ映画 ハウルの動く城の、星を飲みこんで手放して…というくだりを思い出すところがあった。
この映画がいわゆるスピリチュアル、宗教がかってモヤモヤした感じがよく分からない という感想を散見するが、私自身は、この映画に宗教性は感じなかった。
自然賛美、生命の神秘を讃えつつ、海洋や宇宙の謎を折り込み、大きな絵を描きたかった映画なのだと思う。
この映画を観ていちばん驚いたのは、映画原作者(マンガの作者)が男性だったことである。
映画を観ながら、主人公のデザイン、女の子と男子2人の三角関係っぽいストーリーテリング、女性賛歌っぽい世界観から、この話を考えたのは女性、20~30代の若い女の人が自然や宇宙好きで、少女漫画っぽい、SFを絡めた話を頑張って描いたのだろう とテッキリ思い込んでいた。
同作品の作者は五十嵐大介氏、執筆当時 40歳前後のオッサンだったということを知って、とても驚いた。
荒木飛呂彦いわく、創作の秘訣は「この世界は美しい と念じること。まだまだ謎がある、何でも描けるって思うこと」で「自分で自分に限界をかけることがいちばん良くない」らしい。
(各種インタビューから、私が今思いついたかぎりの要約です)
海獣の子供は、映画・映像の面白さもさることながら、原作者の意外性、これを観た観客たちの分かったような分からない反応も含めて、世界の広さ、人間の謎をうかがわせる興味深い作品だった。